与太郎文庫
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1987年06月04日(木)  山田家の人々 〜 風流堂眷属 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19870604
 
 チェロのレッスンに、運わるく、さきに山田くん母子が来ていた。
 いつも母上のピアノ伴奏で、上手に聞こえるのは、ずるいと思う。
 母上のピアノまで誉める先生は、ぼくにはケチばかりつけるのだ。
 
── 阿波さん、こんばんは。さっそく2番へ挑戦してくださいました
ね。(略)ここは、山田くん親子とぼく、先生がまるでそこにいるかの
ような場面展開がおもしろい。
 シナリオを組立てるような編集感覚が活かされていますね。
【松田師範代からの指南】20081203 22:54
http://es.isis.ne.jp/ [ISIS編集学校] 松岡校長
 


 山田 宏  Violin  19401124 京都 /忠男の長男“DJS”Trumpet(2学年後に同響)
 山田 明  Cello  1941?‥ 京都          /忠男の二男“DJS”
♀山田 慧子 Harp   1922‥‥ 京都          /忠男の妻(けいこ)19400211結婚
 山田 忠男 音楽評論 19110331 愛知 京都 19870604 76 /京都府教育委員長“ヤマチュウさん”
────────────────────────────────
 松田 薫  科学哲学 195109‥ 兵庫 京都       /同志社大学文学部卒業
──《血液型と性格の社会史 19940725 河出書房新社》
──《手のひらの科学 掌様学入門 19990311 河出書房新社》

 
── 何しろ後向きのわが家では、一年中が記念日に満ち満ちている。
(拙文「自伝にかえて」P29を参照のこと)(P147)
── 山田 忠男《ふるさとの歌 19681125 創思社》
 
 Key word of 山田 忠男
 
 未来への記憶(十) 〜 自伝の試み 〜  河合 隼雄
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20070719
 河合家の人々 〜 七人の男の子 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20060220*酔醒漫録
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050923 点鬼簿 〜 与太郎の過去帳 〜
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030507 ブラバン&シンフォニエッタ
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030505 ホザナ&ブラバン
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19850812*御巣鷹山の月
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19700305*プレイバック
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19510630*薬物疑惑 〜 眠らない人々 〜
 
── 十一月下旬、河原町四条通りの路上で、山田忠男教授(当時、
京都府教育委員長)に出会う。その背後に、浄守志郎氏があらわれた。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710217
 いそがしい指 〜 小林道夫リサイタルのあとで 〜
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19681125
── 山田 忠男《ふるさとの歌 19681125 創思社》
 
── 同志社大学の山田忠男教授には著書の引用をお許し願うため電話
したところ、京都音楽界三古老の雑談テープを採った筈、と貴重な資料
と日付を調べて下さるなど、思いがけない証言をいただいた。先生には、
もっと詳しいお話を一流の弁舌でお伺いしたかったが、こちらの準備が
できておらず、たいへん残念であった。(196807‥)
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19680707 あとがきにかえて
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19641110 同志社大学交響楽団定期演奏会
 
── ヤマチュー先生の奥方はピアノ、長男・宏君がヴァイオリンと
トランペット、二男・明君もチェロをよくする音楽一家である。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19560101 然かざりき
 
 この件については、山田 忠男《風流洞物語 1962 洛味社》にくわしい。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19710701 弓弦十話(その3)白鳥/終曲
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19310123 瀕死の白鳥 〜 三人のパブロワ 〜
 
── 山田忠男先生の《風流洞物語》(前頁)にある一件は 終戦直前
のピアノの値うち その無用の長物ぶりが うかがわれますね
── 山田 忠男《風流洞物語 1962‥‥ 洛味社》
http://d.hatena.ne.jp/adlib/18980801 十字屋十話 19680801
 
 画像=山田家の人々 〜 風流堂眷属 〜 (P43)

▲左はし、山田忠男先生。ピアノとハープ指導者、慧子(けいこ)奥様。
右、北白川小へ通われた御子息(ks020yamadafamily)▼北白川小学校の、
最初の校歌。蜷川虎三知事の詩に、山田忠男、府教育委員長、作詞作曲。
http://park3.wakwak.com/~kyotosakkon/ks020.html
 
── 山田忠男先生の慧子(けいこ)奥様は、シスAB型で、血液型が
変化する。
http://park3.wakwak.com/~kyotosakkon/ks005.html
 
── わたしと40歳ちがいなのに、「もう、ぼくも、古希が近いです」
と言われたとき、わたしは24歳だった。けれど、山田先生は、3月生
まれで、わたしは9月生まれだからかと、いろいろ考えさせてくれる先
生だった。
http://park3.wakwak.com/~kyotosakkon/ks060.html
 
── 山田忠男さんは、いつものように、わたしに転部や転科、音楽へ
の道をいうので、先生の息子さんは?と聞いたら、「うちの息子は、才
能がありませんよ」と言って、「この譜面、どうおもいます?」と言わ
れ、手書きのだったので、そんなの読めませんよといっても、「現代音
楽家」のを、手渡しをする。
http://park3.wakwak.com/~kyotosakkon/ks003.html
 松田 薫 京都昨今 3.芸術家、音楽家の「運命」
 
