与太郎文庫
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1943年08月22日(日) |
島崎家の人々 〜 夜明け後の年譜 〜 |
Ex libris Web Library;島崎 藤村(著者近影) ── 《現代文豪名作全集 4 島崎 藤村 集 19530425 河出書房》瀬沼 茂樹・編 http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B000JB22JM 西暦(齢)主な出来事(加藤 武雄・年譜) 島崎 正樹 藤村の父 18310613 長野 馬篭 18861129 56 /天保 2.0504 /本陣・庄屋・問屋当主17〜《夜明け前》青山 半蔵のモデル ♀島崎 縫子 藤村の母 1838‥‥ 長野 馬篭 18961025 58 /コレラ死/妻籠本陣の娘“ぬい”お民のモデル ──────────────────────────────── 島崎 藤村 作家 18720325 長野 大磯 19430822 72 /明治 5.0217 西筑摩郡神坂村字馬籠 /正樹(43)&縫子(36)の四男/籍=春樹 1873‥‥( 2) 1 1874‥‥( 3) 1 1875‥‥( 4) 1 1876‥‥( 5) 1 1877‥‥( 6) 1 1878‥‥( 7)神坂村小学校入学。 1879‥‥( 8) 1 1880‥‥( 9) 188104‥(10)長兄秀雄、友弥と共に連れられ上京。京橋槍屋町の長姉 園子の嫁ぎ先高瀬 薫方に寄寓し、泰明小学校に転入。 1882‥‥(11)高瀬家帰郷のため、高瀬の縁者力丸 元長方に寄寓。 1883‥‥(12)高瀬と同郷の士族、代言人(弁護士)の吉村 忠道方へ 寄寓。銀座四丁目 1884‥‥(13)海軍省官吏、石井其吉に英語を学ぶ。 1885‥‥(14)1 1886‥‥(15)漢学者武居用拙に「詩経」「左傳」を、英学者島田奚疑 に英語を学ぶ。三田英学校(後の錦城中学校)入学。 1129 父 正樹、郷里の座敷牢内にて狂死。 1887‥‥(16)吉村氏日本橋浜町に移転。神田の共立学校に転学、木村 熊二の教えを受ける。 09‥ 明治学院に入学、戸川 秋骨、馬場 孤蝶らと同級。 18880617(17)先師木村 熊二の手により、高輪台町キリスト教会で受洗。 1 1 1889(18)1 2 1 1890(19)1 3 1 1891(20)明治学院卒業。吉村氏横浜に雑貨店「まからずや」を開き、 しばらく手伝いに行く。1124 祖母桂子死去、長兄秀雄に代わり葬儀 のため帰郷。木村熊二の知人巌本善治主宰「女学雑誌」に翻訳を乗せる。 4 1 1892‥‥ (21)掲載、しばらく同誌に翻訳等の仕事をする。 ── 無名氏(匿名)《人生に寄す 189201‥ 女学雑誌》第298号 10‥ 明治女学校教師となり牛込に下宿、教え子に佐藤 輔子がいた。 星野天知、北村透谷、平田禿木を知る。 5 「春」の時代 189301‥(22)「文学界」創刊、同人となり以後終刊まで同誌に作品を 寄稿。同月下旬、突然、教職を辞し一番町教会の籍も脱し、 0201 創刊された「文学界」を手にして関西へ旅立ち放浪(約9ヶ月)。 鎌倉円覚寺帰源院にも滞在。秋は東北一の関へ行く。 10‥ 帰京 長兄秀雄の下宿に身を投じ再び吉村家へ戻る。 11‥ 母及び秀雄の家族が上京、下谷三輪に住む。 6 「春」の時代 189404‥(23)再び明治女学校教師となる。輔子は高等科を卒業。 北村 透谷 作家・詩人 18681229 相模 東京 18940516 25 /首吊自殺/明治 1.1116/籍=門太郎 05末、秀雄は水道鉄管にからむ私文書偽造で収監される。次兄は朝 鮮に行き、三兄友弥は京橋の木綿問屋の奉公生活に失敗して秀雄の家に 寄寓していたため、結局藤村が一家をささえることになり三輪町に居を 移す。学校でも気力がなく、「燃えガラ」とあだなされる。 06‥ 田山 花袋、透谷の死を悼み、短歌を「文学界」に送ったこと から同人との交友が始まる。 0722 藤村と一葉の初対面(新旧同日生) 島崎 藤村 小説 18720325 長野 東京 19430822 72 /明治 5.0217/籍=春樹 ♀樋口 一葉 小説 18720502 東京 18961123 26 /明治 5.0325/籍=奈津(なつ) http://d.hatena.ne.jp/adlib/20110325 うらむらさき 〜 悪女が作家になるとき 〜 ── 《透谷集 189410‥ 》編纂 7 「春」の時代 1895‥‥(24)母とともに一家を本郷新花町に移る。