与太郎文庫
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1974年07月25日(木) |
不同意 〜 つきあいにくい人々 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19740725 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html むかし、ラジオドラマ《アチャコ青春手帖》の子役が、同級生の女の 子に「宿題みせてくれ」と頼んで断られ「つきあいにくい奴っちゃなぁ」 と応じるセリフがあった(与太郎も、学芸会で同じような役柄を演じた)。 淀屋橋のタクシー乗場で、小林社長に同行中すれちがった(197307ca)。 接待担当者とおぼしき中年男に「センセ、もう一件どうでっか?」と 誘われ、往年の漫才師は「いやもう……」と、弱々しく断っていた。 一世を風靡した台詞「滅茶苦茶でごじゃりまするがな」「さいなもう」 ── 長沖 一《アチャコ青春手帖 1952-1954‥‥ NHK》 花菱 アチャコ 漫才 18970710 福井 大阪 19740725 77 /籍=藤木 徳郎 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20050923 点鬼簿 〜 与太郎の過去帳 〜 ◇ いったい、なにが気にいらないと、このような対応になるのだろうか。 (二年間にわたる二十人以上のインタビュー経験から、思いだしたこと) また、それによって何が得られるのだろうか。(1969ca) Dくんでさえも、三度に一度は「そやな」と同意することがあった。 音楽評論家のK先生は、一度たりとも「そうだ」とは云わなかった。 この二人の中間に、ヴァイオリン教師のM先生が位置する。 ── 「そやな、そのほうが分りやすいな」 いまだかつて、かくも恭順なデーやんの姿を見た者はいないはずだ。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20040228 自作自演 〜 デーやんの処女稿 〜 ── 「アンコールは何でした?」と問われたので「バッハのアリアで した」と答えると「なにか印象に残るようなことは?」「?」 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691122 楽中楽外 〜 音楽家たちの夜と昼 〜 ◇ その夜、神戸から京都に来られたK先生を、酒席に誘った。 電車で帰るつもりだったのを引きとめたものだが、おなじ方向に帰る Dくんとともに、行きつけの酒場に案内して、雑談が始まった。 なにげなく与太郎が「無担保無保証で借りられる」と云ったところ、 K先生は断固として「そんな融資はあり得ない」と反論した。 もとより「無担保または無保証で借りられる」と云うべきである。 しかし、そもそも酒席の雑談であり、まがりにも商店を経営している 与太郎に対して、いわば象牙の塔にこもるべき音楽評論家が、めくじら たてて主張するほどのテーマではないはずだ。 ことほどさように、ひとこと云うたびに反論されては話が進まない。 厄介なことに、同席者が楽器屋のオーナーや店員(当時のDくん)が K先生を無条件に遵奉しているので、ことごとく話の腰が折れる。 最後に(与太郎の勘定で)K先生をタクシーで送ることになった。 あらかじめ3000円を託しておいた運転手から、小一時間のち電話 がかかってきた(運よく与太郎は、おなじ酒場に居残っていた)。 「お宅まで、あと1000円ほどかかりますが、いかがしましょうか?」 与太郎は、店の者に「いいよ、この店に請求してくれ」と伝えさせた。 (これがもし、釣銭が余ったら、K先生はどうするつもりだったか) いま思うに、K先生は運転手に理不尽な態度をとったのだろう。 それ以来、与太郎は誰かに接待されても、帰りのタクシー代を現金で 受取ることはしない。額面のないチケットなら受取るが。 ── 山城 新伍が、あき 竹城の素顔を紹介した。 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20090812 再入籍・再離婚・脱戸籍 〜 山城家の人々 〜 (20091029)
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