与太郎文庫
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1978年09月06日(水)  幻のインタビュー 〜 初稿の草稿を発見 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19780906
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 
 Ex libris Awa Library;Personal Interview in Prad
 
── 有限会社アンビック(ゆうげんがいしゃアンビック)は、かつて
存在した、外国語を学ぶ学校を経営する企業である。創業の地は徳島県
徳島市であった。 アンビックの名の由来は、ambition + victory から。
以下の英会話学校の前身となっている。
 
── 株式会社ジオス(英称:GEOS Corporation)は、外国語学校[1]
を経営していた企業。GEOSは、Global Education Opportunities and
Servicesの略とされている。本社は東京都品川区大崎に所在。
20100420、東京地方裁判所に破産手続き開始の申し立てをし、経営破綻
した。(19861218 設立)── (Wikipedia)
 


 楠 才之丈 観光協会顧問 1918‥‥ 徳島 20030323 85 /阿波おどり実行委員長 1/恒男の父
http://www.awaodori.tv/journal/200303.htm
 楠 恒男  ジオス会長  19470614 徳島 /安藝 清の同級生(徳島県立城南高校)
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 安藝 清  イーオン社長 19470913 徳島 /イーオン&ジオス社長/アンジェラの父
/197305‥ アンビック創立 1989‥‥ イーオンに社名変更。
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 佐藤 正 イーオン副社長 19470831 新潟 岡山 /19780804 長男誕生(PRAD)
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♀Aki, Angela  タレント 19770915 徳島 岡山 /安藝 清の長女
/母はイタリア系アメリカ人/シンガーソングライター/166cm [A]
http://blog.excite.co.jp/angelaaki/
 アンジェラ・アキブログ:エキサイトミュージック連載ブログ

 
 販促懇談会 PRAD 紳士録(3)佐藤 正 氏
 
【さとう・ただし】昭和22年新潟県に生る。出版社勤務を経て、現在の
岡山分校に転職。(インタビュアー:難波 あきら)
 
──アンビックというのは、どういう意味ですか?
 
ボーイズ・ビー・アンビシャスの“Ambitious”と“Victory”の合成語
です。
 
──現在の規模をご説明ください。
 
七つの県と大阪府にあって、それぞれ 1.000人の生徒がおり、岡山で 
1.100人、広島は総人口が多いから、生徒数も多勢かというと、ご同業
の教室も多くて競合していますから(笑)やはり同じくらいの規模にな
るんです。ライバルという点では、英語だけではなくピアノや珠算もあ
りますし、曜日の調整もありますから、なかなか難かしいわけです。
 
──時間的にも、昨今の子供たちは忙がしいようですね。テキストは
どんなものを使ってますか?
 
アンビックの教材研究所で編集したもので、義務教育を了えた人と、そ
うでない人のために二種類があります。50才のかたでも、英語の力が
3才くらいだと、そのレベルから始めるわけです。
 
──独得の教育システムがあるのですか?
 
欧米の流派に属しているとか、特殊な原典による、ということはありま
せん。幼児教育については、私たちが目的とするのは、義務教育として
中学からいきなり英語を始める以前に、英語はどんなものか、外国語は
どんなものか、という興味を抱かせる点にあるんです。ですから何才ま
でにどの段階まで進めさせるとか、単語を何百種類おぼえさせるか、と
いうことではありません。なぜ英語が必要なのか、を理解させることか
ら、おおげさにいえば、世界観を身につけさせるのがねらいです。
 
──すると、従来の英語教育には問題がある?
 
いますぐ全面的に改められるか、というと多くの先生たちが失業してし
まいますので(笑)なるべく早く耳から覚える教育に改善すべきですね。
明治以後の外国語教育は、文字だけに頼ってきました。たとえば第二次
大戦の初頭には、アメリカは相手国のことばを知らずに勝てるわけがな
い、といって日本語の専門家を一挙に養成したのに、日本では逆でした
ね。敵国語を禁じてしまいました。そして敗戦後は義務教育の課目にし
た。これでは教える先生たちが少ないのも当然です。
 
──耳から覚えるには、中学からでは遅すぎるでしょうね。
 
 私たちが力を入れている幼児の早期教育については、いいか悪いか、
という問題が先にありますね。もうひとつは、英語だけでなくて、ピア
ノや珠算、算数専門の教室などの種類が多すぎないか、という疑問です。
私たちの立場からいえば、英語がいちばん(笑)そして、その英語教育
には、二通りの方式があるのです。一方の傾向は、教育教材を売ること
が業務の中心になっていて、テープやテキストが、だんだん高額になっ
てしまうと、教育本来の姿であるべき人と人とのふれあいが失われてい
くのではないか、と思われます。その点で、わがアンビックの年間教材
費は、わずか2000円くらいですから、ずいぶんお安くしています(笑)。
もう一方は、受験のための英語教育もあるわけで、これも私たちの目標
外なんもです。ほんとは、経営的には受験産業のほうがいいでしょうけ
どね(笑)
 
