与太郎文庫
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1959年03月17日(火) |
林太郎と国太郎 〜 何が彼らをそうさせたか 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19590317 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html 母と従姉の評定 母と菊さん(母の従姉)は、映画や芝居が好きだった。 二人でテレビを観るたびに「わぁ、もうこないに老けてもうて」とか 「なにが、何々嬢や」とか口々に評定していた。 沢村国太郎(津川雅彦の父)や、藤間林太郎(藤田まことの父)など、 とくに同世代の、往年の二枚目が脇役で現れるたびに、溜飲を下げた。 トーキーの出現で、約半数が生残れなかったようだ。 戦後に、沢村国太郎が中年の家臣として登場した時代劇のシーンは、 いまも与太郎の記憶にある。ついで、裕次郎・連太郎の《鷲と鷹》では、 三枚目の老船員として、おどおどした演技が印象的だった。 沢村 国太郎 19050601 東京 19741126 69 /長門 裕之の父/マキノ智子の夫 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19400102 カツドウヤ三世 〜 沢村マサヒコからマキノ雅彦へ 〜 ── 《獅子の座 19530603 》《丹下左膳餘話 百萬兩の壺 19350615 日活京都》 http://movie.goo.ne.jp/search/result.php?n=%C2%F4%C2%BC%B9%F1%C2%C0%CF%BA http://www.jmdb.ne.jp/person/p0261920.htm やがて、テレビ時代の三枚目・藤田まこと人気が高まると、その父が 往年の二枚目であることを、母や母の従姉は(なぜか)知ったらしい。 そこで与太郎も、藤間 林太郎の名と顔と姿を覚えてしまった。 藤間 林太郎 18991225 東京 19701225 71 /籍=原田/藤田 まことの父 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19701225 生没同日(Wikipedia) /諸説 19601224(故62) 19601211(御59) from Web Library;藤間林太郎 http://www.asahi-net.or.jp/~ia6t-tkhs/j-movies-11.htm 日本映画俳優御写真/男優編11 ── (原田林太郎)明治32年12月25日生まれ。東京麹町区出身。 早稲田大学予科一年修了後、俳優をこころざし、国民座、童話劇団をへ て新文芸協会へ。舞台は明治座公演を最後に、大正9年国活をへて松竹 蒲田に。大正13年11月より帝キネへ。昭和8年大都のちフリーに。俳優 の藤田まことの父親。昭和35年12月11日没。 しかし、いま思うに、国太郎はともかく、林太郎の映画を観た記憶は ない。映像の記憶はないのに、鮮明なイメージは《日本俳優全史》か? 出演録では戦後十年間が空白で、goo は戦前の記載がない。 ── 《団十郎三代 19440622 松竹下加茂》《ひよどり草紙 19540210 新芸術プロ》 http://www.jmdb.ne.jp/person/p0307720.htm http://movie.goo.ne.jp/cast/108017/index.html 藤間 林太郎&沢村 国太郎・共演 ── 丸根 賛太郎・監督《高丸菊丸 疾風篇 19590317 歌舞伎座 松竹》 http://www.jmdb.ne.jp/1959/ci001280.htm (20100221)
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