与太郎文庫
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1978年11月04日(土) |
書いた!稼いだ!倒れた! |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19781104 ── シーザーは告げた「来たり、見たり、勝ちたり!」、スタンダー ルも遺した「生きた、恋した、書いた!!」。時は移り、シバレン&カ ジサンに捧ぐ不滅のタイトル「書いた、稼いだ、倒れた!!!」、そろ いもそろって英雄好色? 不眠症オジサンと恍惚のトップ屋が再会 幽冥無実か幻か? シリーズ第二弾「冥土イン邪般」── ── 《幽冥対談:柴田 練三郎 vs 梶山 季之 19781104 月刊山陽》P04-05 ■ああカレーライス 柴田 なんで、俺が好色なんだ? 梶山 先生は岡山の御出身でしょう? 柴田 ウム。 梶山 生前に、ちっとも故郷に帰ってくれなかったから、地元の編集 者が恨んでるんですよ。 柴田 なんで? 梶山 中央の出版社ばかり儲けさせた。 柴田 それほど稼いでもおらんぞ。 梶山 まるで帰ってこない桃太郎だ。 柴田 そのうち帰るつもりだった。 梶山 先生も私も、書いて倒れたのは事実ですね。私は香港で取材中 にブッ倒れたし、先生は入院中《復讐四十七士》を四回分も書きためて 大往生されたそうですね。 柴田 そもそも一日五万円も部屋代をフンダクリおって、死んだあと で栄養失調が原因だったなどと噂されとるらしい。けしからん病院だ。 梶山 母校の慶応大学付属病院だから、文句いってもしょうがない。 でも、ほとんど食べなかったんでしょう? 柴田 俺は、まずいものは食わんのだ。 梶山 連日カレーライスを食べながら《眠狂四郎》を書かれたってい う巷説は本当ですか? 柴田 まあな。その前に、カストリ雑誌で新宿に家を建てた頃、三田 の後輩だった遠藤周作が毎日やって来おって、勝手に出前を注文しよる んだ。ウナ丼かなんか頼んで、台所でコソコソ食っとったらしい。 梶山 ガールフレンドまで連れこんで、たらふく食べさせてやった、 なんて告白してました。たいした度胸だ。 柴田 あんなヤツがカトリック作家と称して《キリストの生涯》を書 くなんぞ、もってのほかだ。 梶山 先生がキリストに見えたんだ。 柴田 迷惑千万だ。けしからん。 梶山 文学大賞をとった《沈黙》あたりから、ノーベル文学賞の可能 性も噂されはじめた。 柴田 なにが《沈黙》か、ヤツはおしゃべりだ。 梶山 でも先生には感謝してますよ。 柴田 フン。エラクなった礼のつもりか、自分の本だけ送ってくる。 《狐狸庵シリーズ》を英訳してみろというんだ。ノーベル賞の審査員も あきれるだろう。 ■最期のドボン 梶山 入院中もドボン(トランプのブラック・ジャック)をやってら したんですって? いかんですなあ。 柴田 看護婦に見つかると取りあげられるんだ。見舞客も気の利かん ヤツばかりで、しょっちゅうバレていた。 梶山 俳優の芦田伸介さんが、ちょくちょくカードを補充されていた そうですな、忙しい人なのに。 柴田 ヤツは役者だから、看護婦をダマすのがうまい。窓の外を眺め るフリをして“ああ君、クリープを持ってきてくれないか”それで看護 婦が出ていったスキに一勝負するわけだ。 梶山 まるで円月殺法だな。私は、こっちへ来るのが早すぎたから、 知りあいがすくないんです。これからは毎日でもお相手できますよ。 柴田 もうすぐ来そうなのは誰だ? 梶山 黒岩重吾は、とうぶん来ないみたいですな、若いとき死にそこ ねてるから。ほかに好き者といえば、先生をモデルに《ドボンの神様》 を書いた生島治郎あたりはどうかな。 柴田 アイツは、弱いくせに理屈が多いんだ。 ■狂四郎は死なず 梶山 五味康祐さんも、すっかり元気になられてテレビで人相見など はじめたらしい。 柴田 例の調子で、女子供に、いいかげんなことを言っとるんだな。 梶山 先生だって《週刊プレーボーイ》で「シバレンのダンディズム 指南」っていう星占いやってらしたでしょ。 柴田 円月説法と称してな、阿呆なガキどもの身上相談をやったこと がある。われながら今もってバカバカしい。 梶山 われわれは、こうして死んじゃったけど、架空の人物は死ぬと どこへ行っちゃうのかな。 柴田 さっぱりわからん。 