与太郎文庫
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1946年07月23日(火)  幸田家の人々 〜 露伴の誕生日異説 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19460723
 
 ささやかな父の誕生日(最後の誕生日)
 
── 昭和二十一年夏、父(幸田露伴)の病気は、もう希望がもてない
ほどに悪くなっている。そういう中で七月二十三日を迎えることになっ
た。七月二十三日、父の誕生日である。
 父は誕生日についてはうるさい人、幸田家は茶坊主の出だから、そん
な折り目折り目を正しくする家だったのだ。
 私は一ト月も前から餅米や小豆を用意しておいたのだが、鯛を注文す
るのを忘れていて、あわてて魚屋に行った。鯛はないという。それでも、
鰻かいなだの大きいのをとたのんでおいたら、当日になると鯛があった。
中鯛とまで行かない六、七寸の鯛、これではと思ったが間に合わなかっ
た。
 お椀・野菜の甘煮・ひたしもの・塩焼き、それに赤飯をつけた祝い膳
を病床に持って行くと、父は横目に皿から皿へと目を移した。そしてし
ずかに仰向けになって眼を閉じたまま、にっこり笑った。
 
 お父さんは子供のときを思いだしている、おばあさんがきっとこんな
膳をこしらえたことがあるんだ、うちは貧乏だったというからきっとこ
んなお膳だったのだ。……私は閃いたことを確かだと思った。父の眼は
涙かあったんじゃないかと思われるほど優しかった。
── 幸田 文《父 〜 その死 195001‥ 中央公論文芸特集号/中央公論》
 
 文豪幸田露伴の最後の誕生日を、幸田文はこのように描いている。
…… 板坂 元《日本文学三六五日(下)19741210 講談社現代新書》
 


 司  成忠 海軍軍人 18601228 東京 19240815 63 /万延 1.1117
/千島列島探検開発/幸田 露伴&安藤 幸の兄
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 幸田 露伴 小説   18670822 江戸 19470730 81 /慶応 3.0723-0725-0726/潮SV-? 18670825
/籍=成行(しげゆき)/別号=蝸牛庵/1937文化勲章〜《五重塔》《幻談/観画談(他3篇)》
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♀幸田 延  洋楽教育 18700419 東京 19460614 76 /明治 3.0319/露伴の妹/東京音楽学校教授
 幸田 成友 歴史学  18730309 東京 19540515 81 /露伴の弟〜大阪市史
♀安藤 幸 バイオリン 18781206 東京 19630408 84 /幸田 露伴の妹/高木 卓の母/籍=こう
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♀幸田 文 小説/随筆 19040901 東京 19901031 86 /露伴の次女〜父・その死
/24歳で結婚、10年後に離婚。姉は夭折、弟も病死。
/二百十日、嵐の夜に生れたと教えられて育ったが、気象記録に合わない。
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 高木 卓 作家/翻訳 19070118 東京 /安藤 幸の子/籍=安藤 煕(ひろし)
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♀青木 玉 小説/随筆 19291130 東京 /幸田 文の長女/東京女子大学国語科卒〜《小石川の家》
/1959青木 正和(結核予防会会長)と結婚。
 青木 正和 呼吸器学 19270604 埼玉 /結核予防会長/1959結婚
http://www.jatahq.org/fukujyujishi/283/283.pdf
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♀青木 奈緒 エッセイ 19630414 東京 /玉の長女/幸田 文の孫

 
── 今日の吾人は古代に比し、もしくは原人に比して大なる幸福を有
している。(略)吾人は吾人が野獣たるを甘んぜざる……立場よりして
福を植えたい。── 幸田 露伴《努力論 1913‥‥ 岩波文庫》
 
── この日江戸の幕臣の家に生まる、明治のすぐれた文人で、また趣
味ふかい古典学者でもあった。主著『五重塔』『芭蕉七部集評釈』
…… 桑原 武夫・編《一日一言 〜 人類の知恵 〜 19561210 岩波新書》P123
 
(20090124)
 


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