与太郎文庫
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1958年01月20日(月)  チャンピオン

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19580120
 
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 高校氷上 第三日 男子個人 佐々木に栄冠 フィギュア
 
 全国高校水上選手権大会第三日の二十日は、午前七時から盛岡市高松
ノ池特設リングでアイス・ホッケー一、二回戦五試合、同八時からスピ
ード女子三千、一千、男子千五百、男子一万の五種目、フィギュアは
フリーを行った。予定されたアイス・ホッケー準決勝を最終日に延期し
たが、スロードでは女子三千に室間(室蘭●水丘)佐藤●子(南佐久実)
男子一万で小林(●谷工)鈴木(釧路潮●)三浦(盛工)と五つの大会
新を出した。団体では男子は苫工、盛工が1.5点差でせり合い、女子は
南佐久実が大量55点をあげ二位八戸東を30点引離して三連勝を確定した。
 アイス・ホッケーは苫小牧工、日光、釧路潮●が大差で、また愛知が
作新学院を接線の末破り準決勝に進出した。
 フィギュア男子は佐々木(同志社)が断然強く、女子は吉原(金蘭会)
が優勝候補の金子(川村女子学園)●●(金城学園)を押えてそれぞれ
優勝、団体では男子は同志社が初優勝、女子は金城学園が二連勝した。
◇…フィギュア…◇
【男子】①佐々木敏二(同志社)82・67(スクール 47・1、フリー 34・97)
席次数3②垣田(日大)70・58 ③今野(横浜)69・69 ④小泉
(同志社香里)⑤小林(甲南)藤田(愛知)
△得点=①同志社10②愛知10③日大9④横浜8⑤同志社香里7⑥甲南6
【女子】①吉原とき子(金蘭会)76・68(スクール 46・0、フリー 30・68)
席次数 5・5 
── 《同志社が初優勝 19580121 京都新聞》第27372号
 
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 悲痛だった吉葉山の記者会見 ~ 九日目の土俵から ~
 
 けいこ場の壁に「静粛」の張り紙がある。いつもなら元気な掛け声が
響いてくるのが、この日の吉葉山道場はお通夜のように静まり返ってい
た。ただ気負う報道陣が続々と詰めかけるだけ。吉葉山引退かどうか。
緊張はいやがうえにも道場の空気を重苦しいものにしていた。やがて十
二時十八分まちかねた報道陣の前に高島親方を先頭に吉葉山、中尾後援
会長が現われる。百人あまりの報道陣でギッシリ詰ったけいこ場ぎわの
十六畳の広間中央に紅潮した吉葉山がすわり「きょうかぎり引退します」
としわがれた声で発表、心なしか語尾がふるえていたようだ。つづいて
中尾会長が後援会の声明を発表する。
「二十九年初場所全勝優勝し、横綱なっていらい一生懸命土俵を勤めて
きたが相次ぐ病気、負傷のため武運つたなく初場所で土俵を去ること…
…」
 その間吉葉はうつむき加減に会長の読む一語一語に耳を傾けていたが、
握りしめるあコブシも限界にきたのか、クリリとした大きな両眼から大
粒の涙がせきを切って流れ落ちた。胸に去来するものは過去二十年間の
土俵の喜び、悲しみ、苦しみだったろう。会長の声明が終ると吉葉はわ
れに返ったかのように大きな手の甲で横一文字に涙をぬぐい「私は不思
議に3の数字に非常な縁があった。初土俵が昭和十三年、三十年初場所
から三場所連続休場、引退が三十三年です」としわがれたふるえ声で静
かに語った。思えば四年前二十九年前初場所に輝く全勝優勝を遂げ四十
三人目の横綱に推された時のあのはなばなしさはなく沈痛な記者会見で
あった。
 ○●…横綱吉葉山引退も、東西両支度部屋は予期していた通りという
顔。三横綱の土俵入りが終ると栃錦は「とても人ごとでない。あすはわ
が身だからね」また鏡里は「ハラは決めているんだから……」とそれぞ
れ毛布を体にかけて横になった。
 ○●…横綱陣の取組前に、場内アナウンスが初めて吉葉山引退を放送
した。このショックでもあるまいが千代、鏡の両横綱がコロリ、コロリ
と倒れる。首をまげ、考え込むようにして引揚げてきた千代の山は「先
に行きすぎた。攻めに出なければ水が入るのにね。ちょっと勝をいそい
であわてた」と案外明るい表情。花道を寂しそうに引揚げてきた鏡里は
「勝とうと思って出たからいけないんだ。あわてたんだ」とさっぱりし
た顔。
 ○●…千代を下手ひねりで破った琴ケ浜は「右四つで相撲を取ったの
は生れて初めてだ」また鏡里を押出しで勝った若前田は「初めて勝った。
決まった時、横綱が四つんばいになっていた」とうれしそうに笑顔がい
つまでも消えなかった。
── 《大手でぬぐうホオの涙 19580121 京都新聞》第27372号
 
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── Cop'19580121 Sasaki
 紙面右方に、大相撲横綱・吉葉山の引退(19580120)記者会見。
 
