与太郎文庫
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1955年03月24日(木) |
佐藤家の人々 〜 りんご園の少年チェリスト 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19550324
佐藤 新之助 南部藩給人 18‥‥‥ 岩手 南部 19‥‥‥ ? /要之助の父/セツの夫 佐藤 要之助“鹿角りんご” 18590109 岩手 南部 18921025 34 /安政 6.0109/1887県議会議員 佐藤 良太郎 鹿角物産社長 18780705 岩手 南部 19120422 35 /良雄の父/静子の夫/やすの長男 ──────────────────────────────── 佐藤 良雄 チェロ 19060627 岩手 京都 19771207 71 /誤=19771217/京都霊園埋葬 /1918‥‥(12)小野 アンナに師事、1922‥‥(16)チェロを始める。[195111‥-195401‥] 滞仏
佐藤 良雄(画像) http://www2.city.kazuno.akita.jp/kyoui/senjin/15.html 鹿角市先人顕彰館 与太郎は、高校一年で《芸術新潮》を読んで知った。 その夏にヴァイオリンを始め、翌年、おなじく(16)チェロを始めた。 佐藤氏を訪ねて、将来の進路を相談したいと思った。 カザルスに手紙を書いた佐藤氏なら、与太郎の手紙を読んでくれるの ではないか。金谷常延氏だけが「あんがい成功するかも知れんぜよ」と 云われたが、肝心の金谷先生は「そんな甘いもんやない」と否定された。 ── この2枚の写真は音楽室の入り口の本棚に飾ってあるもの.わが 音楽室はいわば「佐藤良雄ホール」なのです 先生の門下には一線で活躍中のチェリストもいますが,多くはアマチ ュアです.才能教育で小さい子を教えるここと,ぼくのような大人にな ってから始めた人を手ほどきすることに最後まで情熱をかけていました. 何度も音大教授に誘われたけれど断ってきたそうです.アマチュアの 方が音楽をより愛していること,長い期間にわたって教えることが出来 るから,おっしゃられていました. http://members2.jcom.home.ne.jp/s_yanagawa/Sato.html 佐藤良雄先生(画像=カザルス) 与太郎が、チェロを手にしてまもなく《カザルスとの対話》の邦訳が 出版された。その初版(読売新聞社刊)は、あまり大切にしすぎたため、 《弦楽技法》とともに失ったが、結婚直後に再版された。 《音楽100年表》のあとがきにつづいて、《月刊アルペジオ》創刊 号の後記(読み返した本)にも(田中常務のすすめで)引用する予定だ ったが、いかにもの感があり、迂回した。 ── 訳者への手紙 親愛なる弟子よ 私は、きみが、J・M・コレドール著『パブロ・カザルスとの対話』 を日本語に翻訳中だと知って、たいへんに喜んでいます。そして、東京 でいよいよその出版が実現されたと、きみから通知をしてくれる日、私 は非常に幸福に思うでしょう。 私が日本に対して、いつもどんなに深い共感を感じているか、そして また、私がきみの国へ旅行することができるように、私を現在プラード に引き止めているさまざまな事情が消え去ることを、どんなに願ってい るかは、きみも知っているとおりです。 日本の音楽家や音楽愛好家たちは、絶えず私に感動的な愛情を示して くれました。私は、この『パブロ・カザルスとの対話』が、私の思い出 や意見を伝えることによって、その人たちと私とのあいだに打ちたてら れた精神的一致の絆をさらに堅くするであろうと確信しています。 親愛なる弟子よ、私の心からのあいさつを受けとってください。 一九五五年三月二十四日 プラードにて パブロ・カザルス ── Corredor, Jose Maria/佐藤 良雄・訳《カザルスとの対話 1954(原著)1956‥‥ 読売新聞社(邦訳初版)19670920 白水社》P005 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19670920 ── 高校を中退して上京し、この本の翻訳者である佐藤良雄氏を訪ね、 チェロではなく、インタビューの技法を教わることはできないか……。 当時のぼくは(十字屋の音楽教室で)才能教育研究会から派遣された チェリスト・野村武二氏に教わったから、佐藤良雄氏の孫弟子にあたる。 ならば“カザルスの曾孫弟子”を自称しても許されるはずだ。 下鴨の下宿先をふくめて合計5回のレッスンで挫折してしまったが。 その後の最新情報によると、このころ野村先生は亡くなられたらしい。 上野達弘氏のチェロで《野村武二メモリアルコンサート 20010825 》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/20080304 生没周年 〜 Year of commemoration 〜 佐藤氏は、京都西京区の京都霊園に葬られたとあるが、なにかの縁で 京都に寄住されたのだろうか(不確実な情報に、夫人の実家が京都とも) (20081017)(20210703)
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