与太郎文庫
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2003年05月24日(土) |
《クロイツェル・ソナタ》 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030524 ■「クロイツェル・ソナタ」の初演 属 啓成 ベートーヴェンは、イギリスの有名なバイオリストのブリッジタワー ( George August Polgreen Bridgetower ) をリヒノフスキー公の家 で知った。かれはウィーンで演奏会を催したいと思っていた時なので、 ベートーヴェンにその賛助演奏を頼み、ベートーヴェンもこれに承諾を 与えて、会の日は最初一八〇三年五月二十二日と発表された。そしてプ ントの場合と同じく、ベートーヴェンはそのためにバイオリン・ソナタ を、あたらしく作曲せねばならなかった。 いよいよ会の日はせまってくるのに、ソナタはまだ一楽章しか出来て いなかった。ブリッジタワーは練習のためにその楽譜を必要としたので ある。「自分は朝四時半にたたき起されて、この楽章の写譜をしなけれ ばならなかった」とリースは述べている。しかしピアノパートは、スケ ッチしか完成されていなかった。フィナーレのアレグロは、もともと作 品三〇番のために書かれていたもので、すでに立派な写譜があったが、 ヘ長調の変奏楽章は、写譜する暇がなくて、公開の時は草稿のままで演 奏された。 そのためかどうか知らないが、この演奏会は初めの予定より二日おく れて、五月二十四日に朝の八時からアウガールテン・ザールに開かれた。 それはひじょうな盛会で、演奏も大成功であった。演奏された新作の バイオリン・ソナタは、有名なクロイツェル・ソナタ作品四七のイ長調 である。ベートーヴェンははじめからこのソナタをブリッジタワーにさ さげるつもりで、最初のコピーには、かれにささげる献呈文が書かれて いたのであるが、その後まもなくふたりの間には、あることから感情の 行き違いを生じ、ベートーヴェンはこの曲を、出版と同時にバイオリン の名手、クロイツェルにささげてしまった。これがクロイツェル・ソナ タと呼ばれているのはそのためである。 ―― 《ベートーヴェン 生涯篇 19670710 音楽之友社》P464-5 〜 Beethoven《Violin Sonata Op.47 Kreutzer,18030524》初演 〜
■ 「イギリスの有名なバイオリスト」ブリッジタワー(生没年不詳)は 黒人との混血で、エステルハージ家の家令ともいわれる。当時の音楽家 の身分は、パトロンである貴族からみれば、まことに軽々しいもので、 バッハやベートーヴェンといえども例外ではない。 当時三十二歳のベートーヴェンが、さらに身分の低い混血青年と共演 するための二重奏曲は《ヴァイオリン奏鳴曲》というものの、原題では 《ヴァイオリンのオブリガード(装飾的助奏)付きのピアノ・ソナタ》 である。今日では、ピアニストのギャラよりもヴァイオリニストが高く、 主役であることが多い。つまり、この《クロイツェル・ソナタ》こそが はじめて両者を対等にして、緊迫感あふれる傑作たらしめたのである。 その二人が、一人の少女を争って不仲になったというのも、下世話な 推測であろう。フランス革命後のパトロンたちが、つぎつぎに落剥し、 すでに名声ある作曲家でありながら、実態はフリーターだから、自前の コンサートと楽譜の売りあげが収入源である。 出版にあたって、四才年長の(著名な)演奏家に献呈するのはやむを 得ない。古きよき時代ならパトロンに献呈して、それなりの報酬がある ところ、演奏家に献呈するのは、いまなら許諾権の分割貸与契約とでも いうのだろうか。 バッハは、宗教革命のもとに登場したサラリーマン芸術家であった。 ベートーヴェンは、フランス革命に追われた封建貴族に捨てられ、生き 残った無頼の芸術家だったのだ。“神のごとき芸術家”は存在しない。 ときに“神のごとき芸術”が出現するのである。 (20030520 02:00)