梶山 眠狂四郎が、作者の枕元に立って話しかけるっていうシーンが ありましたよね。 柴田 あれは、苦しまぎれにデタラメを書いたんだ。 梶山 冥土で再会して、ともにドボンを楽しむなんてのはどうかな。 柴田 狂四郎は、実はまだ死んどらんのだ。いっぺん死なせたんだが 〈週刊新潮〉が、どうしても生きかえらせろっていうもんで、ムリヤリ 息を吹きかえすことになった。もういっぺん死なせても誰も信用しない だろうから、そのままだ。俺のほうが先にくたばったから、狂四郎は生 きっぱなしだ。 梶山 作者も、自分が死んだら主人公の運命はかくあるべし、という 遺言をすべきかな。 柴田 君は、早くから遺言を用意しとったらしいな。 梶山 メキシコ旅行の前に、女房と娘に書いたんです。パパはスケベ 人間とかエロ作家などと呼ばれているが、本意ではない。別にライフ・ ワークの準備もしてるんだ”という意味のね。 柴田 最初の喀血の頃か? 梶山 そうです。厄年だったし、ペンクラブのゴタゴタがあったりし て気が滅入ってたんですね。その年の暮に伊豆で百五十坪借りて百姓を はじめたんです。 柴田 大宅壮一氏が亡くなったのは、その前だったか? 梶山 二年前の一九七〇年ですね。大宅文庫も開館したので、私の責 任編集という形で《月刊・噂》を出すことにしたんです。 柴田 あれは、なんで廃めたんだ? 梶山 三年ちかく続いたし、表むきは石油危機のため休刊、というこ となんです。 柴田 赤字はたいしたことなかったんだろ? 梶山 偉い人には高い金を出さない、という方針でしたから。スケベ 作家がスキャンダル雑誌を出した、というんで、当初は政財界の購読申 しこみが多かった。警視庁でも毎号ていねいに読んでくれたらしい。 柴田 むしろ君のイメージチェンジが奏功したわけだな。 梶山 亡くなられた伊藤整さんと約束していたんです。伊藤先生が、 ある時「梶山君、太宰治というのは包茎だったんだよ。きみ知ってるか」 というんですよ。なるほど太宰は弘前高校時代に自殺を何回もやったり して、これは皮かぶりが原因じゃないかなと思ったときに、太宰の小説 は全部わかった。 柴田 伊藤さんは、太宰のを見たことがあるのかな 梶山 こういう話は、編集者しか知らないんです。だから、編集者を 大切にしなければいけない。 柴田 帝国ホテルで《梶さんを囲む編集者の会》をやったものな。 梶山 活字にならなかったお話の雑誌、というのが《噂》のキャッチ フレーズでして、武者小路じゃないけれども、新しき編集者村をやろう っていう気持があった。 柴田 大宅ノンフィクションにつづく、梶山クラブってとこかな。 梶山 たとえば、柴田錬三郎に対する編集者の評価というものは、あ んなにとっつきにくい作家はなくて、口も利いてくれん、というわけで す。 柴田 そうか。 梶山 ところが事実は逆だ。おれたちがドボンやってる時に来てみろ、 あんなガキみたいに単純な男はいないって教えてやる。 柴田 む……。 梶山 それとか、女の編集者だとガラリと態度が変るはずだ。 柴田 そんなことはない。 梶山 そういう噂の虚実を、時効を待って封印をとく。いますぐ引っ ぱがす、というわけではないんです。 柴田 それは、誰にも都合ってものがあるからな。 ■どっちが強い? 一刀斎と狂四郎 梶山 先生の場合、剣豪作家という、たぶん不本意なレッテルがある わけですが、五味康祐さんの一刀斎や連也斎との本質的な相違点は、の ちのちまで議論されるでしょうね。早いはなしが狂四郎は黒の着流しで、 金髪であり、相当なオシャレだ。それにくらべると一刀斎は、質実剛健 でムサくるしい。 柴田 作家の分身だからな。 梶山 ついでに申しますと、五味一刀斎は覚醒剤だが、柴田狂四郎は 睡眠薬の匂いがする。イザとなれば、どっちが強いでしょうね。 柴田 即効性という点ではヒロポンが有利だが、持久戦では不眠症が 勝つ。 梶山 しかしカレーライスだけでは、もたないでしょう? 柴田 酒色というものはだな、満腹してはイカンのだ。小食にかぎる。 梶山 向うだって、あんまり良いもの食ってるようには見えませんな。 お互いにフラフラと立ちあって、ふにゃふにゃ倒れるのではないか? 腹ペコと、寝不足じゃ勝負になりませんよ。ある評論家は、つぎのよう に分析しています。「柴田狂四郎の世界を支えるのが、ボードレール、 オスカー・ワイルド流の悪魔主義への郷愁であるとすれば、五味連也斎 の世界は、日本浪漫派ともいえる集団の論理に貫かれている。