与太郎文庫
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1991年04月25日(木)  君が代訴訟(1)

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19910425
 
 朴実さん 法廷証言記録
 一九九一年四月二五日「君が代」訴訟第一九回口頭弁論
(原告ら代理人は田畑佑晃弁護士)
 
原告ら代理人「証人の国籍はどこですか」
朴実    「日本です」
原告ら代理人「先ほどからお名前を呼ぶについて、パク・シルさんとお
      っしゃってますが、そのとおりですか」
朴実    「はい」
原告ら代理人「そのように発音するのですね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「戸籍上も朴実(パク・シル)さんと、こういうことですか」
朴実    「はい」
原告ら代理人「あなたの御職業は何でしょうか」
朴実    「音楽の教師です」
原告ら代理人「どこで教師をされてますか」
朴実    「自宅と南区の自分の生れた家と、それから京都子供の音
      楽教室とかで、あるいは東九条オモニ学校というところで
      音楽を教えてます」
原告ら代理人「その他活動されてる分野のほどはありますか」
朴実    「東九条を中心に、在日朝鮮人の二世、三世、それから日
      本人と一緒に民族民衆文化運動団体、ハンマダン、一つの
      広場という意味ですが、それの代表をしています。それか
      ら九条で在日一世のオモニ、お母さんという意味ですけれ
      ども、オモニたちと一緒に、識字学級、オモニ学校という
      ものをやっております」
原告ら代理人「住んでらした所で町内会長とかいうことも経てこられて
      るわけですね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「PTAの役員もされたことがありますか」
朴実    「はい。昨年と一昨年と二年続けて向島中学PTAの委員
      をしてきました」
原告ら代理人(甲第八一号証を示す)
      「陳述書という書面ですが、これはあなたが作成されたも
      のですか」
朴実    「はい、そうです」
原告ら代理人「末尾に朴実とサインがあります。これはあなたがサイン
      されたんですね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「印影が見えますが、これもあなたのですね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「ここに書かれてることは、間違いありませんか」
朴実    「はい」
原告ら代理人「この陳述書の八ページの終りから七行目、『日本籍朝鮮
      人』として、御自分のことを表現されてるようですが、そ
      のとおりですね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「これはどういう意味ですか」
朴実    「今まで在日朝鮮人といいますと、日本社会では、韓国籍、
      朝鮮籍を持っているものと言われていましたけれども、そ
      れ以外にも私のように帰化をして日本国籍を取得したもの
      が、一九五二年のサンフランシスコ条約以降、即ち在日朝
      鮮人が日本国籍を剥奪されて以降今日まで、約一五万少し
      ですけれども、いますし、その子孫も二十数万人います。
      そして、その他に日本人との婚姻関係によって、朝鮮人と
      日本人のいわゆる混血児が日本国籍を取得しています。そ
      ういう者が国籍は日本であっても、私の場合だったら在日
      朝鮮人として、朝鮮民族として生きたいと、そういう思い
      を現す言葉として日本籍朝鮮と言っています」
原告ら代理人「これは今まで一般的に使われていましたでしょうか」
朴実    「いえ、今まではあまりそういう言葉は使われていません
      けれども、私たち日本籍の朝鮮人の間で一九八五年ぐらい
      から使われて、徐々に広まっていってます」
原告ら代理人「特に、あなたはこの表現をお使いになってるということ
      ですね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「その表現をされているあなた自身の思いというのはあり
      ますか」
朴実    「はい。普通、例えば、アメリカ市民権を得てる人に対し
      て、日系二世、日系アメリカ人とかいう言葉がよく使われ
      てますけれども、その表現でいくと、私の場合は朝鮮系日
      本人という表現になってくるかと思うんですけれども、あ
      えて日本籍朝鮮人という表現を使っているのは、この日本
      社会で私たち在日朝鮮人は、韓国籍、朝鮮籍、日本籍を含
      めて、朝鮮民族であることを隠すことが多かったんです。
      そして、それは日本の社会の民族差別がある故ですけれど
      も、それをなくしていきたいと、そして朝鮮人が朝鮮人と
      して生きていきたい、朝鮮人と名乗りたいということの現
      れで、あえて日本籍朝鮮人と使っています」
原告ら代理人「一方で、日本国民であることも確かですね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「その思いもあるわけですか」
朴実    「はい」
原告ら代理人「この陳述書の末尾を見てください。『在日朝鮮人という
      呼称は、戦前の朝鮮半島出身者とその子孫、現在の韓国籍、
      朝鮮籍、日本籍の総称として使っています』とおっしゃっ
      てますが、このとおりですか」
朴実    「はい」
原告ら代理人「あなたのこの定義から言いますと、帰化された韓国籍、
      朝鮮籍の方、それから定住している韓国籍の方、あるいは
      朝鮮籍の方、それから混血の方、すべてを含むと考えてい