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以下は、削除されたため出典不詳のHP(Googleのキャッシュ)より。 ── 当初はイギリス人ヴァイオリシスト、ジョージ・ブリッジタワー に献呈するつもりでこのソナタを作曲し、初演もベートーヴェンのピア ノで行われたのですが、その後この二人の間で諍いがあり(ひとりの女 性をめぐってのトラブルではないか、といわれています)、ベートーヴ ェンはブリッジタワーの代わりに、クロイツェルに献呈したそうです。 ロシアの文豪トルストイの作品に「クロイツェル・ソナタ」という中 篇小説があります。同じ列車の座席に乗り合わせた男性が、自分の過去 について告白し、それをもう一人の男性が聞くというかたちで小説は進 行します。一人称で淡々と語られるその話の中で、男性は妻を殺したと 言います。男性と妻の間はあまりしっくりいってなくて、夫婦間に葛藤 があります。そんなある日、妻のピアノの合奏の相手として、一人のヴ ァイオリニストが出入りするようになります。ふたりが楽しそうに合奏 する様を見ながら、この男性は激しい嫉妬にかられます。しかしまだ、 ふたりが簡単な曲を演奏していたときは、この男性の嫉妬は現実と妄想 の狭間でもがいていました。しかし、ある日ふたりが情熱的に「クロイ ツェル・ソナタ」を演奏しているのを聴いた男性は、ヴァイオリンとピ アノのかけあいの中に、ふたりの必要以上の親密さを感じとり、嫉妬の ため逆上し、妄想を現実と置きかえ、そして妻を殺してしまいます。ト ルストイの小説は、この男性の妻に対する疑い、激しく突きあげてくる 嫉妬、妄想にかられる苦しさなど、人間の持つ感情の中で、最も人を苦 しめる心理の変遷を、「クロイツェル・ソナタ」の曲の持つ恐ろしさと ともに、描きだしています。 この小説を読むとき、ベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」を 知らずに読むのと、知って読むのとでは大きな違いがあると思います。 ── sp.daren57.com/tc/koyou5/snake/violin3-1.html
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── トルストイ、ジェイムズのような小説家が現在いるだろうか? ゲーテ ヘッセのような文学者は? ブラームスやドビュッシー、マーラーのような音楽家は現在いるだろ うか? ドガやセザンヌのような画家は? ニーチェやベルグソンのような哲学者は? こうしたことをペンデレッキは、「もう、我々の時代には、もう何も やることは残ってない」といった。 ── Hiroyasu-Aoki《知のネゲントロピー》 ── http://aokihiro.tripod.co.jp/paradigm/real-end.htm ―――――――――――――――――――――――――――――――― ペンデレッキ《クロイツェル・ソナタ》は誤り。ヤナーチェックが、 ピアノ三重奏曲より改作して、奇妙な副題をつけたもの。 >> ヤナーチェック《弦楽四重奏曲第一番“↓”19241017》 〜 トルストイのクロイツェル・ソナタに霊感を受けて 〜 彼がトルストイのクロイツェル・ソナタを扱ったのもこの第一弦楽四 重奏曲が最初ではなく、じつはこれで三度めだった。一度めは一九〇八 年の五十四歳の年の秋で、ピアノ三重奏曲の作曲にさいし、二度めは翌 一九〇九年春で、それに手を入れようとしてトルストイの小説をもう一 ぺんじっくり研究しなおした。 感受性ゆたかで似の情のあついヤナーチェックは、この小説を読めば 読むほど、主人公ボズトヌイシェフが、道ならぬ恋におちた自分の妻を 殺してしまうという筋立に我慢がならなくなってきた。第二弦楽四重奏 曲を書かせるもととなった老いらくの恋の相手、カミラ・シュテッスロ ヴァールに書き送った一九二四年十月十四日づけの手紙には、殺された この妻を評して「苦しみを負わされ、虐待された不幸な女性」だと書い ている。ヤナーチェックは結婚や性道徳に関して、トルストイとは正反 対な見解をもっていた。その彼が「クロイツェル・ソナタ」という小説 から受けたショックと、作者に対する批判とを、独自の自由な形式構成 のうちにぶちまけたのがこの弦楽四重奏曲である。 ── 佐川 吉男《名曲解説全集18 19541201 音楽之友社》P134-135 << Janacek,Leos18540703 Czecho 19280812 74《Quartet,str. No.1 19241017 Praha》
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