与太郎文庫
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1977年09月12日(月) |
ふるさと日本のイントロダクション |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19770912 本郷 公【ほんごう・ただし】明治43年岡山県久米郡に生る。 東大独法科卒業。倉敷紡績・専務取締役を経て昭和49年現職。 (Interviewer:Yoshihuji, Ken'ichiroh) ──アイビー(ivy=つた)は アメリカ東部の名門大部の総称で ファ ッション用語としても アイビー・ルック などもっぱら若者の世代を 象徴しています 49年に倉敷アイビースクエアが設立されマスコミによ って全国的に有名なヤングのメッカと伝えられましたが もとより商業 主義一辺倒 あるいは虚像だけを売りものにしたレジャー産業でないこ とも知られています しかし十分に理解されているかというと かなら ずしもそうではない きょうは その点を くわしくうかがいたいので す 本郷 おっしゃるとおり ヤング一辺倒という印象は あるいは当然か もしれません 私どもから見てもお客さまの多くはヤングだしその一世 代の感受性にフイットする要素が 少なくないからでしょう しかし はじめからそれだけをねらって演出したのではありません 設立の目的も いろいろな要素があってひとつは 倉敷紡績発生の地 を記念することですね 当時の工場をなるべく残し残せるところは残す ように工夫しました注意して見ていただくなら 古い柱の傷ひとつにし ても 当時なんらかの実用性があったものは わざとそのままにしてあ ります“つた”も当時では保温と斬熱効果を考えて植えたものらしいで すね これが今になって 未来に向っての生命力のシンボルとして観賞 されるようになって あたらしい視点から評価を得ることができたとい えるでしょう こうした例をいくつか考えてみて単なる懐古趣味にとど まらずに 過去・現在・未来を通じての感慨にふけることも 私は大切 なことだと思うのです ──異なる世代との対話にも通じるわけですね 本郷 ひとつの物を眺めることから 若者と老人が 共通の話題をもて るようなそんな広場としてアイビースクエアを考えていただきたい こ の広場は無料で解放していますから 遠釆のお客さまだけでなく ご近 所のかたが散歩にこられてひとときを過ごされる あるいは都会の若い 人たちに接触する機会もあろうかと思います とくにはっきりした目的 がなくてもさまざまの人が自由に 歩いたり立ちどまったり 考えにふ けったりするのを静かに見まもっているような そんな広場が 私ども の理想の出発点といえるでしょうね ──そういう理想というものは やはり倉敷紡績の発展と伝統があれば こそ育てられたものでしょうね 本郷 もともと 初代社長 大原孝四郎が ひとりで思いついて始めた 事業ではありませんのでね 明治のはじめごろ 三人の若者が集まって これからの日本がどうなるか 倉敷の将来を託するには誰が何をどうす べきか ということから倉敷の長期的かつ健全な発展のためには紡績が よい と結論して 大原氏を説得したんですね 企業の社会的使命とか 周辺地城の利害などが論じられる以前の立場で 大局にのぞんでいたわ けです こういった姿勢は 歴代社長にも継承されて 本来の業務だけ でなく 福祉事業文化事業 さらには労働問題の研究でもそれぞれ大き な業績をのこしています 私どものアイビースクエアは こうした大樹 の枝に咲いた一輪の華であると自負しています 亡くなった歴代社長た ちが現在の姿を見て“われわれも同じことをやったにちがいない”とい われるように努力せねばなりません ──経営体としては どういう形ですか 本郷 すべての設備を倉敷紡績から借りうけて家賃を払っています 商 業空間としては実に“ムダ”が多いんです 採算のとれない部門もかな りあるんですが 広場の責任者として あえて改造しないつもりです 商業的に完壁でないことがひとつの節度のように思われます 加えて未 完成な面もいろいろありましてね しかし この未完成ほど意欲をかき たててくれるものは 他にありませんね ──ひとくちに文化事業といいましても大原美術館などは 倉敷そのも のを価値づける偉業で 文化とは何かを示した例といえるでしょうね 本郷 この場合も 大原孫三郎ひとりの仕事ではなく児島虎次郎という すぐれた友人を得た成果です 氏は画家としての業績もあるのに専門家 はともかく一般の人たちにとっては やや美術館のかげにかくれていま したね