エロティ シズムは、すべて主家の存続のために行われる、個人を超えた行為に結 びつき、その故に一層エロティックである。 柴田 ふん。それがどうした。 梶山 つまり、狂四郎のエロ行為は無目的な性行為のための性行為で ある、というんです。 柴田 そんなことは俺の勝手だ。 梶山 すると、僕のようなスケベ人間は、どっちに似ているんでしょ うか? 柴田 どっちでもないな。発情期が終ってないだけだ。しかし、くだ らないことを書くヤツがいるもんだ。なんて男だ、その評論家は? 梶山 江藤淳ってんですね。評論家も編集者と同じように、大事にし てやらねばいかんでしょうか? 柴田 放っとけばいいんだ。たかだかチャンバラ物ごときに、もっと もらしい理屈をつけることはないんだ。 ■マイ・カープ 柴田 無目的という点では、君の野球好きが当ってる。あんなに忙が しかったのに「広島カープを優勝させる会」なんかやっとったじゃない か 梶山 初優勝を目前に、死んじまったのがね、残念でした。 柴田 五味康祐も、ジャイアンツが負けたといって頭を丸めたことが ある。自分がやるわけでもないのに、みんななぜそうカッとなるのか? 梶山 よく判らんのですが、カープのことになると血がさわぐんです。 一種の郷土ナショナリズムかな? 柴田 紀伊国屋の社長(田辺茂一)も、広島か? 梶山 いや。あの方はパトロンでして、何事にもカッとしない。カッ カしてる連中と一緒に居るのが好きなんです。 柴田 佐々木久子というオバハンも、カッカするわけだな。要するに、 カープが優勝すると、タダ酒が飲めるからではないのか? 梶山 彼女の場合は、酒が売れれば雑誌《酒》の広告が増える、オケ 屋の商法ですな。 柴田 こっちでは、プロ野球はやらんのか? 梶山 いま少しメンバーが足りなくて「広島カープ天国軍を結成する 会」というのを準備中です。先生も参加してくださいよ。 柴田 俺はゴルフの方がいい。 梶山 去年は巨人にいた木次文夫が来たから、ファーストは決定です 王や川上あたりは腰が曲がって使いものにならんでしょう。 柴田 あと何十年もかかるわけだ。 梶山 六大学OBなら多勢いるんです。 柴田 ドラフトじゃないのか? 梶山 もっぱら先着順です。【次号は川端 康成 vs 竹久 夢二】 ── 《幽冥対談:柴田 練三郎 vs 梶山 季之 19781104 月刊山陽》P04-05 ──────────────────────────────── 【しばた・れんざぶろう】1917.3.26岡山県和気郡備前町鶴海に日本画家 の三男として生る。県立二中から慶応義塾大学文学部支那文学科を卒業。 パシー海峡で七時間漂流し奇蹟の生還後、カストリ雑誌や月一冊平均の 少年読物などを書きとばし《イエスの裔》で1951直木賞受賞。1956週刊 新潮に長期連載の《眠狂四郎無頼控》で、五味康祐と並んで剣豪小説ブ ームを興し、独特のニヒリズムとダンディズムを貫いた。1978.6.30永眠。 ──────────────────────────────── 【かじやま・としゆき】1930.1.2 京城で朝鮮総督府役人の次男として生 る。戦後両親の故郷広島に引きあげ、広島高等師範を卒業。結核のため 就職試験に落ち、上京して同人雑誌懇話会を主宰。《週刊文春》のトッ プ屋となり1962《黒い試走車》で一躍流行作家、1969文壇所得第一位。 1971《月刊・噂》を創刊し、スケベ人間・エロ作家あどのタイトルを返 上すべく、ライフワーク《積乱雲》の取材中、1975.5.11香港で急逝。 ──────────────────────────────── ── 市川雷蔵は、長谷川一夫の後継者として期待された娯楽路線と、 独自の文芸路線の中間に《眠狂四郎》を生みだした。 ── 《知るを楽しむ・私のこだわり人物伝[再]「和の美・市川雷蔵論」 20050803(水)02:25〜02:50 NHK教育》村松 友視
木次 文夫 プロ野球一塁手 19370126 長野 19770513 40 /1960-61巨人
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作成日: 2005/08/31
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