与太郎文庫
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2002年08月01日(木) |
個人情報 〜 私は誰か? 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20020801 ■2002/08/12 (月) 住民票コード通知表 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ↓=Non-display><↑=Non-display ──────────────────────────────── 個人情報とは何か? マイクロソフトに問合せ。サポート担当女性の対応に、かつてないほ どの不快、思わずムッとして黙りこんでしまった。 「ガーン」と一発言ってやりたいが、相手がどういう部署で、どういう 身分なのかわからない。アルバイトか派遣社員かもしれないのだ。 逆に、こちらの姓名はもとより、生年月日・性別・住所・電話番号・ プロダクトID番号、これまでの電話サポート履歴記録など、すべては 彼女のパソコンに表示されているのだ。(ナンバー・コール?) さらに、質問者のキャラクター分類などという項目があって、短気・ ときに老人性恫喝(?)などと、部外者にわからないような暗号で特記 されているにちがいない。つぎの担当者は、これらの追加情報を一瞥し、 なるべく手短かに質問が切り上げられるように誘導するにちがいない。 (Day'20020812-0815) ■2002/08/26 (月) ポール=グリーシー先生のこと 田上 善治 様 はじめまして。(Mai'20020826 20:01 *田上 善浩 様) 私は、同志社高校ポール=グリーシー先生の教え子です。 ポール=グリーシー先生が考案された「アルファベット・クイズ」に 挑戦しましたが、一問しっぱいしました。 “SSH”は、どこかの学校の略称でしょうか? その後の先生は、帝塚山短期大学教授を経て、熊本に在住されたとか、 いまひとつ、たしかな消息がわかりません。 最新情報をご存知でしたら、ご教示ください。 阿波 雅敏 Mai'20020826 21:03 田上善浩(TOSS中学サークルJH-Wing)です。 ご連絡ありがとうございます。 残念ながら、グリーシー先生とは現在連絡がとれていません。 奥様は、熊本市でSSHの塾を開かれています。 グリーシー先生は、どちらかの大学で教鞭をとっておられるはずですが、 どこなのかは知りません。 SSH はSound Spelling Harmonyのことで、要するフォニックスの改良版 です。 Mai'20020827 14:34 件名:ポール先生の消息(ご返信お礼) 田上 善浩 様 早速お返事いただき、ありがとうございました。 TOSS中学九州セミナーのお誘いは、かたじけなく存じますが、もはや 六十三歳を過ぎてしまいましたので、このつぎは「かならずや英語圏に 生れかわって《漢字文明衰亡史》を執筆したい」などと考えています。 なにしろ、ポール先生の来日一期生であり、歓迎会でスピーチをした ものの、さいごに「宿題をしなかった生徒の中でも、横綱」と評された ほどの劣等生だったのです。 当時の記憶やエピソードから、あらためて先生への敬意を思いだし、 六十歳のころ、つぎのような長文の手紙形式にまとめました。 《ポール先生、さようなら 〜 続・教え子の消息 〜 20001018 》は、 来春アップロード予定( URL in private )です。 ── http://plaza3.mbn.or.jp/~awalibrary/index.htm これを読んだ、当時の同級生(宿題をしなかった関脇)いわく、 「あのころのアメリカ青年は、歴史的にもっとも品格ある世代だった」 劣等生といえども、英語教育をうらんでいる者ばかりではありません。 なにとぞ誇りたかく、日々お励みください。 お礼まで。 阿波 雅敏 ■2002/08/27 (火) ポール先生の消息 “ポール先生・英会話”を検索すると、京都文教短期大学付属小学校 のホームページに写真があった。拡大プリントしてみると、似ているよ うでもあり、似ていないようでもある。電話(075-752-1411)でたしかめ ると、まったくの別人だった。 