そこて47年にその作品集をあつめて 児島虎次郎館を建てまし た 大原コレクションに対して こちらは個人の美術館ですね そうす るとこんどは“西洋絵画の動向と展開”というテーマが泌要になって 複製ながらひととおり観賞できるようにしたのが アイビー学館です いうなれば 点と線が 一定の秩序でひろがっていきます もうひとつ の例をあげますと倉敷代官所を原型のまま休憩所にして使っています襲 撃事件のあった建物なんですが これなど幕末のエピソードといえまし ょうね倉敷記念館は 文字どおり近代日本産業の生いたちを如実に示す もので 併せて郷土資杵や吉備文明の歴史(アイビー学館)などたどっ ていただくと なかなか雄大な展望の糸口になるかもしれません ──なにげなく訪れた人が ふと興味を抱くということになれは理想的 ですね 本郷 戦後の急速な経済復興から 高度成長期を経て ようやく落ちつ いて考えるべき時がきたといえます もう一度 文化について見なおそ う という気運も出てきた 経済界では週休二日制の実現が この状況 をよくあらわしています 二日間の休日をどうするか 私の考えでは “休養と教養”にあてるべきですね 肉体的再生産と精神的再生産とい ってもいいでしょう とくに後者は これまで軽視されていましたね 実生活に関するかぎり 単なる“ムダ”にすぎなかったところが最近で は“必要なムダ”であることも理解されるようになった 学校がその場 であるなら 私どもの広場はよりリラックスした空間として活用された い教科書に対する副読本のような役わりを果したいと思いますね ──さきほどの未完成な面は 同時に 社長が抱いておられる夢でもあ ると思われます ぜひ聞かせてください 本郷 いろいろありましてね たとえば私の家の庭で見つけたミドリガ メをここへ連れてくると ちゃんと適応していることから思いついたの ですか ホタルを飛ばせてみたい それも業者が孵化したのを輸送して きて放すのではなく 広場の池で 卵から幼虫になるのを見ながら育て あげるわけです やがて飛んでいってしまって帰ってこないかもしれな いがこれはやむを得ない 夏の夜に地元の人がホタルを見つけて“アイ ビー広場からやってきたんだ”といってくだされば それで満足て-す ──精神的ぜいたくと申しますか(笑) 本郷 広場の中央は四方が壁で 夜空が一幅の絵のように感じられます この画面にあらわれる星のかずかずを何らかの方法でとらえてみたい のです たとえばプラネタリウムは宇宙の模倣てすけれどここには自然 そのものの星空が借景としてあるわけですからね 何かいい工夫はあり ませんかと倉敷天文台の 本田実先生にお願いしているんですがね(28 頁参照) ──ぜひ実現していただきたい夢です 本郷 実現できそうなものでは 駐車場の周囲に 苗木や近くの山から 移してきた木のコレクションです 各県各都市の県木・市木あるいは花 などをできるだけ集めて 訪れる人の“ふるさとの林”をつくりたい 諺に“一年の計をたてるなら穀物を 十年の計には樹を植えよ”といい ますからね ただし“百年の計は人”と続くわけで この方は たいへ んてす ──倉敷紡績としては まもなく九十年ですから 達成目前といえます ね 本郷 クラボウ・マンにとって 企業は生涯教育の場ですからね (19770912/倉敷アイビースクエアにて) 【次号は俳優・近藤 正臣さん むかしもいまも芝居が好き】 ── 《ふるさと日本のイントロダクション 19781002 月刊山陽》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19781002 ──────────────────────────────── http://q.hatena.ne.jp/1157516353/40345/ この人を見よ 〜 わが庭は緑なりき 〜 かつて、ホテル経営者に、インタビューしたときのことです。 社長は、ホテルの庭園を歩きながら、時折しゃがみこんで落ちている ゴミを拾うと、無造作に、背広のポケットにしまいこむのです。 (承前。アイビースクエア社長、大原 総一郎の学友) 本郷 公 元倉敷紡績専務 1910‥‥ 岡山 兵庫 19940616 83 / ── 《ふるさと日本のイントロダクション 19770912 frou-frou》 196906‥-197507‥倉紡専務 197305‥-197908‥倉敷アイビースクエア社長 197810‥近畿おかやま会副会長 (20050910-20061106)
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