与太郎文庫
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http://d.hatena.ne.jp/adlib/19450407 吉田 満 日銀監事 19230106 東京 19790917 56 /異=192305‥ >> 戦艦大和が沖縄へ向けて出撃する日、吉田満少尉は遺書をしたためた。 「私ノモノハスベテ処分シテ下サイ 皆様マスマスオ元気デ、ドコマ デモ生キ抜イテ下サイ」 その翌日、1945年、昭和20年4月7日、大和は九州沖で米軍機 の猛襲を受け沈没した。 世界の列強と競って建造した軍艦の象徴だった巨艦の最期は、軍国・ 日本の敗北をも象徴していた。 奇跡的に生き残った吉田氏が、終戦直後にてんまつを記した『戦艦大 和ノ最期』は、時を超えて読み継がれてきた。大学を出たての青年の記 述は、今も鮮烈だ。 「時ニ『大和』ノ傾斜、九十度ニナンナントス��アナヤ覆ラントシテ 赤腹ヲアラハシ��火ノ巨柱ヲ暗天マ深ク突キ上ゲ��全艦ノ細片コトゴト ク舞ヒ散ル」。漂流中、一本の縄ばしごをつかみ助け上げられた。 漂流者で満杯の救助艇では、こんなこともあったという。「船ベリニ カカル手ハイヨイヨ多ク、ソノ力激シク��ココニ艇指揮オヨビ乗組下士 官、用意ノ日本刀ノ鞘(さや)ヲ払ヒ、犇(ひし)メク腕ヲ、手首ヨリ バツサ、��敢ヘナクノケゾツテ堕チユク、ソノ顔、ソノ眼光、瞼ヨリ終 生消エ難カラン」 吉田氏は戦後日本銀行に入り、支店長や監事を務めた。『吉田満著作 集』の年譜を見る。詳細な記述の中で、あの4月はこう記されている。 「沖縄特攻作戦に参加。生還」。参加と生還の間に一文字もない。 しかしその字間に、どれほどおびただしい修羅があったことか。大和 の最期に限らず、あらゆる戦場で命を奪われ、また命を削られた人たち の慟哭(どうこく)を思った。 ── 《天声人語 20050407 朝日新聞》 http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1119256993/ >> 吉田満著書 乗組員救助の記述 戦艦大和の最期 残虐さ独り歩き 救助艇指揮官「事実無根」 戦艦大和の沈没の様子を克明に記したとして新聞記事に引用されるこ との多い戦記文学『戦艦大和ノ最期』(吉田満著)の中で、救助艇の船 べりをつかんだ大和の乗組員らの手首を軍刀で斬(き)ったと書かれた 当時の指揮官が産経新聞の取材に応じ、「事実無根だ」と証言した。手 首斬りの記述は朝日新聞一面コラム「天声人語」でも紹介され、軍隊の 残虐性を示す事実として“独り歩き”しているが、指揮官は「海軍全体 の名誉のためにも誤解を解きたい」と訴えている。 『戦艦大和ノ最期』は昭和二十年四月、沖縄に向けて出撃する大和に 海軍少尉として乗り組み奇跡的に生還した吉田満氏(昭和五十四年九月 十七日、五十六歳で死去)が作戦の一部始終を実体験に基づいて書き残 した戦記文学。 この中で、大和沈没後に駆逐艦「初霜」の救助艇に救われた砲術士の 目撃談として、救助艇が満杯となり、なおも多くの漂流者(兵士)が船 べりをつかんだため、指揮官らが「用意ノ日本刀ノ鞘(さや)ヲ払ヒ、 犇(ひし)メク腕ヲ、手首ヨリバッサ、バッサト斬リ捨テ、マタハ足蹴 ニカケテ突キ落トス」と記述していた。 これに対し、初霜の通信士で救助艇の指揮官を務めた松井一彦さん (80)は「初霜は現場付近にいたが、巡洋艦矢矧(やはぎ)の救助に あたり、大和の救助はしていない」とした上で、「別の救助艇の話であ っても、軍刀で手首を斬るなど考えられない」と反論。 その理由として(1)海軍士官が軍刀を常時携行することはなく、ま して救助艇には持ち込まない(2)救助艇は狭くてバランスが悪い上、 重油で滑りやすく、軍刀などは扱えない(3)救助時には敵機の再攻撃 もなく、漂流者が先を争って助けを求める状況ではなかった−と指摘し た。 松井さんは昭和四十二年、『戦艦大和ノ最期』が再出版されると知っ て吉田氏に手紙を送り、「あまりにも事実を歪曲(わいきょく)するも の」と削除を要請した。吉田氏からは「次の出版の機会に削除するかど うか、充分判断し決断したい」との返書が届いたが、手首斬りの記述は 変更されなかった。 松井さんはこれまで、「海軍士官なので言い訳めいたことはしたくな かった」とし、旧軍関係者以外に当時の様子を語ったり、吉田氏との手 紙のやり取りを公表することはなかった。 しかし、朝日新聞が四月七日付の天声人語で、同著の手首斬りの記述 を史実のように取り上げたため、「戦後六十年を機に事実関係をはっき りさせたい」として産経新聞の取材を受けた。 戦前戦中の旧日本軍の行為をめぐっては、残虐性を強調するような信 憑(しんぴょう)性のない話が史実として独り歩きするケースも少なく ない。沖縄戦の際には旧日本軍の命令により離島で集団自決が行われた と長く信じられ、教科書に掲載されることもあったが、最近の調査で 「軍命令はなかった」との説が有力になっている。 松井さんは「戦後、旧軍の行為が非人道的に誇張されるケースが多く、 手首斬りの話はその典型的な例だ。しかし私が知る限り、当時の軍人に もヒューマニティーがあった」と話している。 ◇ 『戦艦大和ノ最期』 戦記文学の傑作として繰り返し紹介され、ほぼ 漢字と片仮名だけの文語体にもかかわらず、現在出版されている講談社 文芸文庫版は10年余で24刷を重ねる。英訳のほか市川崑氏がドラマ 化、朗読劇にもなった。昭和21年に雑誌掲載予定だった原文は、連合 国軍総司令部(GHQ)参謀2部の検閲で「軍国主義的」と発禁処分を 受けたため、吉田満氏が改稿して27年に出版したところ「戦争肯定の 文学」と批判された。現在流布しているのはこの改稿版を下敷きにした もの。原文は米メリーランド大プランゲ文庫で故江藤淳氏が発掘し、5 6年刊の自著『落葉の掃き寄せ』(文芸春秋)などに収めている。 20050620 (月) 14:47:00 産経新聞 http://news.goo.ne.jp/news/sankei/shakai/20050620/m20050620000.html <<
作成日: 2005年6月20日(月) 20時13分
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