与太郎文庫
DiaryINDEXpastwill


1945年01月15日(月)  異母姉弟 〜 寒い日に生まれた女の子 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19450115
 
── 昭和二十年 一月十五日 月よう 晴 夕方小雪 雨まじり
 きょうも来襲なし。
 寒ければ二階でくらし、大分原稿を書く。
 誰も来ず、又手紙も無し。── 《炭焼日記 19450115 》
── 柳田 国男《柳田 國男全集32 19910226 ちくま文庫》P330
 


 柳田 国男 貴族院書記官  18750731 兵庫 19620808 87 /民俗学〜《遠野物語》
 矢野 登  参議院議員   19030825 栃木 19930417 89 /自民党/哲朗の父
 矢野 哲朗 参議院議員  19461106 栃木       /自民党/登の長男
♀矢野 愛子 哲朗の妻   19490205 栃木       /
♀矢野 明香 哲朗の長女 19750625 栃木       /
♀矢野 愛実 哲朗の次女 19771019 栃木       /
────────────────────────────────
♀落合 □□ 恵子の母    1923‥‥ 栃木 2007(夏)84 /病死/矢野 登の愛人
♀落合 恵子 エッセイ・小説 19450115 栃木 /文化放送DJ“レモンちゃん”

 
── 言われたくない言葉がありました。母は周囲の猛反対の中、結婚
をせずに22歳で私を出産しました。私には「ててなしっ子」「兵隊さん
を出さなかった非国民の家」という言葉が、子ども同士のたわいのない
けんかの時に、投げつけられていました。
http://osaka.yomiuri.co.jp/mama/tokusyu/kodomo/mc20070807kk02.htm
http://anarchist.seesaa.net/article/54555711.html
 
>>
 
 母の愛今こそ抱きしめ
 
 写真=行動する作家として活動を続ける落合恵子さん
(写真家・室 みさ子さん撮影)
 
 自分の母親に厳しく育てられた母は、未婚で子どもを産み、働きづめ
に働いても経済的に苦しく、社会的には追いつめられ、神経症で入院し
たこともある。今から考えると、虐待が起きる複数の要因を備えていた
と言えるでしょう。それを回避出来たのはなぜか。今となっては、知る
すべがありません。母は2003年にアルツハイマー病と診断され、今
夏、息を引き取りました。
 
 ですが、母自身が「本当はこんなふうに過ごしてみたかった」と思っ
ていた子ども時代を、私には可能な限り与えたい、と願っていたのでは
ないかと思います。
 
 私の自主性をとても認めてくれる人で、口うるさく干渉することはほ
とんどありませんでした。でも、「私は愛されている」ということを、
あらゆる場面で感じさせてくれました。押しつけるのではなく、空気の
ように。
 
 例えば、母は私が生まれた時のことを繰り返し、私が覚えてしまうく
らい話してくれました。「あなたが生まれたのは、1月の寒い日でね。
おかあさんはあなたに早く会いたくて会いたくて……」と。
 
 「あなたを待っていた」という言葉は、もらった当時は照れくさかっ
たけれど、子どもにとってとても大切なことだったのだと今、思います。
「自分はこの人に本当に大切にされているのだ」という安心と、「大切
にされていい存在なのだ」という自信を、得ることが出来たからです。
 
 母は児童心理や発達心理学など学んだことはなかったし、成人してか
らも忙しくて本などで学ぶ暇もなかったと思います。だから、よくぞ、
「あなたが大切よ」と言葉にしてくれた、と思いますね。
 
 おそらく、目の前の子ども(私のことですが)を愛している、という
ことの中から、いろんなことを引き出していたのだと思います。
 
 ただ、社会的に追いつめられた状況で、母がいつもいつも私への愛情
を示し続けるのに、負担を感じたことはなかったのか。これも、今とな
っては知るすべがありません。
 
 疲労感や不安などを、一切表に出さなかった人でした。私を父のいな
い子にしてしまったという罪悪感もあったのでしょう。何があっても頑
張らなきゃいけないという、自分との約束のようなものがありました。
神経症になった要因の一つだと思います。
 
 ですから私には、特に思春期から、「おかあさん、もう少しわがまま
に生きてよ。疲れた姿を見せてくれてもいいじゃない」という複雑な感
情がありました。
 
 子ども時代に母から贈られた十分な愛情、保護、自立する姿勢を今、
改めて抱きしめています。母は亡くなりましたが、彼女から贈られたも
のは私の中でいっそう輝きを増しています。その、贈られたものを、今
度は私が次世代の人たちに贈る番だと考えています。
(聞き手・近藤 亜矢子 20071009 読売新聞)
 
 落合さんの聞き書きは今回で終わります。
 
<<
 
── 南 沙織・唱《ひとねむり 19761121 作詞》
/1976‥‥ 子どもの本の専門店「ミズ・クレヨンハウス」開店
/19930705 非嫡子差別表記“別姓訴訟”原告側証言
/2003‥‥ 母(80)アルツハイマー病と診断
/2010‥10 ?(65)── 《私の死亡記事 20001210 文芸春秋》P
 
┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐
↓=Non-display><↑=Non-display                      |
└┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘
 
(20071010)
 


与太郎 |MAILHomePage

My追加