0813、札幌農学校 講師鹿討(ししうち)豊太郎に嫁した佐藤輔子が札幌にて病死。同月教 職を辞す。0925 郷里大火舊宅焼失。12‥ 房州に旅行。 8 「春」の時代 189604‥(25)秦フユ明治女学校本科を卒業。 この頃、上田 敏、田山 花袋、柳田 国男を知る。 09‥ 仙台の東北学院教師となり赴任、留守家族を本郷森川町に移転。 1025 母 ぬいがコレラで死去したため帰京、遺骨を郷里に葬り 1107 帰りに小諸の木村 熊二を訪ね15円を借用し 仙台へ帰る。 9 「春」の時代 189707‥(26)教職を辞し帰京。 夏中、吉村 樹(しげる)と房州小久保に赴く。 ── 《うたたね 189707‥ 執筆 1100 新小説》 秋‥ 長兄 秀雄一家と本湯島新花町に移転。 ── 《若菜集 189708‥ 春陽堂》第1詩集 10 1 189801‥(27)「文学界」終刊。 04‥ 東京音楽学校選科入学、ピアノ科助教授橘糸重を知る。 ── 《一葉舟 189806‥ 春陽堂》第2詩集 07‥ 吉村 樹を連れ木曽福島の姉の家高瀬氏を訪ね、詩集執筆。 ── 《夏草 189812‥ 春陽堂》第3詩集 09‥ 伊良湖岬に柳田国男を訪ねた花袋は木曽福島の藤村を訪ねる。 帰途小諸に木村熊二を訪う。斉藤緑雨、高安月郊、蒲原有明を知る。11 1 18990405(28)木村 熊二に英語と国語の招かれ小諸義塾教師として赴任、 熊二の家に暫く下宿。 0506 秦 冬子(明治女学校卒業生、函館の網問屋の次女)と結婚。 巌本 善治(明治女学校校長)の媒酌 小諸馬場裏に住む。月給30余円(のち同校の経営悪化のため25円)12 小諸時代 ── 《雲 190008‥ 散文》 ── 《千曲川スケッチ 1900‥‥ 着稿 1912‥‥ 初版》 13 小諸時代 190104‥(30)女子学習舎が開校式をあげる。この頃、塩川べんに夜枕 草子や作文を教える。妻フユも学習舎の教員として習字や裁縫を教える。 この頃から散文に移りはじめる。 ── 《落梅集 190108‥ 春陽堂》 1112 柳田 国男来訪。 14 小諸時代 1902‥‥(31)19020331 次女 孝子生まれる。 0729 恩人吉村忠道死去、遺族困窮のため以後1年間、毎月7円50銭送金。 ── 《原題;炉辺雑興 190206‥ 太陽 臨時増刊「海の日本」》 散文詩「炉辺」は後、大田 水穂&島木 赤彦・共著《山上湖上の序》 として掲載、二人の門出を祝福した。15 小諸時代 ── 《藁草履 190211‥ 明星》 19030825(32)神津猛、小諸義塾参観、初めて藤村に会う。橘糸重、有島 生馬、小山内 薫、青木 繁、久保 猪之吉、等がこの頃来訪。 16 小諸時代 ── 《老嬢 19030600 太陽》 19040105(33)田山花袋来訪一泊。これからの文学を語り合う。 0113「破戒」の構想に着手。白檮山(かしやま)いそじと三村 きの を同行、雪の飯山真宗寺(破戒の蓮華寺)を訪ねる。翌日対岸でそりを体験。 07下旬、自費出版費用相談のため、妻の父を函館に訪ねる。 1217 神津 猛来訪。「破戒」の草稿を示し、自費出版計画を語る。 ── 《水彩書家 19040100 新小説》 ── 《椰子の葉陰 19040300 明星》 ── 《藤村詩集 190409‥ 春陽堂》 ── 《津軽海峡 19041200 新小説》 この年、長兄 秀雄が再入獄。 17 小諸時代 1905‥‥(34) ── 大田 水穂&島木 赤彦・合著《山上湖上 190503‥ 》 ……(序文は)東京より上州磯部温泉に身を養いに行った時の作。 (藤村は後年《早春 1906‥‥ 》のなかで誤って記述) ── 星野 天知・共編《透谷全集 190510‥ 文武堂》 ── 《旧主人 19061100 新小説》発禁 0304 志賀村神津 猛を訪ね「破戒」完成までの生活費借用を頼もう として口に出せず。一泊。《猛の乞いにより、愛用の机を贈ることを約束。 翌日、手紙で事情を訴えて400円の借用を乞う。 0320 猛から150円届く。 0429 小諸義塾を辞し上京、西大久保405番地に借家。 07‥ 猛から60円借りる。 島崎 楠雄 藤村の長男 19051020 長野 ‥‥ 19810618 75 /1931 結婚“楠ちゃん”藤村記念館顧問 前年度より引続き「破戒」執筆 1127 脱稿原稿用紙535枚。★国木田 独歩を知る。