与太郎文庫
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1979年08月07日(火)  万巻・万感・満願 〜 映画千五百篇 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19790807
 Ex libris Web Library;
(表紙画像 モンロー)1946-1971 直之蔵書 19920625 市立図書館
 
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000J92W4E
── 猪俣 勝人《世界映画名作全史 戦後編 19741230 現代教養文庫》837
http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/4390108379
 
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  おわりに
 
 この本を書き終えたいま、私の心をとらえることは、全て思いのたけ
を書き尽したかどうかというおそれである。もちろんどんな仕事にも満
ち足りた“終り”などということはあり得る筈はない。ただ私は自分の
気持ちを出しきれたかどうかという点で、大きな不安が残るのだ。いま
流行っているウヰスキーのコマーシャルではないが──私は私の眼で見
ます。私は私の心で選びます。私は私の筆で書きます──ほんとうにそ
う三拍子揃っていれば、たとえその選び方が間違っていると人に衝かれ
でも、見方が見当違いだと指摘されても、書き方が拙づいといわれても、
私は敢えておそれない。それが私の正直な感じ方であり、私の実力であ
るといい切れるからだ。
 そもそも私はなぜこんな本を書こうとしたか、それは前著『日本映画
名作全史』を書き終った時、ひき続いて外国映画の木も書きたいと思っ
た。私は日本映画も外国映画も同じ時点で、同じ心で見てきたからだ。
だから私にとって、日本映画のことだけ書くのは、片手落ちの感をかく
せなった。私は再三いうように、映画史家でもなければ、映画批評家で
もない。現在日本大学芸術学部映画学科教授という大層な肩書をもらっ
でいるが、私は高い講壇に立って映画学の講義をしたことなど一度もな
い。もちろんこれからもやる気はない。私は自分が長年やってきたシナ
リオの道を通して学生たちの創作指導をしてやっているに過ぎない。だ
から私の書く名作映画史は、決して学問ではない。しいていえば、私の
精神史である。ことに青春時代の部分にはその傾向が強い。私は青春の
不安におどおどとよろめきながあたくさんの映画を見た。そして感じた
ことを、この本にあますことなぐ書きたかった。それは生きながらわが
青春への鎮魂歌をかなでることであり、恥多き人生への反省ともなれば
いいと思った。だから私はこの木を書くにあたって、幾多の名作映画を、
動かじがたい歴史の場に定説化することでの権威づけを避け、できるだ
け流動する感銘の上で捉らえるようにつとめた。したがって客観的な意
義づけよりは、主観的な面の評価に、より多くの比重を置いて作品を選
び、感想を記した。
 もちろん、いくら主観的にといっても、見ていないもの、見ても忘れ
てしまったものもたくさんある。しかし名作映画史という以上ふれずに
すませないものは、あとから調べて正しい紹介、評価をしたつもりだが、
大部分のものはまづ自分の印象を頼りに作品を選んだ。中にはストオリ
イを書いているうちに、自分ならこう書くのにと、余計なことを書きた
くなる誘惑にかられることもあったが、もちろんそこまで脱線しなかっ
た。当り前である。
 そうはいっても、この本は前著『日本映画名作全史』にひきつづいて
同じ体裁の外国映画史をという話し合いで始められた仕事なので、やは
り映画史としての客観的な12慮は当然しなければならないことだった。
そのためにはやはり、あれも、これもと、書き加えなげればならない作
品がどんどん増えてしまい、戦前篇、戦後篇とも、一部、二部で各百五
十篇づつ採録してもまだ心残りがあった。しかし文庫本としての許容量
もあり、結局合計三百編にとどめ、他に名作リストとして千二百篇をお
さめ、全部で千五百篇とした。そこまで揃えるとなると、もう主観的感
銘のとばかしもいっていられなくなる。いやでも調査力が必要になる。
しかし私はあくまで一貧乏シナリオ作家にすぎず、身辺には格別の資料
も、スタシフも、助手もいない。やむなく出版社の編集部の方に調査を
手伝って頂くことになっだ。加藤 敏雄、竹内 典子両氏にはたいへん御
面倒をかげた。深く感謝の意を表する次第である。
 なおこの本の書名についても一言しておきたい。私は初め『外国映画
名作全史』としていたのだが、出版社の意向で『世界映画名作全史』と
いう風に変更された。おそらく営業上の理由によるものだろうが、“世
界”というと、その中には当然“日本”もふくまれなければならずまた
視点の据え方も、地球儀を眺めるような抱含性をもつことが要求される。
ところが私の場合は“はじめに”おことわりしたように。これはあくま
でも日本にわたってきて、日本人の眼にふれ、日本の心に印された名作
の感銘を中心にして一つの映画史をまとめたのである。したがって地球
儀をぐるりと眺めるような離れた眼とは根本的に違う発想から始まって
いる。私としては書名と内容とのそうした違いにある恐れを抱かずにい
られないが、出版界には従前から“日本文学全集”“世界文学全集”と
いった用語の使いわけかたもあるので、その感覚で受けとめて頂ければ
差支えないものと思い、出版界にはまったくの駆け出しとして敢えて異
を唱えなかった。
 さて何はあれ、いま四百字詰原稿紙にしてざっと二千枚に及ぶ労働を
し終って、私はボロ綿の如く疲れている。正味半年間の仕事としてはさ
すがにちょっと辛度かった。しかし毎度のことだが、ごの仕事は駄目で
も今度こそ、この次ぎにこそ、といった都合のよい考え方が頭を拾げて
きて、疲れはてた体に新しい夢を芽生えさせる。いまもまたそんな夢が
顔を覗がせ、しだいに大きくふくれ上りつつある。五体の疲れはふとそ
んな夢で忘れるのである。
 その新しい夢について今はなにも語るまい。夢とは語るものではなく、
見るものだからだ。私はまた新しい夢を見、それを黙って書き綴らなけ
ればならない。そうすること以外に私の生きようはないからだ。まもな
く新しい年がくる。この本を読んで下さる諸姉諸兄の御多幸を祈って、
拙ないあとがきを終わる。
  昭和四十九年冬、多摩丘陵高幡不動の寓居にて── 猪俣 勝人
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 そして感じたこと(=正/誤=)そして感じたたこと(P479)
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030601 同年月日生れ
 猪俣 勝人 映画評論 19110627 東京   19790807 68 /田山 力哉の叔父
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