与太郎文庫
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1969年12月09日(火)  一聴一席⑧My Chin        ピーター・マーティン京都英国文化センター館長をたずねて

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691209
 
── せんだっての英国フェアでは いろいろ御多忙だったでしょうね
マーティン ええ だいたいは東京中心の催しでしたが 京都にも訪
問者がかなりありましたのでね 特にマーガレット王女ご夫妻が 当
センターに立寄られたのは たいへん光栄でした
── 英国フェアは これまで各国で定期的に催されていたのですか
マーティン いや 規模の大小も多種多様で 定まった期間のようなも
のはありません こんどの日本の場合は かなり大規模なものでしたね
── 英国では“イギリスの家は城である”というそうですが たとえ
ば中国では“みずからを修め家を治め国を治める”などと申します
家族制度や教育制度のちがいについておきかせください
マーティン 後者は 孔子の教えによるものですね 英国にかぎらず
ヨーロッパでは世帯の独立ということから 日本におけるほど 親子の
強力なつながりは ないようです 教育の制度も 日本では6・3・3
というふうに三段階に分れていますが 英国では5才~11才までと 11
才~18才までの二段階を採っています 16才で学業をはなれることもで
きるし それ以上の大学となると 日本にくらべてうんとすくないので
ほとんどは18才で社会に出るわけですね 近年の傾向として従来の選抜
方式から機会均等への移行がみられるのは 日本やアメリカと同じです
── 音楽教育としては ヨーロッパの古典音楽に限られるのでしょう