(20090428)
 
〔1〕 コメント(20130103 23:33)追記
 
 笛吹く人々 〜 ヤマチュウ一門の系譜 〜
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4276201608
── 山田 忠男《随想風音楽論 〜 新しい音と古い音と 198110‥ 音楽之友社》
 
…… 終戦直前のピアノの値うち 無用の長物ぶりが うかがわれますね。
http://d.hatena.ne.jp/adlib/18980801 十字屋十話 19680801
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19870604 山田家の人々 〜 風流堂眷属 〜
 
〔2〕 ウルシ≠ラッカー
 
……「来年の元旦は如何なることに相成るでしょうか?」
 「さよう。ま、アメリカ軍の使役にでも駆り出されて、街の防空濠埋
めってとこでしょう。もし、それまでこちとらの命がもてばね。」
 「ヘイ・ハリアップ、いうわけですナ。お互いに英語の辞書は空襲下
にも離さぬことにしましょう。」
 離すも離さぬも、彼中村大尉(位にその頃はなっていた)はトソの香
──というよりガントリーの残り香もとれぬうちに、三度目の応召と来
た。続いて眷族は与謝の海辺は岩滝へと疎開。府立一中に入ったばかり
の長男氏は、この海をポンポン蒸気で渡りながら、宮津中学へ下駄ばき
で通ったという。この疎開に際し、山人は、大荷物を洞内に預った。
 ピアノ──それも奥方おこし入れの時からという、笛の方とは比べ物
にならぬ逸物(?)。
 奥方は糸滝へ出発するに際し、
 「オジチャマ。ピアノは田舎の小学校にでも売るか、海軍にでも献納
してよ。」
 「いや、それより先にうちのピアノと一緒に焼けてしまっても知りま
せんぜ。」
 しかし、今だに仙人に成り切れぬ山人は、無料で海軍に献納するより
も、たとえ百円(勿論、当時の)にでもして疎開費用の足しにと考えた
のが間違いのもと。十字屋の紹介状を持って現われた滋賀県の山奥から
来たという女の先生は、
 「随分いたんでますわね。調子も狂ってるし、方々のウルシがはげて
るし、百円は学校から払いますが、運送費はどうなりますの?」
 カチンときた黒髪の山人は言下に答えた。
 「このピアノに塗ってあるのはラッカーであって、ウルシではござい
ません。調子の狂っているのは、貴女の頭の方ではないでしょうか。こ
れは海軍に献納することにします。とっとと、お引取り下さい。」
 読者の皆さん、ご安心あれ。かくしてこのピアノはどうやら今も健在
であり、中村大人愛嬢の日夜(?)愛用されるところとなっている。
── 山田 忠男《風流洞物語:京都随筆 196211‥ 洛味社》
https://ci.nii.ac.jp/ncid/BA47155886
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/********
  ↓
── 未来への記憶“山忠さん”── 《図書 19990500 岩波》P60
 
〔3〕 2ちゃんねる
 
https://grapee.jp/593701(20181121)
https://grapee.jp/wp-content/uploads/1242com_140950_0.jpg
── 《飯田 浩司のOK!Cozy up!毎週月〜金曜日 07:37》内にて放送
『鈴木 杏樹のいってらっしゃい』鈴木 杏樹さんが毎週異なるテーマの
楽しい話題で『いってらっしゃい』とあなたを見送ります。
 
…… 漆は、ウルシの木の樹液の分泌が活発になる6月頃、木の表面に
傷をつけて、そこからにじみ出た樹液を採ります。この作業は10月頃ま
で続けられます。
 樹液を採るのに使われるのは、樹齢10年から15年の木で、樹液を採っ
てしまうと枯れてしまうので、その年に伐採してしまうそうです。
 その後は切り株から出た芽を育てて、新たにウルシの木として成長さ
せて行くそうです。
 漆は精製や加工をした後、主に塗料として使われますが、塗った後の
漆の乾かし方が、とても大変です。
 何故なら漆の場合、他の塗料のように天日干ししても乾かないからで
す。
 漆が乾いて固まるには、適度な温度と湿度が必要です。温度が20℃〜
30℃、湿度が75%〜85%が最も適していると言われています。
 そのため『漆風呂』と呼ばれる、乾燥用の器具を使って、“漆が乾燥
して固まる条件”というものを作っているそうです。
 漆は“ピアノの色が黒い”ことにも関係しているそうです。ピアノは
ヨーロッパで誕生しましたが、ボディーの色は木目調でした。
 幕末の頃、日本にもピアノが伝わって来ましたが、日本の場合、ヨー
ロッパと比べると湿気が多いことから、木目調のものは適さないのでは…
と、ピアノを漆で黒く塗ったのではないか? と考えられています。
 またヨーロッパにも漆の素晴らしさが伝わって、その美しさからピア
ノを漆で黒く塗るようになったそうです。
こうした経緯もあって、現在もピアノの色は黒いそうです。
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1542758894/-100
 
(20181121)
 


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