与太郎文庫
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2000年11月25日(土)  知られざる写真家 〜 マリオ・ジャコメッリの生と死 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20001125
 
 マティスとルオー(往復書簡)「黒は色彩の主役だ」
── 《新日曜美術館 20080413(日)20:45〜21:00 NHK教育》
 ▽マリオ・ジャコメッリ展【司会】檀 ふみ/黒沢 保裕
 
 Giacomelli, Mario 写真 19250801 Italy 20001125 75 /印刷所経営
http://www.conversation.co.jp/schedule/mario_giacomelli/
 知られざる鬼才、マリオ・ジャコメッリ展 20080315-0506 東京都写真美術館
 
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 今、ジャコメッリを観ること
 
 1950年代から写真を撮り始め2000年にその生涯を閉じたイタリアの写
真家マリオ・ジャコメッリは、戦後の写真界を代表する写真家の一人で
す。その長い活動期間と欧米での高い評価に較べると、我が国において
知られることの少ない写真家と言えます。イタリア北東部のセニガリア
で生まれ、ほとんどの作品をその街で撮り続けたアマチュア写真家です。
まとまった展覧会としては日本初となる本展では、「ホスピス」「スカ
ンノ」「若き司祭たち」「大地」といった代表作のシリーズはもちろん、
最晩年のシリーズまでも網羅し、強烈なハイ・コントラストで「死」と
「生」に立ち向かい、孤高の写真表現で現実(リアル)を抽象した
「ジャコメッリの世界」をご紹介いたします。
 
 今、日本ではジャコメッリと同じ2000年に亡くなった植田正治や、そ
の2年後に亡くなった緑川洋一といった地方に根を下ろして作家活動を
行ったアマチュア写真家が見直されています。一地方に腰を据えた作風
はイメージを素早く作り消費しようと待ちかまえる都会的趣向にそぐわ
ない面がありました。じっくりと凝視を求める作風だと言えます。ジャ
コメッリの作品からは詩や絵画に近い語法を読み取られるかも知れませ
ん。そのように見えることもまた写真表現の持つ豊かさなのです。ぜひ
この機会に我が国では「知られざる写真界の巨人」であり、「黒」と「
白」とを見事に操り、内面に胚胎した思いを表現しつくしたジャコメッ
リの写真群をご鑑賞下さい。
 
 マリオ・ジャコメッリ展特別寄稿
 
 めぐる〈生の時〉と〈死の時〉──蠱惑する“閾”の風景 辺見 庸
 
 ジャコメッリの芸術は深い蠱惑の森である。薄明のなかを歩けども歩
けども果てなく、終わりかと想うと、目眩く光がふりそそぎ、新たな風
景がもうはじまっている。どこか「劫(こう)」にも似た、時間的継起
の失せた記憶の葉叢にかこまれるうちに、私たちの意識はいつしかめく
りかえされて、陶然と、あるいは慄然として立ちつくすほかなくなる。
人の記憶や幻想や惑乱をこのように結像させてみせることを、たんに
「写真」という言葉におきかえてよいものか、私にはいささかのためら
いがある。ジャコメッリの作品はおそらく、写真をこえてひろがる、他
のアートにくらべさらに心的で先験的な芸術にちがいない。彼はまた、
ここが肝心なところなのだが、たそがれゆく森の奥の底なし沼にも似た、
人間意識のあわいに浮きつ沈みつする、いわゆる「閾(いき)」の風景
をもとらえようとする。なんという大胆なこころみであろうか。こうし
た冒険はしばしば、文学や絵画で専権的になされてきたのだが、ジャコ
メッリは写真映像によりジャンルの垣根をなんなくこえて、詩以上に詩
的内面、絵画よりも絵画的深みを光の造形に植えつけた。たしかに、彼
の諸作品を写真ではなく映像詩などと同定するむきがあったとしても不
思議ではない。静止画像でありながら、見ようによっては、ゆるやかに
うごめく動画でもありうる。躰の外側の眺望であると同時に、私たちの
内奥の景色でもある。しかしながら、ジャコメッリの芸術を二十一世紀
現在の無機的分類法にそうて画然と位置づけようとしたところで、どん
な意味をもちえようか。彼の作品はすでにして写真をぬけでて、言語世
界にも着床し、さらにそこからもゆっくりと飛びたって、未生以前の風
景とはるかな未来、すなわち〈生の時〉と〈死の時〉をいま、いく度も
静かに往還している。ジャコメッリの芸術はいつの間にか実時間を脱し、
そうすることで〈とことわの時間〉を獲得したのである。すぐれてカラ
フルなモノクロームを表現しえたことで、万象の色彩をつとにこえたの
である。それは、最新のデジタル技術を総動員してもよくなしえない、
魂の芸術である。
 
