与太郎文庫
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/19731022 ── ある未知の理由で、ローマカトリック教会にパブロの誕生を報告 して、パブロの父親は2日遅れました。したがって、彼の誕生の公式の 公認の日付は12月31日です。(略) パブロの母親は11人の子ども、9人の少年および2人の少女を運びまし た。50歳のときに達する前に、子どもがほぼみな死んだことに注目する。 ── Marshall C.St.John《A Portrait of Pablo Casals 》 http://www.cello.org/cnc/casals.htm
Year-M-D(age)数え年 1855‥‥ 18561113 Senora Pilar Defillo de(Pabloの母)Puerto Rico に生れる。 1857‥‥ 1858‥‥ 1859‥‥ 1860‥‥ 1861‥‥ 1862‥‥ 1863‥‥ 1864‥‥ 1865‥‥ 1866‥‥ 1867‥‥(-9) 1868‥‥(-8) 1869‥‥(-7) 1870‥‥(-6) 1871‥‥(-5) 1872‥‥(-4)カルロス(Pabloの父)ヴェンドルの教会オルガン奏者に。 1873‥‥(-3) 1874‥‥(-2) 1875‥‥(-1) 18761229(00)スペイン・カタルーニャのヴェンドレルに生まれる(第二子)1231。 1877‥‥(01)パブロは、カタルーニャ語表記ではパウ(平和の意)。 1878‥‥(02) 1879‥‥(03) 1880‥‥(04)ピアノを始める。 1881‥‥(05)教会聖歌隊員になる。 1882‥‥(06)「マズルカ」作曲。 1883‥‥(07) 1884‥‥(08) 1885‥‥(09)オルガンを始める。 1886‥‥(10) 1887‥‥(11)〜1888チェロに出会う。 1888‥‥(12)バルセロナ市立音楽院で学ぶ。〜1893 1888‥‥(12)スッギア(スギア)チェロ(カザルスの前妻)Portugalに生れる。 1889‥‥(13)チェロはホセ・ガルシアに、作曲をホセ・ロドレダに師事。 189011‥(14)13歳、バルセロナの楽器店でバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜を発見。 1891‥‥(15) 1892‥‥(16)Casals,Enrique(Pabloの末弟、Spainに生れる。 1893‥‥(17) 1894‥‥(18) 1895‥‥(19) 1896‥‥(20) 1897‥‥(21) 1898‥‥(22) 1899‥‥(23)パリでデビュー。 1900‥‥(24) 1901‥‥(25)アメリカ演奏旅行 1902‥‥(26) 1903‥‥(27) 1904‥‥(28)バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏する。 1905‥‥(29)コルトー(ピアノ)、ティボー(ヴァイオリン)と三重奏団を結成。 1906‥‥(30)♀Metcalfe,Susan(soprano)最初の結婚〜1919 19060627(30)佐藤 良雄、秋田に生れる。 1907‥‥(31) 1908‥‥(32)ラムルー管弦楽団演奏会に指揮者兼独奏者として登場。 1908‥秋(32)父の死 1909‥‥(33) 1910‥‥(34)ウィーン公演で、演奏中に弓を飛ばす。 1911‥‥(35)Casals,Enrique(19)スペイン陸軍の召集に18年間アルゼンチン亡命。 1912‥‥(36)Corredor,Jose Maria(カザルスの秘書)、Spainに生れる。 19121119(36)井上 頼豊、東京に生れる。 1913‥‥(37) 1914‥‥(38) 1915‥‥(39)グラナドス《オペラ「ゴエスカス」》初演 19160324(40)グラナドス(48)夫妻、英仏海峡でドイツ潜水艦に撃沈死。 19161113(40)Malta(マルティータ)の母、Puerto Rico に生れる。 1917‥‥(41)クライスラー他「ニューヨーク・ベートーヴェン協会」設立 1918‥‥(42) 1919‥‥(43)第一次世界大戦の影響により、カタルーニャに戻る。 1920‥‥(44) 1921‥‥(45) 1922‥‥(46) 1923‥‥(47) 1924‥‥(48) 19251126(49)Istomin,Eugene George(ピアノ)Americaに生れる。 1926‥‥(50)バルセロナ勤労者音楽協会設立(年会費6セペタ、年6回) 1927‥春(51)ベートーヴェン没後百年祭。イザイ独奏の奇跡的復活 1928‥‥(52) 1929‥‥(53) 1930‥‥(54) 19310311(55)Pabloの母(74-77?)没 19310415(55)スペイン共和国誕生式典で《第九交響曲》指揮 1932‥‥(56) 1933‥‥(57) 1934‥秋(58)シュヴァイツァー博士に会う。 1935‥‥(59) 19360718(60)カタロニア最後のリハーサルで《第九交響曲》終楽章を指揮 19361017(60)児童協会コンサート放送でメッセージ 19370828(61)平井 丈一朗(康三郎の長男)東京に生れる。 1938‥‥(62)来日予定中止。1939再度中止。 19390126(63)スペイン内戦のためフランスへ亡命。3月国境に近いプラドに隠棲。 (カザルス・オーケストラ会計係の未亡人フランチェスカ・ヴィダルを同伴) 193909‥(63)ヒトラーのポーランド侵攻(第二次世界大戦)。 