与太郎文庫
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1946年09月17日(火) |
草場家の人々 〜 草葉 ひかるの祖父 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19460917 ── 軍事法廷に検事側証人として出廷するのは、大陸鉄道司令官、草 場辰巳中将(陸士20期)、関東軍参謀副長、松村智勝少将(陸士33期)関 東軍参謀、瀬島龍三中佐(陸士44期)の3人であった。草場中将は東京に 護送されて4日目に東京・丸の内三菱ビル3号館の一室で自決した(1946 年9月20日未明)。 手帖に残され遺書には「私の罪は、私が大陸鉄道司令官であったのに もかかわらず、満州の避難民に輸送(列車)を確保できなかったことです。 私は死ぬほかありません」またロシア連邦国立公文書にある担当官の 報告書には『自分の仲間について証言することは非常に心苦しいと遺書 に書いてあった』とある(共同通信社会部編「沈黙のファイル」より)。 http://ginnews.hb-arts.co.jp/020410/hana.htm ── 並木 徹《銀座一丁目新聞》花ある風景(90) ── 第19旅団長草場辰巳少将は、北支作戦の時、隆平県城の城壁の上 から、10月13日未明、はからずも敗残兵による掠奪の場面を見たと言っ ている。 すなわち「隆平県城になだれこんだ敗残兵は、まず住民から衣類を奪 って便衣となり、次に食糧を奪い、財宝を奪い、明け方を待って逃げ出 す算段で、城壁がすでに日本軍によって占領されているのも知らず、城 内は敗残兵による掠奪、暴行殺傷等で阿鼻叫喚のちまたと化し、日本兵 はただしばし呆気にとられて、この地獄図を城壁から眺めていた」とい うのである。 http://jpn.dyndns.ws/~nanking/nanking.html ── 《南京陥落時の状況 19371213》 ── 戦後1946-1947年の南京軍事裁判(東京裁判とは別個開廷),い わゆる南京虐殺裁判Trial of the Nanking Atrocitiesでは,4名の日 本軍将校が裁かれた。第16師団(中島今朝吾中将[病死])指揮下の第19 旅団(草場辰巳少将)歩兵第9連隊第3大隊(冨山武雄少佐)所属の大 隊副官野田毅少尉と歩兵砲小隊長向井敏明少尉は,無抵抗の中国人を斬 殺したとして,死刑の判決を受け,1948年1月28日に銃殺された。そこ で,百人斬りの記事を捏造したことが,二人の処刑に繋がったとして、 『東京日日新聞』(現毎日新聞)浅海一男記者を非難する声,無実の武 人を殺したとする訴訟もある http://www.geocities.jp/torikai007/japanchina/nanking.html ── 鳥飼 行博《検証:南京事件 日中戦争の残虐行為・テロ・処刑》 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19530409 アイドル退場 〜 I'll never smile again 〜 http://d.hatena.ne.jp/adlib/19390831 草場家の人々 〜 草葉 ひかるの父 〜 (20071114)
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