与太郎文庫
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2003年03月02日(日)  知的キャバレー

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030302
 
 [失言] アジアの衣装「キャバレーみたい」 大阪府議が議会で
 2003 年 3月 2日 [毎日新聞03:01]
 大阪府議会の八木博議員(68)=自民=が先月28日の議会一般質
問で、9年前に出席した母校の卒業式で朝鮮やベトナム、中国の民族衣
装を着た生徒を見た印象を、「どこか、キャバレーに来たみたいだった」
と話した。この発言を、大阪府高等学校教職員組合(大阪高教組)は
「民族固有の文化を揶揄(やゆ)する発言で見過ごせない」などと反発。
八木議員は「言葉が足りず、誤解を招いた。反省している」とし、議事
録などから問題部分の削除などを申し出る意向だ。
 八木議員は一般質問で、府立高校への民間人校長の登用や職員室の整
備のあり方について取り上げた。具体的な質問に入る前に、母校の府立
夕陽丘高校の卒業式に94年に出席したことに言及。同校は生徒に制服
を義務付けていないため、式に、朝鮮民族の伝統衣装のチマやチョゴリ、
ベトナムのアオザイ、チャイナドレスを着た生徒がいたことに触れた。
 大阪高教組は週明けにも、八木議員に発言の撤回と謝罪を求め抗議す
る方針。幹部は「式に臨んだ生徒の気持ちに対する配慮も感じられない」
と批判している。
 八木議員は「民族衣装は、その民族の人たちに最も似合う美しい服装
だと思っており、揶揄する気持ちは全くなかった。ただ、振り返ると、
誤解を受けても仕方がないと感じており、私の発言を不快に思われた人
におわびしたい」と話した。 【土居和弘、宇城昇】

■2003/03/03 (月) 民族意匠

 NZのマオリ族の学者たちが
 マイク・タイソンとロビー・ウィリアムズの入れ墨に怒り表明
 2003 年 3月 1日【ウェリントン】 〔AFP=時事〕
 ボクシングの元世界ヘビー級統一王者マイク・タイソン(左の写真)
とロックのスター、ロビー・ウィリアムズがマオリ族の入れ墨の模様を
勝手に使っているとしてニュージーランドの学者たちの怒りを買ってい
る。タイソンは2月22日、同じ米国人のクリフォード・エティエンヌ
をわずか49秒でKOしたばかりだが、試合の少し前に目の周囲にマオ
リ族風の入れ墨を彫っていた。ウィリアムズは腕にポリネシア風の入れ
墨をしている。
 オークランド大学芸術史講師のヌガリノ・エリス氏と同僚のヌガフイ
ア・テ・アウェコツク、リンダ・ワイマリエ両教授の3人は最近、人々
が「タ・モコ」(伝統的なマオリ族の入れ墨)を勝手に使っていること
を強く懸念していると共同で表明した。3人の学者はいずれもマオリ族。
 マオリ族の顔面入れ墨の専門家ピタ・シャープレス氏は、タイソンに
は犯罪歴があり、こんな人にマオリの入れ墨をしてほしくないと言って
いる。シャープレス氏は、ウィリアムズの入れ墨にも明確なタ・モコの
特徴があり、問題だと批判した。
 顔全体に入れ墨をする伝統的なタ・モコには決まったやり方があり、
額、ほお、唇および口には特定の模様を彫る。マオリ族の指導的立場の
男性および女性たちは顔の全体あるいは一部に入れ墨をするのが一般的。
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 授業中のジョークには相当きわどいものがある。おなじことを卒業式
や議会で発言すれば“失言”となるかもしれない。
 1959年、与太郎は武蔵野美術学校の一年生として、写真概論の授業を
受けていた。重森弘淹(こうえん)教授は、ちょっと得意そうな表情で、
駒沢大学のネオンについてこう語った。
「あれは大学じゃなくて“知的キャバレー”だ。チョットいい言葉だろ」
 いたずらっぽく、学生の反応をうかがったが、ほとんど受けなかった。
 当時の中央線に乗ったことのある人は、みんな憶えているはずだ。
 駒沢大学は、もとは仏教学部だけの地味な私立大学だったが、ネオン
を点じたために一躍有名になり、やがて受験生が群をなした、と伝えら
れる。

重森 弘淹 写真評論        19260727 京都 19921013/66 武蔵野美術学校教授/東京写真学校長
八木 博  大阪府議会議員/自民党 19340409 大阪       元府会議長


■キャバレーの文化史

 ロドルフ・サリの「シャ・ノワール」が開店したのが1881年11月18日。
それから4年後の1885年にヴィクトル・マセ街に店の住所が移る。1888
年には22歳のエリック・サティがセカンド・ピアニストとして雇われ、
そして追い払われた。
 一方、元の「シャ・ノワール」の店は「葦笛」と名前を変えて人気を
集め、そこではシャンソンの王者アリスティード・ブリュアンが唄いま
くっていた。ついでマルティール街には「ディヴァン・ジャポネ」
(日本の長椅子)が開店し、ここではのちに“ロートレックの詩神”と
いわれた“シャンソンの女王”イヴェット・ギルベールが登場した。
 このモンマルトルのキャバレーの興奮がドイツに飛び火し、フランス
はフランスで「ベル・エポック」に突入したのである。
 
 パリのキャバレーは、ミュンヘンやベルリンでは「カバレット」、
ウィーンでは「カバレー」という。本書はそのキャバレーの歴史である。
実に詳しい。
 もっとも、覗き見しておきたいのはそのすべての歴史ではない。キャ
バレー文化史が劇的に転換していく何ケ所かの劇的光景である。それを
キャバレー・トピカとよぶことにする。
 
 ぼくは以前、『遊』の特集に「店の問題」を選んだことがある。「凡
百の思想家より一人の店主のほうがえらいんじゃないか」という特集だ
った。当時の日本の各都市のユニークな店をとりあげ、その店主やその
ディレクターたちの言葉を集めた。
 店といっても「うまいもの屋」などではない。よくもいまだにそんな
特集ばかりでメディアが埋まっているとあきれるが、そんなことはしょ
せんつまらない。ぼくが集めたかったのは、そこに、ある動向をもった
人々が集まり、そこから既存の価値を無視した文化が萌芽するような、
そういう店、つまりはどこかボヘミアンで文芸的な日本の地方都市にあ
るキャバレー・トピカの息吹だったのである。
 本書はその文芸キャバレーの歴史を、20世紀の全部を通してヨーロッ
パの都市に拾っている。少しだけ案内をする。
── 《松岡正剛の千夜千冊 第九十七夜 20000724》
── http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0097.html

 ハインツ・グロイル/平井 正・田辺秀樹・岩渕達治・保坂一夫・訳
《キャバレーの文化史(上下) 1983 ありな書房》
Heinz Greul:Bretter,Die Die Zeit Bedeuten Die Kulturgeschichte des Kabaretts 1971



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