──早ければ早いほど良い、というわけで子供が生れる前から母親教育
とか、さらには結婚前の女性にも、その準備が必要である(笑)なんて
説もあるそうですね。
 
いろいろな観点はあるでしょうが、英語の早期教育が害になることはな
いわけです。ただし、家庭環境というものがきわめて大切です。私たち
は、教育の場やチャンスを提供しますが、そのあと家庭内で、どれくら
い協力していただけるかが問題なのです。お金を出して、週に何時間か
教室に通うだけで、外国語ができるはずはないんです。ご両親が共稼ぎ
していて、カギッ子になる時間だけ、なんでもいいから習わせる、とい
う動機では困りますね。現実には、このケースがかなり多いんですけれ
ど(笑)。
 
──逆に、両親が子供の将来に過剰な期待を託すケースもありますね。
 
 そういう両極端になるのは、全体的に教育文化そのものが貧しい段階
にあるからでしょうね。教育の方法についても、時代や立場によって変
化するし、何がベストであるか断定できないと思います。今の時点で、
私たちが精いっぱい努力して、与える側がベストのつもりでも、受ける
側にそう感じられないこともあるわけです。
 
──受ける側の、幼児を持つ親、あるいはこれから親となる人たちへの
メッセージをどうぞ。
 
英語学習は、最後は自分自身との対決になります。お金で買えないこと、
与えられただけでは、決して自分のものにならないことを理解して、ま
ず覚悟していただきたい。意欲さえあれば、ラジオ講座だけでもマスタ
ーできるだろうし、私たちは、チャンスと場所を提供するだけです。そ
の上でお手伝いできるとすれば、英語を学ぶことによって、当人がどの
ように変化していくか、を確認することでしょうね。
 
 ◇
 
──雪国の雪は、どれくらい降りますか?
 
昭和31年(1956)の豪雪では、4〜5メートル積ったこともあります。
もちろん国鉄はストップ、みんな二階から出入りしましたね。救援に来
た自衛隊員の中に、鹿児島の出身者がいて、この雪はいつになったら溶
けるんですか(笑)本気で尋ねたくらい、はじめての人には信じられな
いんです。この下に家あり、と立札が立って、曲った道も最短距離で歩
いて行けるわけです(笑)吹雪の時には、大人でも迷子になりますから、
交差点に青竹を立てて道路標識にします(笑)。
 
──その雪が溶けないとすれば、どうするんですか?
 
だいたい1メートル積ったら、戸が開かなくなりますから、雪おろしす
るわけです。年に一回は必要です。そのつぎに雪あげ、といって屋根よ
り高いところへ移すのが二回くらいですね。年間8メートル降ります。
高校生のとき、アルバイトで雪おろしをしましたが、一軒で半日かかり
ます。当時で3000円という重労働ですね。
 
──雪あげ、だと何日かかりますか?
 
これはもう請負えないんです(笑)。
 
──新しいビルなどは、自動的に溶解する装置がついてるそうですね。
 
長岡市のもつ特許方式でしてね。線路や国道など、舗装にも溶雪パイプ
やヒーターを埋めましたから、最近はラクになったでしょうね。
 
──岡山へ来られたのは?
 
昭和51年(1976)春、アンビックの岡山本校ができた時からです。それ
まで東京の出版社に勤めていたんですが、妻の実家も岡山で、子供を育
てるなら、あったかい土地がいいだろうと(笑)。新潟から岡山へ来た
人は少なくて、良寛和尚とか、維新の志士で河井継之助についで、私は
三番目じゃないか(笑)。
 
──新潟の人は、辛抱づよい人が多いんでしょう?
 
 長岡から出た有名人では、田中角栄元首相とか山本五十六、それに
三波春夫という人たちですね。ただし、ほんとの県民気質はもっとコツ
コツと地味なんですがね。
 
(1978・09・06/プラド第40回例会より)
 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19781021 (協力:アンビック外語学院)
──  《英会話入門(1)スミス氏山陽路を往く 19781021 月刊山陽》
 
 販促懇談会 PRAD 紳士録(1)河部 克己 氏
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19780614 オール・ディ・イン・ビジネス
 
 販促懇談会 PRAD 紳士録(2)土井 文郎 氏
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19780705 スルー・ザ・スクリーン
 
http://d.hatena.ne.jp/aedlib/20100512 初公開 〜 幻のインタビュー 〜
 
(20100513)
 


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