      いわけですか」
朴実    「はい」
原告ら代理人「そういう在日朝鮮人の方は、今日本にどの程度在住され
      ているんでしょうか」
朴実    「外国人登録法で登録した韓国籍、朝鮮籍者が約七十万人
      弱ですけど、おります。それら帰化したのが一五万人少し、
      そしてその子孫は二十数万人、これは推計にしかすぎませ
      んけれども、おります。それから日本人との混血者で日本
      国籍者も約二十万人近くおります、これも推計ですけど。
      合計すると約一二五万人近くが、私の言う在日朝鮮人にな
      ります」
原告ら代理人「今、日本の全人口一億二〇〇〇万ぐらいですか、そのう
      ちの一パーセント強の在日朝鮮人の方がいらっしゃるとい
      うことですか」
朴実    「はい」
原告ら代理人「京都ではどうでしょう」
朴実    「京都では韓国籍,朝鮮籍者は一年ほど前の法務省の統計
      では、京都府下で五万弱です。四万七〇〇〇人少しいます。
      けれども、それは日本籍者が含まれていません。京都は全
      国の在日朝鮮人の数の約七パーセントを占めていますので、
      その類推から言って、それに加えて三万五〇〇〇人から四
      万近く、日本籍者がいるものと思われますので、合わせる
      と八万五〇〇〇人から九万人近くなると思います」
原告ら代理人「京都は人口の七パーセント相当の在日朝鮮人の方がいら
      っしゃるというわけですか」
朴実    「京都府下の全人口からいきますと、韓国籍、朝鮮籍は二
      ・六パーセントになります」
原告ら代理人「七パーセントという数字はどうなるのでしょうか」
朴実    「日本にいる在日朝鮮人全体の七パーセントです」
原告ら代理人「いずれにしても、京都は他の地域、もっと多い府県があ
      ろうかと思いますが、全国的には在日朝鮮人の方が多い府
      県ということになるんでしょうか」
朴実    「はい、そうです」
原告ら代理人「あなたは、その一員であると、こういうことになるわけ
      ですね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「陳述書を読ませていただくとね、幼少のころかた苦労さ
      れてきた、日常的な差別の中で悩んできたということがよ
      くわかるんですが、具体的にここで何かおっしゃりたいこ
      とがありますでしょうか」
朴実    「……言い出すと、たくさんになりますけれども、まあ、
      陳述書にも書いてありますけれども、まあ、教育を受ける
      権利、民族教育は受けられなかったし、就職、それから住
      宅、結婚問題、あらゆるところでいろんな民族差別を受け
      てきました」
原告ら代理人「そういう中から朝鮮人であるということを隠す傾向があ
      りますね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「それは通名を使うこともそうでしょうか」
朴実    「はい、そうです」
原告ら代理人「帰化もそういう傾向の現れでしょうか」
朴実    「私の場合は小さい時から、そういう環境で育ち、私は兄
      弟の中で下のほうでして上の兄弟を見て、非常に差別を受
      けてきたので、小さい時から帰化をして、日本人になりた
      いと思っていました。そういうことが、帰化をしていくこ
      との根底にあります」
原告ら代理人「そして、あなたも帰化されたわけですね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「それは何年でしたっけ」
朴実    「七〇年四月に申請して、七一年の四月に許可がおりまし
      た」
原告ら代理人「確か、陳述書によりますと、日本人である奥さんとの結
      婚問題を契機にして、帰化申請されたということですね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「それはあなたが真に望んだことでしょうか」
朴実    「いろいろ迷いましたけれども、今の妻ですけれども、そ
      の時、まだ結婚していなかった妻の実家の両親が非常に反
      対をし、妻の母親が自殺未遂事件を起こしたりしまして、
      そして妻の父親から帰化をしてほしいと勧められまして、
      それでもちゅうちょしていたんですけれども、法務省に申
      請に行きました」
原告ら代理人「確か、あなたはクリスチャンですね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「奥さんもクリスチャンですね」
原告ら代理人「お子さんが大きくなって、学校での取扱いはどうでした
      か」
朴実    「……子供は三人いるんですけれども、学校は住民票など
      提出するので、住民票では戸籍名、日本名しか出てこない
      ので、最初は日本名の新井で通わせました」
原告ら代理人「その朴という本名ですね。元々のお名前を使ったことに
      ついてはどうでしょうか。反応ですが」
朴実    「…私ですか」
原告ら代理人「周り、特に学校、あるいは日常生活の中での近隣の反応
      をお聞かせいただいたらと思いますが」
朴実    「それで、上の子が四年生、下の子が一年生の時に、子供
      たちも本名の朴で学校に行き出しました。そうすると、最
      初は珍しいので、周りの子供たちも朴と使うと、この子が
      朝鮮の子であるというのがわかって、しょっちゅう家へ来
      て、韓国のこと、朝鮮のことを教えてほしいとか、そうい
      うふうにやって来ました」
原告ら代理人「差し障りは別になかったわけですね。むしろ逆でしょう
      か」
朴実    「ただ、けんかをして、いじめられたり、名前のことでか
      らかわれたりしたマイナスもありましたけれども、学校や