 
 寝太郎(追辞)~ Epilogue ~
 
 昭和三十三年一月、同志社高校二年D組の司級・獅子堂静雄(生物)
先生は、居眠りしている生徒の肩をドついて目ざめさせてから、この日
の大ニュースを伝えた。
「いまごろ居眠りしおって、なにも知らんナ。けさの新聞をみるヒマも
無かったんやろ……」
 いつもながら先生の話は、あらぬ方角からはじまるので、最後の一言
まで聞きのがせない。よくわからないまま寝太郎も坐りなおす。
「帰ったらすぐに、けさの新聞を読んでみいよ。だれが写っとるか……。
わしゃ惚れぼれしたで、その笑顔の良ぇこと、あれこそ日本一の晴れ姿
やった、……(あとはムニャムニャ)」
 陶然とした表情のまま、先生は出席簿をかかえて教室を出ていった。
だれかが「なんのこっちゃ?」とたずね、だれかが「ササキのことや」
と答える。なんぞ悪いことでもやったにしては先生の表情と合わない。
「あいつ、何しょったんや」という声に、みんなが彼のほうを見ると、
席は空っぽである。本人が居ないから、事情を知る者をさがしだすと、
フィギャー・スケートで優勝したのだという。
 それも、昨年の優勝を譲った相手からタイトルを奪還したという。
 その伝聞によれば、連日未明に起床してランニングしていたという。
そのまま無人のスケート・リンク(当時はじめて完成した京都アリーナ)
に到着するや、たった一人で氷上を滑走するという。ときにはコーチも
付くのだろうが、想像するだけでゾっとするような寂寥感がある。
 あるいは、氷に対する厳しさを少年のような心につつんで、だれもが
知らない世界に賭けていたのであろうか。
 中学一年からの同級生である寝太郎と、二人そろって授業中に眠りこ
けたことはあるが、そんな話は聞いたことがない(へぇ、彼はスケート
なんかやってたのか)。
 それにくらべて寝太郎ごときは、チェロを抱えて登下校し、わずかな
休み時間にセコセコ鳴らして、放課後に数十人をかりあつめて棒を振る
など、いかにも世俗的である。
 
 この冊子を発送する前日、一冊の宛名を書きかえることになった。
そのいきさつを、ここに書きくわえたい。
 誰に約束したわけでもない、自分のための覚書きのような文集だから、
いずれそのうちまもなく、など五年もすぎてしまった。世間がはしゃぐ
“ミレニアム”につられて、世紀末に終えることにする。
 宛名を確認しながら、ふと彼がスケートで日本一になった直後の姿を
思いうかべてみるに、当時の新聞を見ていないし、のちの友人たちも、
現場で応援した者はいない。本人が見せびらかすことはないから、彼の
友人であることを自慢するにも、年月日だけでも知っておきたい。
 そこで彼に「いつか、新聞のコピーでもよいから送ってくれないか」
と伝えるために電話をかけた。
 
 この前に電話したのは、昨年九月八日午後十時ごろである。東京出張
のため不在だったので、二十七年ぶりに良子夫人と話をする。
「来々年は、カレも還暦なのよ」
「ボクはもう済ませたけどね。彼は何月生れだったかな?」
「三月三日、おひなまつりよ」
「だから二人も娘ができたのかな、両親ともに美男美女だから、天は不
公平だね」このあと夫婦のノロケばなしにつきあってしまう。
「奥さんと話しこんだから、ダンナはもう電話くれなくてもいいや。ど
うせ用なんかないんだから」と受話器を置いた。
 
 先の電話から三十九日後、彼女は未亡人となり、一周忌から七十五日
もたって、まぬけな悪友は、なぐさめる言葉もなかった。
「そうか、たいへんやったね。新聞の日付をしらべて、かならず写真の
コピーを送るからね」
 そのあとすぐ、葬儀に参列したはずの友人にたずねた。阪急電鉄では
社長室長もつとめたというから、冠婚葬祭の専門家にちがいない。
「君の印象では、彼の名誉はりっぱにたたえられていたか?」
「こう言うのもなんだが、はなやかなもんやった。オムロンの“大社長”
はじめ、めぼしい友人はほとんど来ていた。小学校の同窓生とやらで、
中村玉緒なんかの花輪もあった」
「いまごろになって、ボクにできることはないか?」
「そやなあ、線香にそえてお悔やみの手紙でも出したらええんちゃうか」
「抹香くさいのは似合わんから、手紙を書こう」 (Day'20001221-1223)
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 佐々木 敏男 19400303 京都 19991017 59/19580120 Champion !
 Figure Skating~《世界大百科事典 平凡社》国民体育大会/スケート
 
 当時のコーチを三十歳とすれば、現在七十三才。佐野 稔(二歳)、
伊藤みどりはまだ生れていない。
 吉田 肇によれば、佐々木の死の当日、夫人はアメリカ出張中だった。
(不確実な伝聞によれば、彼の父もアメリカで客死したという)
 中村玉緒(19390712生)は、立誠小学校の同級生(1993廃校)。
 安田幸世は優勝当日の目撃証人。文部科学省の記録によれば、彼自身
も出場していた。
 