二十ヶ月ぶりに、同志社中学高校同窓会事務局に電話。Ms.Takase の 在席を見はからって再度電話する。彼女は、本宮先生や高島春江先生の 教え子だったというから、いくらか相談に乗ってくれそうな気がする。 「他の先生たちの消息は、かなり判明したんだが、ポール先生だけが、 どうにも分からない。なにかいい方法はないだろうか?」 「前にも申し上げましたように、直接ご本人にあてて郵便をだします。 こういう方から、こういう用件で、ご連絡を希望されていることを伝え ます。そこで、ご本人がどうぞと言われましたら、事務局から郵便物を 送ります。ただし、アドレスをお知らせすることはできません」 「しかし、教え子が年賀状を出したいといってますが、先生は受けとり ますか、と聞くようなもので、どうも変だね」 ここで彼女は、思いがけないことを言った。 「それで、住所を知って、どうなさりたいんですか?」 「それはね、つまりだね、むかしお世話になったことを思い出して手紙 を書いたので、友人たちには配って読ませたが、せっかくだから先生ご 本人にも読んでもらいたいと考えたんだ」 「はあ、そうですか」 その口ぶりから察するに、そもそも彼女は、理解していなかったのだ。 教え子が恩師を思い出して、無沙汰を詫びて久闊を叙す、という文化は、 いまや失われてしまったのかもしれない。 思わずムッとするのをこらえて、一般論にもどす。 「かりに、ご本人が亡くなっている場合は、どうかな」 「それは、当事務局には関係のないことです。ご遺族の方から亡くなっ た旨のご連絡があればともかく、なければ確認の方法はありません」 「しかし、すべての先生方のご遺族が、同窓会事務局に死亡通知すると は思えないな」 「ですから、当事務局では、なにも分かりませんね」 「どうも何だね。ほかに方法はないものか」 「ありません!」 最後は、切り口上になってしまった。彼女にとって、老人の繰りごと が不愉快だとしても、なにか変だ。同窓会事務局の業務は何なのか。 ■2002/08/27 (火) 谷本先生への電話 彼女みずから最初の電話で、高島先生や北村先生が亡くなられたこと を述べていたが、これだって本人の許可がなければ、伝えるべきではな いことになる。 「分かったよ。ありがとう」と(怒鳴りつける前に)受話器を置く。 あまり、むしゃくしゃするので、誰かにぶっつけたい。本宮先生なら 聞いてくださるだろうが、前回の訪問記との落差がありすぎて、そぐわ ない。谷本先生に、はじめて電話することにした。実は、先生の授業を 受けたわけではないが、メールでのやりとりはすでに数回ある。 「先生、電話代のご心配にはおよびません。しかし先生のご都合だけは 確認しておきます。しばらくお話してもよろしいか?」 「今日は(妻の介護に)長女が来てくれているので、ちょうどええよ」 (ホームページによると毎週火・金曜日の夕方) そこで、そもそも本宮先生が電話と手紙をくださったことを、あらた めて話しはじめたところ、あろうことか不覚にも落涙してしまったので ある(はじめての経験だが、やんぬるかな、われ老いたり!) このあと一時間半にわたって、よもやま話を楽しむ(別稿に祥述)。 たとえば、謡曲《高砂》の一節を電話でうなったら、 「君、なかなかのもんやで」と褒められた。 かくして、すっかり気分をとり直すことができた。 お礼に、下記のCDを謹呈、翌日発送する。 加古 隆《パリは燃えているか?》〜《Day was Day》P080 参照 〜 ■2002/08/31 (土) 谷本先生より 谷本先生から電話。謡曲《高砂》の収録された讃美歌集を入手され、 篠田某なる人のアレンジになるものという、まさに“電光石火”。 「きみ、もういっぺん歌うてくれんか」と所望される。 「そや、まちがいないわ」と、先生も興奮ぎみである。 「カナダの有賀君にも知らせましょう、彼も歌ったことを思いだす」 「そうか、二三枚コピーして君に送るから、よろしく」 コピーが届いたら、すこし練習して、また電話で歌ってみよう。 有賀・木下両君には、かねがね先生のホームページ・アドレスを伝え ようと思っていたが、できることなら、ハモッてみたい。 その他は“委細後日”ということにしよう。 ひさびさに、心晴れる電話だった。先生、お元気で。
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