与太郎文庫
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1945年12月05日(水)  幻の有賀勅語

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19451205
 
 占領文書収集の旅 〜 教育勅語の処理をめぐって 〜 鈴木 英一
 
── 京都勅語は、一九四五年一二月九日、京都に本部を置く米第六軍
軍政部の海軍中佐シーフェリンがCI&E局長のダイク代将に、書簡を
添えて郵送したものである。そのなかで、彼は、「あるかなりすぐれた
日本人教育家」が起草したものであり、「われわれの考えと同じである」
と結論付けている。/京都乃至関西の「かなりすぐれた日本人教育家」
とは誰か、/佐藤さんと私は強い関心を抱き、一九八一年一一月、京都
調査を実施することになる。さしあたっての手がかりは有賀や田岡であ
る。私たちは、当時お元気であった田岡先生をご自宅に訪れ、「京都勅
語」について尋ねたが、「全く初耳である」というご返事であった。そ
の後、同志社大学本部などで調査をしたが、有賀鐡太郎は既に亡くなら
れているということであり、さしたる収穫は得られなかった。京都を去
る直前、有賀の妻、ひで夫人と電話連絡がとれ、ご自宅に訪ねて、お聞
きした。当時、有賀が「僕が作った勅語が本当に勅語になるかもしれな
いよ」とひで夫人に語り、夫人が「そんな事あるかしら」と応じていた
ことをお聞きした。私たちは、作成者は有賀に間違いないと確信したが、
それを裏付ける資料には欠けていた。/翌八二年二月、私たちは、再び
京都調査を行った。京都大学本部に所蔵されている有賀鐡太郎の自筆履
歴書(一九四三年、文学博士の学位申請の際提出)などのコピーを入手
したほか、詳しく有賀の経歴や業績などを調査した。さらに有賀家で、
ひで夫人立会いのもとで、市販の小型ノートに書かれた当時の有賀日記
を拝見し、近くの文房具店でコピーした。/「十二月五日(水)晴れの
ち曇(略)三時半シーフェリン君打合せ通り学校に来たり、彼を伴って
帰宅、五時半まで懇談した。若し新しい教育勅語が発布されるとすれば
如何なる内容のものが願わしいかについて曾て彼からたづねられてゐた
ので慎重に研究し考へ祈った結果自分の答へを用意して置いて彼に示し
た。彼は全幅の賛意を表してくれた」/同年二月、佐藤さんの勤務する
国立教育研究所から科学警察研究所宛公文書で、墨筆で書かれた京都勅
語と有賀鐵太郎の自筆履歴書のゼロックスコピーの両者について、同一
人の筆跡によるか否か、筆跡鑑定を依頼した。科学警察研究所は二カ月
に及ぶ鑑定の結果、附属資料四八図(写真七〇枚)に及ぶ鑑定書で、両
者は「同一人の筆跡と推定される」と結論を下した。こうして有賀が京
都勅語草案の作成者であることが幾重にも裏付けられた。
 有賀鐡太郎( 18990401 < 19770525 )は、当時、同志社大学神学科
主任、後に京都大学文学部教授などを勤めた。彼は生涯、敬虔なプロテ
スタントであり、キリスト教史研究の傑出した学者であった。占領政策
では、こうした自由主義的知識人、とくにクリスチャンが活用されたの
であり、有賀の場合も例外ではなかった。同時に、有賀は、戦時中、権
力の弾圧からキリスト教や同志社を防衛するため、天皇を日本の中心と
して是認する「日本的キリスト教」を唱えたこともあり、当時は天皇制
擁護の立場に立っていた。そこから、彼は京都勅語草案を主体的積極的
に起草したのである。/当時の複雑な情勢や権力構造からも、京都の一
学者の手になる勅語草案が本決まりになるのは容易でなく、CI&E内
部の一資料に止まった。
── 《図書 199603‥ 岩波書店》P023-025
 


