与太郎文庫
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1983年03月01日(火) |
あいまいな記憶 〜 すれちがった人々 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19830301
小林 豊造 秀雄の父 1875‥‥ 東京 19210320 46 / ♀小林 精子 秀雄の母 1880‥‥ 東京 19460527 66 /〜《無常といふ事 1946》 小林 秀雄 文芸評論 19020411 東京 鎌倉 19830301 80 /〜《本居宣長 196506‥-1977 新潮》 ♀長谷川 泰子 1904‥‥ 広島 東京 1993‥‥ 89 /1925‥‥ 小林 秀雄(23)と同棲 ♀森 喜代美 19‥‥‥ /19340506 小林 秀雄(32)と鎌倉で結婚 ♀高見澤 潤子 随筆 19040603 東京 横浜 20040512 99 /田河 水泡の妻/旧姓=小林 冨士子 中原 中也 詩人 19070429 山口 東京 19371022 30 / ♀小林 明子 秀雄の娘 19370306 東京 /〜《文芸批評の行方 1937 中央公論》
…… 本当の誕生日は三月末だったという(Wikipedia)。 ── 高見沢 潤子《兄小林 秀雄との対話 〜 人生について 197001‥ 講談社》現代新書 215 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4061156152 ── 小林 秀雄《本居宣長 196506‥-1977‥‥ 新潮 197710‥ 新潮社 1984‥‥ 中央公論新社》 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4103082046 …… 小林は『本居宣長補記』のなかで、格別に痛快な比較を引用だけ ですませていた。それは『石上私淑言』(いそのかみのささめごと)が 引いた新古今の一首と『アンナ・カレーニナ』(580夜)の冒頭とを比 べてみせた箇所である。こういうものだ。 歌は「うれしくば忘るることも有なまし つらきぞ長かたみなりける」 というものである。『アンナ・カレーニナ』のほうは、「幸福な家庭と いうものは、どれもこれも互いに似たようなものだが、不幸な家庭の不 幸は、それぞれ趣きを異にしている」というものだ。 これが小林の「もののあはれ」についての提出の仕方なのである。 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0992.html(20040618) 松岡正剛の千夜千冊 第九百九十二夜 目次 テレビで見ただけか、それとも地方図書館の講演会で、偶然みかけた のか、まるで思いだせなくなったが、この高名な評論家が、自著を宣伝 していて「四千頁もあるから徳用だ」と語っていた記憶がある。 1978年秋、アシスタント学生の太田垣くんは、はるばる鎌倉まで出か けて、門前でうろうろしたという。老人があらわれたので勇をふるって 「いつも先生の御本を拝読しています」と云ってみた。 すると老人は「ありがとう」と云って邸内に戻っていった。 太田垣くんは、最敬礼して、ふたたび汽車に乗って帰ってきたという。 真摯な読者に「安いから徳だ」などという冗談は慎むべきだろう。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690320 読み返した本 〜 モォツアルト 〜 …… 幸福な家庭はみな一様に似通っているが、不幸な家庭はいずれも とりどりに不幸である。オブローンスキイの家庭は、ひどくごたついた。 ── 原 久一郎・訳《アンナ・カレーニナ 19691030 新潮社》P005 http://q.hatena.ne.jp/1368551872#a1201098(No.1 20130515 03:35:57) 一族自決 〜 self-determination 〜 http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3998788.html(No.1 20080506) (20081212)(20150102)
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