      地域社会では、皆が朴さん、朴さんと言って、私たちを朝
      鮮人として尊重してもらえるようになりました」
原告ら代理人「かえってよかったということですね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「そういう通称名という形で使って来られて、氏の変更手
      続をされましたね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「これは一回で認められたんでしょうか」
朴実    「いえ、最初八四年の四月に京都家裁で申立てたんですれ
      ども、秋に却下されました。二回目は、八七年の申立てで
      認められました」
原告ら代理人「家庭裁判所で認められた時の手続で何か印象に残ること
      がありましょうか」
朴実    「二回目は子供たち三人も呼ばれまして、担当、何て言う
      んですか、裁判官じゃなしに、調査官ですか、調査官から、
      別個に子供たちだけの事情聴取を受けまして、その中で 
      『私と名字』とかいう作文を書かされました」
原告ら代理人「裁判所がお子さんたちの意思を充分確認した上でという
      ことですね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「その作文の内容というのは御存じですか」
朴実    「本人たちや調査官から聞きましたら、三人とも日本の植
      民地支配時の『創氏改名』という朝鮮民族から無理に名前
      を取り上げて日本姓にさせたことの歴史に触れて、そうい
      う日本人から無理に作られた名前、それが結局、私の場合
      の以前使った新井という名字なんですけれども、そういう
      無理に使わされた歴史性を持ってる、そういう屈辱的な名
      前を使うのは嫌だと、そういうふうな表現をしたと言って
      ます」
原告ら代理人「ところでね、今日、法廷に出てこられた時に、着てらっ
      しゃるその服ですが、それは何というのですか」
朴実    「上がチョゴリで、下がパジです。普通、パジ・チョゴリ
      と言います。」
原告ら代理人「今日、特にその衣裳を着てこられた思いというのは、何
      でしょうか」
朴実    「今日四月二四日は、一九四八年、民族教育を取り戻すた
      めに、在日朝鮮人が闘った阪神教育闘争を記念する日でも
      ありますし、パジ・チョゴリにもいろいろありますけど、
      私の今日着てる白いものは、農民の着る服です。私の父親
      も母親も農村出身の農民ですから、そういう思いを込めて
      着てきました」
原告ら代理人「陳述書の末尾に楽譜と歌詞が添付されてますね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「これはあなたがお作りになった曲ですか」
朴実    「はい、そうです」
原告ら代理人「歌詞もそうですか」
朴実    「歌詞は在日朝鮮人の詩人が書きました」
原告ら代理人「陳述書の中身を見ますと、題名が『ウリエ・アボジ・オ
      モニ・ヨ』ということですね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「『私たちの父よ母よ』という意味ですか」
朴実    「はい」
原告ら代理人「これを作曲された思いというのは、どういうことでしょ
      うか。歌詞の紹介も含めて御説明いただけますか」
朴実    「私は音楽家で、出身大学でも作曲の専攻でして、言葉で
      表現するより、やはり自分は音楽で表現したいと思いまし
      た。私はずっと大きくなるまで、親を含めて一世たちを否
      定してきましたけれども、歴史を知り、いろんなことを学
      ぶにつれ、自分のそれまでの生き方が非常に恥かしくなっ
      て、やはり自分が今日あるのは一世たちのアボジ・オモニ
      のおかげである。で、その思いを三世である私の子供だけ
      じゃなしに、三世、四世の子孫に伝えていきたいと、そう
      いう思いでこの曲を作りました」
原告ら代理人「今ね、母あるいは父を否定してきたとおっしゃったです
      ね」
朴実    「はい」
原告ら代理人「それはどういうことですか」
朴実    「まず、日本の学校へずっと行ってたんですけれども、そ
      ういう中で自然と日本は朝鮮より一段優れている民族であ
      る、あるいは国であるというふうな意識と、現実に社会を
      見ていても、朝鮮人は多くがいわゆるいい職につけず、社
      会的に底辺に追いやられ、非常に貧しい暮しをしていたり、
      私の兄弟も差別で悲惨なめにあってきた。で、そういうと
      から親を恨み、朝鮮人をさげすんできました」
原告ら代理人「自分でさげすんでしまってたということですか」
朴実    「はい」
原告ら代理人「そういうお立場から、この度、学校教育の現場で、儀式
      で『君が代』のテープを流す、あるいは斉唱を押しつける
      ということについては、どういうふうにとらえておられま
      したでしょうか」
朴実    「私たちはびっくりしました。『君が代』の『君』という
      のは、天皇を指すものだと思います。私たち在日朝鮮人の
      苦しみは、その天皇の名によって植民地化され、言葉を奪
      われ、名前を奪われ、すべてのものが奪われてきたことか
      ら始まります。そして、それは今日まで尾を引いています。
      ましてや、その天皇をたたえる歌というものは、とうてい
      受入れられないものとして、衝撃を受けました」
原告ら代理人「そういう学校で、在日朝鮮人、あなたの子弟も含めて、
      公立の小学校、中学校に進学されることになるわけですね」
朴実    「はい」


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