19391112(63)カザルス「パリ・デビュー40周年記念コンサート」 1940‥‥(64) 1941‥‥(65) 1942‥‥(66)カタロニア民謡《鳥の歌》チェロ独奏用に編曲 1943‥‥(67)カザルス《オラトリオ「まぐさ桶」》作曲に着手。 1944‥‥(68)194506‥《鳥の歌》BBC放送初演。 194506‥(69)ロンドンで演奏活動を再開。ボールト指揮BBC交響楽団。 19451113(69)パリでスペイン孤児院援助コンサート“至上のテクニック” 194511‥(69)フランコ政権に抗議して演奏活動を停止。 19461229(70)各国放送局から誕生祝メッセージ。BBC《サルダーナ》放送。 1947‥‥(71) 194810‥(72)シュナイダー「プラド音楽祭」を提案。 1949‥‥(73)(大阪で日本初の勤労者音楽協議会発足) 1950‥‥(74)スッギア(スギア)(61)(カザルスの前妻/再婚)没 19500602(74)バッハ《無伴奏第一番》没後200年「プラド音楽祭」開幕。 195111‥(75)佐藤 良雄を指導(二年半)。 1952‥‥(76) 19531229(77)各国放送局で《鳥の歌》放送後、誕生祝メッセージ。 1954‥‥(78) 1955‥‥(79)本拠地をプエルト・リコ(母&妻マルタの故郷)に移す。 195604‥(80)矢内原伊作に語る「音楽家には道徳的責任がある」。 1956‥‥(80)Corredor/佐藤 良雄・訳《カザルスとの対話 読売新聞社》 195702‥(81)平井丈一郎を指導(〜196104‥)195704‥最初の心臓発作。 1958‥‥(82) 1959‥‥(83) 1960‥‥(84)バークレー大学とマールボロ音楽会で「公開講習会」 19601224(84)自作カンタータ「まぐさ桶」初演。 1961‥‥(85)Corredor/佐藤 良雄・訳《カザルスとの対話 ディスク社》 19610406(85)来日。平井 丈一郎デビュー演奏会。 19610411(85)東京交響楽団、シューマン&ラロ《協奏曲》《第四交響曲》。 19610414(85)東京交響楽団、ボッケリーニ&ドヴォルザーク《協奏曲》《交響曲29》 19610416(85)19610417「チェロ特別講習会」 (鈴木 総/井上 頼豊/清水 勝雄/松下 修也/千本 博愛) 19610420(85)京都市交響楽団、ドヴォルザーク《協奏曲》 19610426(85)離日。 19611113(85)ホワイトハウス演奏会《鳥の歌》ホルショフスキー&シュナイダー 196204‥(86)「まぐさ桶」サンフランシスコ公演で「一人だけの平和巡礼」宣言。 1963‥‥(87) 1964‥‥(88) 1965‥‥(89) 1966‥‥(90)カザルス最後の「プラド音楽祭」総監督 19670920(91)Corredor/佐藤 良雄・訳《カザルスとの対話 白水社》 1968‥‥(92) 1969‥‥(93) 197004‥(94)ニューヨーク「子どものためのチャリティ・コンサート」 19711024(95)国連本部演奏会。 《国連讃歌》《鳥の歌》日本代表は欠席。 「《歓喜の歌》を、すべての町が、同じ日に演奏する」提案。 19711025(95)国連に中国が復帰。 1972‥‥(96)カンタータ「まぐさ桶」録音。カザルス財団設立。 197310‥(97)二度目の心臓発作。 1973‥‥(97) 19731022(97)プエルト・リコで死去(満96歳)。 1974‥‥ 1975‥‥ Istomin,Eugene George、カザルス未亡人Maltaと結婚。 19751120 フランコ総統(82)没。 1976‥‥ Corredor/佐藤 良雄・訳《カザルスとの対話 白水社(再版)》 1977‥‥ カタロニアに自治権復活。 19771207 佐藤 良雄(72)東京で没。 1978‥‥ 19791110 15:30 遺体を搬送、生地ヴェンドレル村に埋葬。 1980‥‥ 1981‥‥ 1982‥‥ 1983‥‥ 1984‥‥ 1985‥‥ 1986‥‥ 1987‥‥ 19880210 Corredor/佐藤 良雄・訳《カザルスとの対話 白水社(新版)》 1989‥‥ 1990‥‥ 19910802 井上 頼豊《カザルスの心 〜 平和をチェロにのせて 〜 岩波書店》 1992‥‥ 1993‥‥ 1994‥‥ 1995‥‥ 19961118 井上 頼豊(83)東京で没(桐朋学園大名誉教授)。 1997‥‥ 1998‥‥ 1999‥‥ 2000‥‥ 2001‥‥ 2002‥‥ 20031010 Istomin,Eugene George(77)没 2004‥‥ 2005‥‥ 2006‥‥
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19670920 《カザルスとの対話》 ── 井上 頼豊《カザルスの心 〜 平和をチェロにのせて 〜 19910802 岩波書店》 ── カザルスの演奏は、シャープ記号(半音高く)の音が半音より高 く、フラット記号(半音低く)の音がより低い傾向があると指摘された り、音程が不正確で現代と比べれば技巧的にはやはり前時代的などとす る批評もある。しかし、カザルスは、音程も表現の手段であり、同じ音 階でも、上昇するときと下降するときでは異なる音程をとる必要がある と語っている。したがって、カザルス自身はそのことを十分承知の上で、 表現上あえてそのようにしていたのである。 ── 《表現する音程》《カザルス略年譜》Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%B6%E3%83%AB%E3%82%B9 作成日: 2006/01/10
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