与太郎文庫
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2003年01月31日(金) |
忠臣蔵300年 〜 元禄15.1214(17030130)〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030131 元禄15年は1702年か1703年か? ── 暦日の変換で気を付けなければならないのは、たとえば、普通元 禄15年(1702)というように、西暦をかっこの中に入れて示すが、実際は、 元禄15年は1702年の1月28日に始まり、1703年の2月15日に終わる。した がって義士討入の元禄15年12月14日は、1703年の1月30日である。この ような場合、元禄15年(1702)と書いても、(1703)としても誤解をまねき やすい。繁を厭わずに元禄15年12月14日(1703年1月30日)と全部書くべ きであろう。 ── 内田 正男《こよみと天文・今昔 198112‥ 丸善》P56 http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/hon_kataru/katudou/012.html ── 戸田 孝《赤穂浪士の討ち入りは1702年か1703年か?》 http://www.biwa.ne.jp/~toda-m/history/yeargap.html ◆ 西暦年号と元号の対照は、それぞれの年首時点を原則とすべきである。 元禄15年01月01日は、西暦1702年01月28日であるから、これを略して、 「元禄15年(1702)」あるいは「西暦1703(元禄16年)」と記せばよい。 なお、古代中国暦に、前年十月や十一月を年首とする時期があるが、 この場合でも“正月元日”を対照すればよい。 同じく古代ローマ暦の“三月年首”も“一月年初”として問題はない。 また、ユリウス暦とグレゴリオ暦のちがいも、陰暦の年首時点では、 問題にならない。中世英国のユリウス暦03月25日を“聖告年首”とする 慣習があったが、陰暦との対照には及ばない。 さらに、イスラム暦では、32年ごとに西暦の一年間に、二度の年首 を含む特例が生じるが、一般の読者が熟知しておくほどのことはない。 これらは、暦そのものに興味を抱くためのとっかかりにすぎない。
浅野 内匠頭長矩 16670928 播磨 江戸 17010421 35 /寛文 7.0811〜元禄14.0314“赤穂事件発端” 橋本 平左衛門 1684‥‥ 播磨 大坂 17011205 18 /貞享 1.‥‥〜元禄14.1106“曽根崎心中” 萱野 三平重実 1675‥‥ 播磨 江戸 17020210 28 /延宝 3,2.‥〜元禄15.0114“主君命日殉死” 吉良 上野介義央 16411006 江戸 17030131 62 /寛永18.0902〜元禄15.1214“赤穂事件討入” 大石 良雄内蔵助 1659‥‥ 播磨 江戸 17030320 44 /万治 2.‥‥〜元禄16.0204“赤穂事件終結”
討入りは満月十四日、吉良の斬首は明け方なので、グレゴリオ暦では 翌日となる。したがって陰暦の忌日は1214、陽暦の命日は0131をもって 記念すべきだが、説明が面倒なので《Wikipedia》にも注記がない。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/18980801 赤穂事件 〜 元禄14.0314(17010421)〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19970205 殉教400周年 〜 慶長 1.1219(15970205)〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030325 報復の暦 〜 Ethiopia 19930101(20010911)〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20031214 屈服と屈従 〜 元禄15.1214(17030130)〜 (20070610)
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