与太郎文庫
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1969年09月04日(木) |
一聴一席⑥異国の楽の音 ジェラール・ショーム日仏学館長をたずねて |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19690904 ── ことしはナポレオン生誕 200年というわけで フランスではさか んなようですね ショーム 伝記映画はじめ テレビ 新聞 出版など 商業的にもなか なかさかんです 今日のフランスは ドゴールの失脚以来 精神的に 意気のあがらないときでもあり ナポレオンを思い出すのは 当然でし ょうね たとえば ある雑誌では“ロシアに対するナポレオン”という 特集を組んでいます 大衆にわかりやすく紹介しているのですが現実の 政治との関連を重んじているのが一般的な傾向のようです ── 来年は 一つ若いベートーヴェンの 200年ですが 館長は音楽の ご趣味はいかがでしょうか ショーム 父がヴァイオリンを 母はピアノをやっていましたから小さ い頃から聴くことには親しんでいます はじめはやはりベートーヴェン やショパンなど ロマン派でしたね ── 演奏はなさらなかったのですか ショーム ボーイ・スカウトの時にコーラスをやった程度です 学校が カソリック系だったので グレゴリオ聖歌も少し学びました 17才の頃 に ラジオで 18世紀の音楽をあつめた番組があって 毎朝たのしみで した ── シャンソンはいかがでしたか ショーム 幼い頃から母がトレネの歌を口ずさんでいましたからね ポピュラーな音楽も バッハと同じくらい好きですよ ── モダン・ジャズではマイルス・デビスが映画音楽の分野でフラン スならではの活躍をしましたね ショーム そう アメリカの音楽に熱中した時代もありました 大学生 の頃 ジョリベやメシアンの演奏に接して感動したのをおぼえています ── フランスでは さまざまの音楽が同居していますが 好ききらい は人によってはっきりしているのでしょうか ショーム 私自身の好ききらいをいえば モーツアルトを最後に それ 以後のオペラ作品は好きではありません 旋律が気にいらないわけです いや ドビュッシーの《ペレアスとメリザンド》を除いてはね(笑) ── 近代音楽の開幕市場として パリにおける初演の記録は数えきれ ないのですが 現代の前衛的な音楽も 相かわらず さかんでしょうね ショーム いや 一般の演奏会でのプログラムは保守的なものばかりで せいぜいプロコフィエフ ショスタコーヴィッチ ストラビンスキーと いったところです 新しい音楽は主としてラジオ番組によって 少数の 支持者を確保しているにすぎません 新しいものを理解する人たちは 常に少数なのでしょうね ── 日本の現代音楽作品の多くは ある意味で民族的な要素と不可分 の関係にあるのですが ショーム そう タケミツ(武満 徹)の音楽などですね 私は日本へ 来る前は チュニジアやベトナムにいたのですが そこでは伝統的な様 式が守られていて その様式のままで現代的なものを創りだそうと試み たりするので できあがったものは まったくつまらない(笑)むしろ 私は日本の音楽の中では ガガクやブンラクに興味をもつのです それ も最初のうちは まるで判らないけれども 何度も聴いているうちに ある共通したものを感じるようになった しかしこれらの音階や台詞の 複雑なことは いずれも ウウ・ウー・ウーッ(笑)なんていう調子だ から 私のように興味をもった者でも とてもおもしろい というとこ ろまでには およびませんね ── どんどん外国に紹介さえしておれば やがて国際的に脚光をあび るというのは 安易な楽観にすぎないようですね ショーム ヨーガク・ホーガクというふうに区別しているようですが タケミツのように 両方をうまく融合していけば 可能性はあるでしょ う しかし ヘイケ物語による琵琶語りとか謡曲のようなものは 音楽 だけをとりだして ヨーロッパ人に理解させようとしても困難でしょう ね ブンラクにしても 三味線だけで訴えるとすれば 退屈なものでし かない ドラマチックな台詞と音楽が密接に一体化しているからです ── イベット・ジローが 日本語でシャンソンを歌っていたように 謡曲をフランス語でうなってみてもダメでしょうか(笑) ショーム とてもむずかしい問題だ(笑)しかし フランス人にとって ドイツ語の発音よりは日本語の方がやさしいこともあるし 新しいもの では いろいろに試みるべきでしょうね ── 日本にこられて どれくらいになりますか ショーム 1年ちょっとです パリを離れて12年になりますが フランス では伝統的なものは田舎でしか見られなくなった 日本 とくに京都は 都会にいてもそれが現代的なものとうまく混ざっている点で たいへん 気に入ってます 私は 個人的な興味から 京都のあらゆるお祭に出か けて写真を撮ったり 録音を採ったり 劇場や美術館に足を運びます そして料理もいろいろ食べてみる 実は今夜も 妻と一緒に日本映画を 観ることになっているのです (1969・9・4/館長室にて) ──────────────────────────────── 2階東の窓から、大文字山と京都大学がみえる。すでに送り火を了え た大文字と、紛争再開を目前にひかえた時計台との組合せが、午後4時 の陽に照らされて、いかにも目あたらしい借景に思われた。若々しい館 長は、手もとの雑誌を展げ、辞書をとりよせ、はてはマイクロフォンの 位置を修正されるなど、ことばのできないききてを終始気づかってくだ さった。ことばは平井美沙子女史に通じていただき、以下に大意をまと めた。異邦人の国異国の鳥たちの国フランスの文化は、はるか彼方の借 景ではあった。(まえがき→P183) ──────────────────────────────── 十字屋楽器店・田中昌雄社長の紹介で通訳をつとめた平井美沙子女史 とは初対面だった。おそらくフランス歌曲の声楽家であろうか、たがい に自己紹介も名刺交換もしないで、このインタビューは始まった。いち ばん面食らったのは、若き館長本人かもしれない。それぞれの相互関係 もわからない三人の異邦人を前に、すっかり緊張したようである。 ひとこと質問すると、ひとしきり館長の答がつづく。しかし通訳され た日本語は、ふたこと三言にすぎない。そこで、ややくわしく関連質問 すると、こんどは通訳がふりむいて「それは、あなたの意見ですか?」 と、事前に反問されるので、どうにも困った。まるで彼女はフランス語 をしゃべる自分のほうがエライのだ、と信じているふうだった。
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