与太郎文庫
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1951年05月01日(火) |
永井家の人々 〜 パウロとマリアの墓碑 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19510501 ── 永井 隆《長崎の鐘 194608‥ 》 ── 大庭 秀雄・監督《長崎の鐘 19500922 松竹大船》 ── サトウ ハチロー・詞/古関 裕而・曲《長崎の鐘 1949》 http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/nagasaki.html
♀永井 緑 隆の妻 191.‥‥ 長崎 19450809 3. /被爆死/洗礼名=マリア/旧姓=森山 /193408‥結婚(一男二女の母)19450810遺骸発見/ 永井 隆 放射線医学 19080203 島根 19510501 43 /長崎医大教授〜 □□ □ 長崎市職員 19‥‥‥ 長崎 /長崎市立永井記念館長2代目 永井 元 隆の弟 1913‥‥ 島根 19930118 80 /長崎市立永井記念館長3代目 永井 誠一 隆の長男 1935‥‥ 長崎 20010404 66 /徳三郎の父〜《長崎の鐘はほほえむ》 /1996時事通信社システム局次長を定年退職後、長崎市立永井隆記念館長4代目 ♀永井 □□ 隆の長女 193.‥‥ 長崎 194.‥‥ ? /長崎被爆前に夭折 ♀永井 茅乃 隆の次女 194.‥‥ 長崎 /長崎被爆/現姓=筒井 〜筒井 茅乃《娘よ、ここが長崎です 198501‥ くもん出版》 永井 徳三郎 隆の孫 1967‥‥ 長崎 /2002(35)長崎市立永井隆記念館長5代目
── 私が眠ったふりしていると、カヤノは落ち着いて、ほほをくっつ けている。ほほは段々あたたかくなった。何か人に知られたくない小さ な宝物をこっそり楽しむようにカヤノは小声で、『お父さん』といった。 それは私を呼んでいるのではなく、この子の小さな胸の奥におしこめら れていた思いがかすかに漏れたのであった。 ── 永井 隆《この子を残して 194804‥》 ── 「如己堂は、2畳ひと間きりの家、北側の壁に香台、本だなを取 りつけ、その下に幅2尺長さ6尺の寝台を置いて、ここに私は身を横た えている。西側は一面の白壁、何の飾りもない。東と南はガラス戸で、 草に埋もれる原子野を隔てて浦上天主堂に向かう。この家を狭いと思う は、なまじ敷居で庭と仕切って、この部屋をわが物ときめた人間がみず から招いた窮屈。・・・ 如己堂・・・己の如く他人を愛す、という意味を名にとったこの家は、 家も妻も財産も職業も健康も失って、ただ考える脳、見る目、書く手だ けをもつ廃人の私を、わが身のように愛してくださる友人が寄って建て てくださった。そして今にいたるまで、その数々の友の如己愛は絶えず この家に注がれ、それによって廃人の私は生命を確かにつないできた。 寝たきりの私と幼い2人の子とが、ひっそりと暮らすにふさわしい小屋 である。」(「平和塔」より) http://www.city.unnan.shimane.jp/iishi-sho/aitoheiwa/aitoheiwanoeria.htm http://d.hatena.ne.jp/adlib/19970205 二十六聖人の殉教(15970205 慶長1.1219)400周年 2007年4月18日(水) 02時58分
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