 
Let'604-8074 *
 
 佐々木 良子 様
 
 やや季節はずれですが、あなたの故郷にちかい静岡産の温室メロンを、
送ります。
 あのあと、西山ドライブウェーの吉田 肇 君に電話をしたら、
「あれくらいヨメはんに惚れられたら、佐々木も男ミョウリやで」と、
うらやましがってました。だから、言ってやりました。
「オマエなんか、いまなんぼか稼いどるから、ヨメはんも大事にしてく
れるけど、引退したらホッとかれるぞ」
 あなたは、敏男君のりっぱな遺伝子を受けついだお嬢さんを、二人も
育てあげたのだから、これからもいっそう誇りたかく生きなさい。
 もし、彼の悪口をいう奴がいたら、かならずボクに云いつけなさい。
ボクがきつくしかってやります。
 彼のことを思い出したら、ボクにも電話しなさい(女房がやきもちを
焼くかもしれんが、ナニかまうものか)。
 十七歳のときの彼の写真が載っている新聞を見つけ出して、かならず
コピーを送ります(すこし時間はかかるかもしれないが)。
 こんどのボクの本には、彼のこと、あなたのこと、やしき・たかじん
のことなど、あちこちに書いてあるので、親しい友人や、先生たちにも
贈ることにしました。
 ではまた。
 
Fax :086-46*-****     E-Mail : awalibrary@dream.com
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710-00*-****       阿波 雅敏  086-46*-****  20001224
 
 
 Mai'20001222 from 西山ドライブウェイ株式会社
 
 お問い合わせの方々の住所は下記の通りです。
 中沢由美 610-1153 *
 栄楽祥子 573-0033 *
 河原満夫 610-0331 *
 
 吉田 肇  610-1124 *
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*死亡記事/《ヨミダス》参照
 
Tel' & Fax'20001225 from Mr.津田(京都新聞社・読者応答室)
Pho'19991019-20001225 075-241-5421
 
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佐々木 敏男(ささき・としお=府スケート連盟理事、元同大フィギュ
アスケート部ヘッドコーチ)17日午後8時58分、腹膜炎のため京都市上
京区の病院で死去、59歳。自宅は京都市中京区朝倉町534。告別式は21
日正午から京都市上京区堀川通出水下ルの京都中央祭典ホールで。喪主
は妻良子(りょうこ)さん。    ── 《京都新聞 19991019 》
 
 佐々木敏男氏(府スケート連盟理事)死去=京都
 
 佐々木 敏男氏(ささき・としお=府スケート連盟理事)17日午後
8時58分、腹膜炎のため死去。59歳。告別式は21日正午から京都
市上京区東堀川通出水下る192の1の京都中央祭典ホールで。自宅は
同市中京区富小路通三条下る朝倉町534、富小路アーバンライフ60
4。喪主は妻、良子(りょうこ)さん。
── 19991019 大阪朝刊 丹波セ 28頁 144字 01段 /読売新聞
 
 連盟委員を登録取り消し/日本スケート連盟
 
 日本スケート連盟は21日、関西ブロック選出のフィギュア委員佐々
木敏男氏の連盟登録を取り消した。事実上の除名。佐々木氏は、連盟や
フィギュア委員会の運営を批判した文書を再三日本体育協会など関係機
関に送付。連盟は、こうした文書の内容が事実に反し、連盟の名誉を傷
つけた、と処分理由を説明している。
── 19950722 東京朝刊 スポA 23頁 00144字 01段
 
 日本スケート連盟は4日、都内で理事会を開き、米同時テロ事件を受
けた危機管理委員会(委員長=松本充雄専務理事)を設置した。来年2
月に迫ったソルトレークシティー五輪動向の情報収集と、日本代表選手
の安全管理対策などが狙い。外務省や日本オリンピック委員会(JOC)
の米国派遣職員らとの連携を密にしながら、近日中にも第1回委員会を
開く。
 委員会は松本委員長以下、各競技部門の強化部長らがスタッフ。現在、
スピードスケートでは金メダル候補の清水宏保(NEC)ら選手、コー
チら35人がカナダ・カルガリーでの氷上合宿を行っているが、ソルト
レーク合宿は見合わせている状況。また、ショートトラックの日本代表
チームは、北米遠征のため今月11日に代表選手が渡米する。
── 20011005 MSN=YOMIURI ON-LINE
 
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―― 安田 幸世 やすだ・こうせい 昭15.5.5 伏見 政1 民社党
府運連副書記長 同志社大経 〒612 (075-64*-****)  
―― 《読売人名録 19910301 読売新聞社》P658
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→《落第生は二度眠る ~ 寒月の右手 ~ 20030115 》
→《幻の弦楽技法 ~ 出谷 啓氏への未投函書簡 ~ 20030115 》
→《チャンピオン 19580120 与太郎文庫》
―― 《同窓会始末 19710115 》虚々日々 P223
―― 《アキレスとメロス 19711114 》虚々日々 P127
―― 《くたばれ!たかじん 19960606-0607 》虚々日々 P234
―― やしき・たかじん《たかじん胸いっぱい 19930620 》虚々日々 P232
 
(20060109)
 


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