与太郎文庫
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1967年01月20日(金)  退屈論

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19670120
 
──「人を退屈させてはいけない」エルミタージュ美術館の入口の標識
── 《世界・ふしぎ発見! 恋文でロシアを統治!? 幻の黄金宮
「女帝エカテリーナに学べ! 成功の方程式」20040717 21:00〜21:54 TBS》
 
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「エルミタージュ」という言葉は「隠れ家」を意味するフランス語で、
エカテリーナ2世はこの私的なサロンで国事を離れて、自ら集めた美術
品を親しい友人たちと密かに楽しみました。
 また、その入り口にはこんな言葉が掲げてあったといいます。
“この扉を通るもの、帽子とすべての官位、身分の誇示、傲慢さを捨て
去るべし、そして陽気であるべし”
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/kikaku/page/2004/0717/0717.html
── 《エルミタージュ美術館展 20040717-1017 江戸東京博物館》
東京都歴史文化財団、東京都江戸東京博物館、TBS、毎日新聞社、東映
 
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 退屈させない人間                竹内 康
 
 人を分類する方法は、古来いろいろな試みがなされて来た。しかし、
例えばこんな方法も考えられる。つまり、その人と一緒に居て、どれだ
けの時間退屈せずに過ごせるかという基準である。ものの2、3分話す
と退屈する人間もいれば、何時間いや何日一緒に過ごしても退屈しない
人間もいる。この分類から行くと彼は後者に属する。彼と話していると
5時間は退屈しない。手近かにアルコールでもあれば、その時間は倍増
する。これはすでに、何度も実証済みであり、私ひとりでなく彼を知る
友人の多くが認めるところである。では何故彼は人を退屈させないのか。
 例えば展覧会に行って絵を見るとする。不思議と私達は絵を正面から
しか見ていないものである。たかだか、見方を変えても、近づいてその
細部を丁寧に見る位である。ところが同じ絵でも、斜めから見てみると
また違って見えるものである。黒と思っていた色も、斜めから見るとそ
れまでに塗り重ねられた色が現われ、青や茶や緑に見えたりする。彼は
このようにものを斜めから見ることのできる視角を持った数少ない人間
である。だから彼と話していると、今まで黒と白のモノクロームだと思
っていた世界が、急に七色に見えたりする。この彼の独特の才能が人を
退屈させない秘密である。
 もっとも、ただ一枚の絵を斜めからばかり見ていたのでは、たとえそ
れが七色に見えても、それは歪んだ世界であり、その人は所謂変人と呼
ばれるに過ぎないであろう。かつての彼にはそうした嫌いがなきにしも
あらずであった。しかし近年、とりわけ頭髪をクールカットにし頭脳を
冷静にして以来、たとえ斜めから見ていても、それが正面から何度の斜
角で見ているのかという計算をするようになった。この計算が、彼の小
噺や、新しい仕事のアイデアを生む源ではないかと思う。これからも、
友人たちを退屈させない彼であってほしい。
── 《宴のあと 19670120 Awa Library》
 
── 私の浮薄というのは、自分がひとりでなく誰かといっしょにいる
と、すぐその誰かをよろこばせたくなるという性質で、芸術に関する何
かの観点、または以前から念頭にあった嫉妬に関する何かの疑念につい
て、それを正しに社交界に出かけた場合でないかぎりは、人の話に耳を
傾けて何かを知ろうとするよりも、しゃべりながら人を興がらせたいと
望む、そういう性質なのだ。しかも私にとって、見るということが可能
なのは、そのもののことを何かで読んですでに欲望が私のなかに目ざめ
ているとか、そのものの略画をあらかじめ私自身に描いていてこんどは
それを実物に照らしあわせたいと思っているとか、そういう場合でなけ
ればならなかった。
── Proust,Marcel 〜《A la recherchedu temps perdu, 1913-1927》
/井上 究一郎 訳《失われた時を求めて(10) 19930722 ちくま文庫》P056
 
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 井上 究一郎    仏文学 19090914 大阪     19990123 89 東京大学教授
 Proust,Marcel    作家 18710710 France    19221118 51
♀Yekaterina II      17290502 Duitch Russia 17961117 67
(エカチェリーナ 2“女帝” 17290421 Julius Russia 17961106 67)
籍=ゾフィー・フリデリーケ・アウグスタ

 
 桝君(キャセイ航空・田村忠彦君の同僚)の文章は、与太郎の結婚後
に編集する予定の小冊子《宴のあと》の趣旨を、みごとに誤解していた。
末尾に「この地で彼は生れ育ち、私と知り合った」とつけ加えてみたが、
やはりそぐわない。
 ロシア人の父と日本人の母をもつ、白皙の混血青年は、プラウダ紙の
愛読者として国際政治に通じており、ウィットに富む会話の達人である。
 決して退屈な男ではないが、このような場ちがいにおいては、やはり
とりかえしがつかない、という実例であろう。
── 《虚々日々 20001224 阿波文庫》P124 (追記)
 
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 姉・三・六角                  桝 優
 
 京都は8世紀末以来1000年の王城の地、つまりわが国の首都であった。
京都風とか、京好み、洛趣などということばがある。これらのことばに
は、みやびた、ゆかしい、おちついた、などのニュアンスが込められて
いる。このことは日本人なら誰しも感じているであろう。源氏物語、竹
取物語、和泉式部日記などの一連の王朝文学の舞台が、栄華物語、大鏡
などの歴史ものにあらわれる政治の葛藤が、われわれの京都で行われた
という事実が、京都をして日本人の心のふるさとと呼ばしめるのである。
のどかにも平和な日々をおくった平安朝の貴族たち、その陰で下積みの
生活をおくった庶民の声が、いまも文学に歴史にまざまざと残っている。
一般に京都の観光はこの伝統と文化を背景にした古社寺、史跡めぐりに
はじまるが、遠く脚を運ばずとも、丸・竹・夷・二・押・御池・姉・三・
六角・蛸・錦・四・綾・仏・高・松・万・五条の《町名づくし》で呼ば
れる街の中にも祖先の喜怒哀楽の歴史は懐かしくころがっている。観光
の対象を画一的にしばることなく、この雰囲気を味わうだけで充分であ
ろう。又さらに、それらを彩るのが沈潜した奥行きを感じさせる京都盆
地の風景であり、格子戸やのれんをかけた町家の続く独特の家並であり、
やさしい京言葉なのだ。京ことばは一体につまる音やはあねる音が少な
く、長く引く音が多い。したがって、せかせかした感じがなく、おだや
かで円味を帯びて悠長である。又京都の食べ物は概して質素で都市周辺
から出る野菜を材料とする漬物の味覚は格別である。
 京都の夏はかなり暑く、冬は底冷えで殊の外寒いところであるが、仕
事から開放されて4年の古都の景勝、遺跡、太古、王朝以来幾世代の変
遷を偲び、大いなる遺産について知り得たら幸である。もう春も間近か
である。げに夏冬を諦観し、春秋と天の時を楽しみたい。
 
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