18 小諸時代/西大久保時代 1906‥‥(35) ── 《朝食 19060100 芸苑》 ── 《破戒 19060325 緑陰叢書》自費出版1500部/04‥ 再版 07‥ 4版 ♀島崎 縫子 藤村の三女 19040409 ‥‥ ‥‥ 19050506 1 /ハシカから脳膜炎で死去/長光寺へ葬る ♀島崎 孝子 藤村の次女 19020331 ‥‥ ‥‥ 19060407 4 /急性腸カタルで死去 ♀島崎 緑 藤村の長女 19000503 ‥‥ ‥‥ 19060612 6 /ハシカから脳膜炎で死去/長光寺へ葬る。 ── 《文章世界 190606‥ 博文館》 …… 「芽生は枯れた、親木も一緒に枯れかかって来た……」 こう私は思うように成った。 その晩、私は急に旅行を思い立った。磯部の三景楼というは、碓氷川 の水声を聞くことも出来て、信州に居る時分よく遊びに行った温泉宿だ。 あそこは山の下だ、あそこまで行けば、山へ帰ったも同じようなものだ、 と考えて、そこそこに旅の仕度を始めた。「なんだか俺は気でも狂いそ うに成って来た。一寸磯部まで行って来る」 こう家のものに言った。 翌朝早く私は新宿の停車場を発った。── 資料「芽生」より 1002 浅草新片町に移転。この頃次の長編《春》の準備にかかる。 19 西大久保時代 新片町時代 20 新片町時代 1907‥‥(36) ── 《緑葉集 190701‥ 春陽堂》第一短編集 ── 《黄昏 19070100 文章世界》 ── 田山 花袋《蒲団 19070900 新小説》 島崎 鶏二 藤村の次男 19070908 長野 Borneo 19441010 37 /タラカン島沿岸で飛行機事故 ── 《並木 19071000 文芸倶楽部臨時増刊》 ── 《壁 19071000 早稲田文学》 ── 《収穫 19071000 文章世界》 ── 《散歩 19071100 明星》 1908‥‥(37) ── 田山 花袋《生 19080413- 読売新聞》連載 ── 《春 19080407-0819 東京朝日新聞》連載135回(長谷川 二葉亭が推薦 ── 《春 190810‥ 自費出版》緑陰叢書第二編 10‥ 神津 猛に100円借金を依頼。 島崎 蓊助 藤村の三男 19081217 長野 東京 19920311 84 /画家/共産主義運動家 21 新片町時代 190902下(38)田山 花袋、蒲原 有明、武林 夢想庵とともに伊豆地方を旅行。 ◆ 島崎 藤村 作家 18720325 長野 大磯 19430822 72 /明治 5.0217 西筑摩郡神坂村字馬籠 /正樹(43)&縫子(36)の四男/籍=春樹/文樹院静屋藤村居士 56 1
── 山崎 章斌《藤村の歩める道 194312‥ 春陽堂》3版 1944‥‥( ) 57 1 1945‥‥( )1 1 58 1 1946‥‥( )110‥ 59 1 ── 掛川 俊夫(の兄)《島崎藤村論 1946‥‥ 農村文化協会長野県支部》 ── 平野 謙《島崎藤村 1947‥‥ 筑摩書房》 1947‥‥( )108‥ 60 1 1948‥‥( )1 1 61 1 1949‥‥( )1 1 62 1 1950‥‥( )63 1 ── 中村 光夫《風俗小説論 195006‥ 河出書房》 1951‥‥( )1 1 64 1 1952‥‥( )1 1 65 1 1953‥‥( )1 1 66 1 ── 瀬沼 茂樹《島崎藤村 〜 その生涯と作品 〜 195301‥ 塙書房》 ── 平野 謙《島崎藤村 市民文庫 195310‥ 河出書房》再版 ── 《島崎藤村読本 195409‥ 河出書房》文芸臨時増刊号 1954‥‥( )1 1 67 1 1955‥‥( )1 1 68 1 1956‥‥( )1 1 69 1 1957‥‥( )1 1 1 1 ── 《島崎藤村研究 明治大正文学研究 特集 196102‥ 東京堂》 ── 島崎 蓊助《藤村私記 196708‥ 河出書房》 ── 《藤村全集 196808‥ 筑摩書房》 ── 《島崎藤村 現代日本文学アルバム 197401‥ 学習研究社》 ── 《島崎藤村 新潮文学アルバム 198408‥ 新潮社》 ── 並木 張《島崎藤村と小諸義塾 199604‥ 檪(いちい)》千曲川文庫20 ── 《藤村略年譜 長野郷土史研究会機関紙 長野 第61号 200201‥ 改訂》 (20160113) ※20061029 1版 参考※《加藤 武雄の年譜
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(20160114)
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