マーティン そうです 小学生の頃からイギリス民謡をはじめ 打楽器
や管楽器の演奏を学びます そして高等学校になると 技術的にすぐれ
たオーケストラ活動なども さかんにおこなわれています
── クラシックの音楽に関しては 英国には すぐれた演奏家や団体
がたいへん多く その水準は かなり高いわけですが 一方では作曲家
の数は それほどでないようですね もちろん パーセルやブリトゥン
の名は不滅ですが
マーティン エドワード・エルガーも ぜひつけ加えたいところですね
クラシック音楽というものが 19世紀ドイツを中心にさかんになったと
き ドイツの作曲家たちは いわば君臨していたわけですね たとえば
チェコにおけるスメタナのような民族主義的作曲家も 各国にたくさん
いたわけで 英国にもいたわけですが 国際的に迎えられるほどには
なり得なかったのでしょう 現代の英国には ウィリアム・ウォルトン
とか マイケル・ティペットなどが よく知られているのではありませ
んか
── 英国における民族音楽としては どんなものがありますか
マーティン フォーク・ソングです もとは農耕地方で 口づてに歌い
つがれていたものを 19世紀になって セシル・シャープという学者が
採集して集大成したわけです これを第一段階とすれば 次の第二段階
は 第一次大戦の兵士たちによって地方から都会に伝えられた時代を
いいます おそらくこうした音楽の特性が ドイツ的なクラシック音楽
に いますこしフィットしなかったといえるでしょうね
── そういったフォーク・ソングの伝統を 今日のビートルズは受け
ついでいるのでしょうか
マーティン 彼らはむしろポップ・ミュージックに属するもので 直接
つながってはいませんね
── 世界中を 飛行機で駆けめぐる 現代の吟遊詩人ともいわれた
彼らの作品についてのご意見を
マーティン 私の好きなものをあげれば《ミシェル》のような作品 こ
れはかつて 外山雄三氏の指揮で 京響ポップスでも演奏された美しい
曲です 彼らの作品の すべてではないにしても いくつかは後世に残
ることになるでしょうね
── 最近では 彼らはインドに魅かれて以来なかなか新しい音楽を
創りはじめているようです これなどは英国の伝統哲学・経験主義にも
とずくゆえん(笑)でしょうか
マーティン ちょうど昨夜は彼らのアニメーション風の映画《イエロー
・サブマリン》を観たのですけれども 彼らの意見や考え方そのものは
それほど重要ではないと思われます しかし大学を出ていないにもかか
わらず 鋭い感受性でもって現状打破を主張し 自由や平和や愛につい
ての発言が テレビを通じて若者たちのかっさいを得るにいたったのは
事実ですね もっともインド哲学の影響を受けたとすれば ビートルズ
というよりも ジョン・レノンのことで 他のメンバーたちは ローリ
ング・ストーンズなどと軌を一にしているでしょうね
── ところで 館長のおヒゲは彼らよりも古いようですね
マーティン そうです(笑)20年も前からですので 彼らはまだ小学生
だったようですね 実は 私の妻も 最初のデート以来いまだかつて
私の ほんとうのアゴを 見たことがない(笑)のです
── スコッチ・ウィスキーのラベルをはじめ 英国紳士のヒゲは た
いへん多いようですね 
マーティン 日本では いくぶん珍らしいもののようですが 英国では
ごく一般的なおしゃれでしてね もともと英国海軍で流行したものが
退役後もそのまま残すようになって いらい学校の先生とか 出版など
の知的な職業人に かなり多くみられるようになったのです せんだっ
て来日した ロンドン・フィルの男性メンバー60人ほどのうち3分の一
はそうだったし 国会議員にもかなりいます 正確な数字ではありませ
んが平均して男性の15%くらいに当るのではありませんか
── 日本では ごく最近もタクシーの運転士が そのためにクビにな
りかけたという裁判沙汰も生じています
マーティン 英国でも 財界とか ビジネスマンの間には少ないようで
すね いくぶん保守的な職業だからでしょうか
── ところで シェークスピア以来 イギリス文学におけるユーモ
アは定評のあるところですが
マーティン 現在も高令ながら健在のウッドハウスなども たいへんに
英語的な 英語ならではのユーモアの提供者なのですが それが各国の
ことばで 日本語にも翻訳されているものの はたしてどの程度まで
正しく伝わっているのか いささか疑問もあるわけです
── 英訳された俳句に対する私たちの不安に似ているでしょうね
マーティン 英国風のユーモアは 概してすこし控えめに表現するとこ
ろにありますね たとえば川に落ちて ずぶぬれになった紳士に向って
“少々おしめりになってますな”などというわけです あるいは学校の
先生がよく用いる手ですが 生徒がたいへん手まどっている時などに
“ごゆっくりどうぞ Take Your Time ”というぐあいです 実は
たいへん急いでいてもね(笑)ところが ことウィットの分野に関して
はフランスに一歩ゆずるべきでしょうね わがバーナード・ショウをの
ぞいてはね
  (1969・12・9/館長室にて)協力=門脇 邦夫/写真=館長自写
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── 「この本をみてごらん。ぼくらがバハマにいたとき、あるインド
人がめいめいに一冊ずつくれたんだ。サインがしてあって、一九六五年
二月二十五日と日付もはいっている。ぼくの誕生日だ。インドに興味を
もつようになってから、ごく最近になってぼくはこの本を開いてみた。
これはおもしろい。あのインド人は、ほんとうはなにか偉い人だったん
だ。彼の名前はほんとうはなにかの尊称なんだ。それからしても、どん
なに博識な人かが分る。/ぼくらは以前にもこの世にいたことがある/
絶対的な真理に到達するまでは、霊魂再来がつづくのだ。」
── ハンター・デヴィス Davies,Hunter《The Beatles,1968》/
小笠原 豊樹・中田 耕治・訳《ビートルズ 19690825 草思社》P314

── 講師紹介で、わたくしは「先生には四つの顔があります」と延べ
た。というのは、ペンギンブックの「日本の料理」の共著者であるいっ
ぽう、1979年の「禅の広報」以来、関西を舞台にした4冊の推理小説を
たてつづけにものせられた覆面作家ジェイムズ・メルビンその人でもあ
るからだ。
── 丹羽 友三郎 http://www/mie-kyobun.or.jp/Tayori/Ren055.htm

File'《朝日新聞 19820418 /週刊新潮 1982ca 》“007ばりのSF”
草稿“ピーター・マーティンの愉快な悪戯”
《ロビンソン・クルーソー(下)岩波文庫》参照
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