与太郎文庫
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2000年06月07日(水)  エンディング 〜 タテ・ヨコ・ナナメ 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20000607
 
 卒業式の当日、すべての先生に一言づつ挨拶するために、集団で走り
まわることを誰かが思いついた。このとき、すでに久保教頭に代わって
いた信楽教頭は、あたかもその非礼を咎めるように、立ち止まったまま
会釈をくれず、われわれの謝意は無視されてしまった。
 ほぼ八割の生徒が、同志社大学までストレートに進むつもりであり、
なかには家庭の事情やこころざしをたてて他の高校に行く者もいたが、
おおくは気分転換のチャンスにすぎない。
 
 卒業直前、選ばれた数人だけに、さいごの任務が課せられた。
 入学試験における指導員として、二人一組で各教室に配属され、答案
用紙を配って簡単な説明をしたり質問に応じることになった。与太郎の
ときは記憶がないので、この年はじめての試みであったかもしれない。
 どのような人選によったものか、かつて入学直後の学級委員であった
木村祥子君とのカップリングが再現して、二日間にわたって、はじめて
向きあって話をすることができた。
 まず最初は、受験生に身上調査書を記入させることである。たとえば
「お家の宗教は、何教の何宗ですか?」というような質問がつづく。
 そこで黒板にサンプルとなる記入方法を書いてみる。キリスト教なら
ばカトリック、バプテスト、プロテスタントの各宗派があり、仏教には
真宗、天台宗、日蓮宗などがある。さらにマホメット教もある、などと
説明する。
 ややあって様子を見にきた岡田先生が、黒板をながめて注意された。
「マホメット教より、イスラム教が正しいんや。まぁ、ええけどな」
といって出て行かれたあと、受験生たちも静かなまま時間がすぎていく。
 せっかくの機会だから、声をひそめて無駄話をはじめた。
「ゆうべ、風呂で考えごとしながら寝てしもうてね」
「アーさん、意外にのんびりしたところもあるんね」
 かつての学級委員で前生徒会長も、小声で応じてくれる。
「いずれ日本語は、タテ書きをやめて、ヨコ書きになるはずや」
「そやろか」
「だいたい、人間の眼はヨコに切れとるから、タテ書きは読みにくい」
「そういうたら、そうやね」
「まずは新聞からヨコ書きになる、つぎに雑誌や。最後に教科書かな」
「数字なんか、アラビア数字のほうが読みやすいしね」
 かくて与太郎は確信したのである。彼女が同意してくれたからには、
今世紀中に、すべての日本語は、すべてヨコ書きになるにちがいない。
 
 その後四十五年たってみると、このときの予想は順序が逆であって、
教科書は(国語を除いて)すべてヨコ書きになったが、雑誌のほとんど
は試行錯誤の結果タテ書きにもどり、新聞にいたっては、その気配なく、
おそらくタテ書きのまま絶滅する日を待っている。 (Day'20000607)
 
 月刊《アルペジオ》創刊にあたって、最後にスポンサーが念をおす。
「それでタテ書きかヨコ書きか、どっちにするねん」
「右から開いたらタテ書き、左からめくればヨコ書き、とする。真ん中
を開けば“ナナメ”というのはどうだ」 もちろん冗談である。
 一年後、与太郎の手をはなれた《アルペジオ》は、《季刊アルペジオ》
となり、翌年《音楽京阪神》と改称して、タテ書きに変った。
 ヨコ書きで、はなばなしく登場した高級雑誌《太陽 19630612 平凡社》
も、数年後には売上げが低迷して、タテ書きにもどった。
 しかるに、タテ書きで売上げを回復した実例も皆無なのである。
 
(20080630)
 
 上下左右縦横考 〜 ウワメ・ヨコメ・ナナメ 〜
http://q.hatena.ne.jp/1142217875#a499425
── 屋名池 誠《横書きの日本史 200107‥〜12‥ 岩波書店・図書》連載
 


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