与太郎文庫
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/19740410 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html 序に代えて 一 私の漢和辞典作り 私が漢和辞典を私の名で手がけてから、今年で丁度丸四十年、その間、 これで八冊目の漢和辞典作りである。同一人が同一出版社からこういく つもの類似の辞書を出すことについて、書店の中には迷惑千万だと言う 主人がいる。読者の中にもこういくつもの辞書を買わされてはやりきれ ないと考えている方があるようだ。しかし、私の考えは違う。 一人の人が同一の出版社から類似の辞書を出すことと、一人の名で別 々の出版社から同種の辞書を出すことと、どちらが筋道が通っていよう か。 辞書は飾っておくものではない。使うものである。常に使用している と、同一の辞書だって使い古して利用できなくなり、買い換える必要を 生ずる。私は中学一年生のときから本格的に漢和辞典を使い出し、大字 典は二冊、詳解漢和大字典は三冊使い壊した。辞源は二部、辞海は三部、 中華大字典は二部、漢字典についてもこの通り買った。しかも、今使っ ているすべてが、皆満足な元の姿ではない。 しかも、使い始めは、漢和辞典は芳賀剛太郎氏の二種、それから大字 典と詳解漢和と、そして、大学に入ってからは専ら簡野さんの字源を愛 用し、やがて、それも辞源・辞海の補助に使い、漢字そのものを調べる ときは中華大字典を使うようになった。国語辞典にしても、言海は三冊 目。いろは辞典・辞林・言泉・大日本国語辞典・大言海・辞苑を順次に 使用し、大日本国語辞典を愛用する。戦後のものでは、三省堂の辞海と 新明解国語辞典、ことに後者を常用し、ときには、簡便という点から新 潮国語を使う。かように、あちこちの辞書を使って来たのは、私の学力 の進歩と、社会の変革と、利用の目的とによるからである。 私が終始三省堂から各種の辞書を出すのは、利用者の学力の高低、使 用目的の差別、社会の変革を考えているからである。辞書作りに最も大 切なことは、説明の正確性と理解性との間の矛盾にあると信ずる。教師 の教壇上の説明にしても、小学生に対するものと、高校生に対するもの とは同じではない。用語の難易の差ばかりではない。小学生に対しては、 ときには正確性の点からは多少欠げていても、理解力に関して特別な注 意がいる。同一辞書内についてさえ、難しい言葉を引く人は、易しい言 葉を引く人より理解力の程度が高いはずであるから、説明は多少難しく てもよろしいわけである。 二 辞典の専門用語 このことは、専門用語、ことに百科語彙についてもいえる。一般の国 語辞書や漢和辞典は語学辞書である。したがって、これらの説明は専門 事典のように長い説明文を書くスペースは与えられない。こういう見地 から、私の漢和辞典では、学名、原語はできるだげ省くことにしている。 植物について、園芸品種かどうか、花はいつどんな色に咲くかとか、魚 類について、どんな形で、いつどのように料理して食べるかとか、こう いうことに重点を置くのはこのためである。そして、動植物について説 明を書くときは、常にそのものを頭の中に浮かべてから筆を執ることに している。… ── 長澤 規矩也《新明解漢和辞典 19740410 三省堂》P001 (C)1974 Sanseido Co., Ltd 長澤 規矩也 中国文学 19020514 神奈川 19801121 78 /書誌学 /号=静あん/書斎号=学書言志軒/法政大学教授 (20091021)
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