 新村 出(猛の父)言語学 18761004 山口 京都 19670817 90 /東京大学教授〜広辞苑
 末川 博     民法学 18921120 山口 京都 19770216 84 /1948立命館総長
/1933滝川事件〜基本六法/18921110 89(潮故)
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 ダイク     代将   18‥‥‥ America  19‥‥‥ ? /CI&E局長
 シーフェリン  海軍中佐 18‥‥‥ America  19‥‥‥ ? /第六軍軍政部
 田岡 良一   国際法  18980328 高知 京都 19850529 87 /京都大学教授
/嶺雲&かつの子
 有賀 鐡太郎 基督教理学 18990401 大阪 京都 19770525 78 /京都大学教授
/同志社大学教授/神戸女学院総長/のゆりの父〜“幻の有賀勅語”
 鈴木 英一  教育行政学 19320102 東京 /帝京平成大学教授〜“幻の京都勅語”
 佐藤 克敏  NISE研究員 196509‥ ‥‥ /国立特殊教育総合研究所教育支援研究部
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♀有賀 のゆり チェンバロ 19280829 京都 /同志社女子大学教授/鉄太郎の長女

 
── コプト教会 Coptic Church の訳名。451年のカルケドン公会議で、
その主張するキリスト単性説がいれられなかったため、ローマ・カトリ
ック教会から離脱したエジプト・キリスト教会。単性説は、キリストに
おける神性と人性とが完全融合して1性をなしているとするものである。
コプト教会はイスラム教徒の下で圧迫されていたが、1805年以来信教の
自由がみとめられて教勢の回復に向かい、今日ではアラブ連合の人口の
1割近くがこの教会に属している。
── 有賀 鉄太郎《世界大百科事典 19720425 平凡社》11-P363
 
 ↓人名検索
 
── 新村 出《広辞苑・後記 19660516 岩波書店》P2448
── 《昭和・物故人名録 19830720 日外アソシエーツ》P22
── 《新潮日本人名辞典 19910305 新潮社》P83
── 荒井 献《キリスト教人名辞典 19860215 日本基督教団出版局》
 
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Let'19960302-19960601 to Mr.Yoshida,Hajime
Let'20010112 to Miss Ariga,Noyuri
Mai'20030112 from Dr.Ariga,Seiichi
Mai'20030114 from Dr.Ariga,Seiichi
 
 ◆
 
Mail'20060415-0422 to Mr.Hukushima,Mitsuo
 
 幻の「京都勅語」の原文について
 
 拝復
 せっかくですが、わたしも原文を見ていません。
 ご要望に添えないわけは、つぎのとおりです。
 
「当時の複雑な情勢や権力構造からも、京都の一学者の手になる勅語草
案が本決まりになるのは容易でなく、CI&E内部の一資料に止まった」
 とあるように「京都勅語」の原文は非公開のままとみられます。
 
「佐藤さんの勤務する国立教育研究所から科学警察研究所宛公文書で、
墨筆で書かれた京都勅語」とあるので、下記に保管されているはずです。
http://www.kokken.go.jp/toiawase/index.html
 
 ただし、公文書の閲覧は、しかるべき研究目的と紹介状を要します。
 たとえば「平成」という元号の他に、いくつかの候補が存在しても、
これらは原則として公開されないのです。
 
 ◆ 
 
 占領下の学者は、しばしば公職追放を怖れ、戦時中の言動については、
思想的命運をかけていたと思われます。
 いまどきの学者が、テレビでコメントするような自由はありません。
 
 戦中戦後を通じてのキリスト教徒であった有賀博士(同志社大学教授)
が、複雑な心理的葛藤のもとに取組まれた草案であり、おそらく複数の
幻の「勅語」が募られ、のちの「教育基本法」に集約されたものです。
 
 博士の長男は、わたしの中学以来の友人で、カナダ在住の牧師ですが、
この件について「日本的キリスト教」云々など事実と大幅に違っている、
と語っています。わたしも、それ以上の意見を求めていません。
 
 このたび、ご照会の「麗澤大学・西鋭夫教授」のキーワードから検索
ページを開こうとしましたが、なぜかフリーズしてしまいます。
(わたしのパソコン・メモリーは XP-512MB ありますが……)
 
 そのかわり、つぎのような情報にめぐりあいました。
 かつての当事者は、よほど意気投合したと見えて、下記の冊子を出版
しています(教育基本法とは、直接関係がなさそうですが……)。
 
── シーフェリン/有賀 鐵太郎・訳
《民主々義の根底としての基督教 〜 基督教文化パンフレット 〜
1946 全国書房》初版・20頁
http://search.newgenji.co.jp/sgenji/D1/?000103583132/
 
 以上は、本稿にも追記しましたので、参考にしてください。
 あなたが、道徳教育や「勅語」に関心を寄せられるのは結構ですが、
まずは手に入りやすいものから検証されることをおすすめします。
 
 草々       adlib or bilda as 与太郎 こと 阿波 雅敏
 
(20060422)
 


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