 ジャコメッリは心を乱す     多木 浩二/美術・写真評論家
 
 2000年に死んだこの写真家は、おそらく写真家のなかではもっとも複
雑な深さのなかでイメージを作っていた。ある文化を身につけ、それに
よって非常にゆたかな表現の可能性をえているが、そのさまざまな歴史
が縺(もつ)れながら、ジャコメッリのイメージに流れ込んでいる。それ
はわれわれの存在の深層を貫いて心を乱すのである。
 
 マリオ・ジャコメッリへのオマージュ   細江 英公/写真家
 
 マリオ・ジャコメッリは、「いまを永遠に」「永遠をいまに」という
写真家の願望を具現化した20世紀最高の写真家の一人だ。そして、いま、
時空を超越した写真がここにある。
 
 妥協を許さぬ迫力         ハービー・山口/写真家 
 
 僕がジャコメッリの写真を初めて見たのは、1970年代、当時暮らして
いたロンドンの書店であったと記憶している。表紙になっていた一枚は、
黒い衣装を纏った司祭達が輪になって踊っている楽しげな写真だった。
俯瞰で撮られていて、大地は雪で覆われ純白だった。世間の煩悩とは無
関係な人達の人間らしい振る舞い、その不思議な違和感と美しいモノク
ロのコントラストがずっと僕の頭から消えなかった。後に彼のことを辿
っていくと、死を待つ老人が暮らすホスピスを撮った最も重要なシリー
ズがあることを知った。フラッシュの光を無造作ともいえる手法で老人
達に当てている。このことで老人達の偽らざる死までの限られた時間を
残酷な程明確に写しとめている。さらにその後、僕は、畑に描かれた幾
何学模様を空撮で撮ったシリーズを知るに至った。
 この地平の模様は年齢に逆らえない深い皺を意味しているのだ。なん
という強さで人間の、または自分自身の内面をえぐる作品を写し出した
作家だろうか。世間の一切の商業主義を排したところでしか写し得ぬ、
彼独特の深淵の世界が、見る者に妥協を許さぬ迫力で迫ってくる。彼は
日本ではそれ程知られた存在ではないが、世界で最も真摯に「生と死」
を切り取った写真家の一人ではないだろうか。
 
 高潔な美しさ           福山 雅治/アーティスト
 
 絶望や失望さえも美しく切り取ってしまう。
『死』とは恐れだけではなく
 高潔な美しさも併せ持つのだと教えられた気がする。
 
 展覧会概要
 
■ 東京都写真美術館
会 期 2008年3月15日(土)〜5月6日(火)
会 場 map 東京都写真美術館 2階展示室
開館時間 10:00〜18:00(木・金は20:00まで、入館は閉館の30分前)
休館日:毎週月曜日(但し5月5日(月・祝)、6日(火)は開館)
観覧料 一般 1,000(800)円 / 学生 800(640)円 /
中高生・65歳以上 600(480)円
 
※( )は20名以上の団体および東京都写真美術館友の会会員
※小学生以下および障害者手帳をお持ちの方とその介護者は無料
※第3水曜日は65歳以上無料
主 催 朝日新聞社 カンバセーション NADiff
共 催 東京都写真美術館
後 援 イタリア文化会館
会場お問い合せ 東京都写真美術館
TEL : 03-3280-0099
http://www.syabi.com/
総合お問い合わせ カンバセーション
TEL : 03-5280-9996(月〜金 10:00〜19:00)
http://www.conversation.co.jp/
 
※本資料で使用している写真は全て報道用に使用可能です。
 必要とされるときはカンバセーションへご連絡ください。
 
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050605
 カメラマン 〜 男の中の男ども 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19900915
 風貌の人々 〜 土門 拳とその時代 〜
 
(20080413)
 


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