与太郎文庫
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1935年01月01日(火) |
花に嵐の男たち 〜 花も嵐も踏み越えて 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19350101 ── 『月に叢雲、花に風』[=嵐]好事には、兎角(とかく)差し障 りが起こり易いものだということの喩え。 類:花開いて風雨多し/好事魔多し/寸善尺魔/花に嵐/魔障多し http://www.geocities.jp/tomomi965/kotowaza08/08-36-6.html ── 勧君金屈巵 満酌不須辞 花発多風雨 人生足別離(この杯を受 けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ 花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ)── 干 武陵/井伏 鱒二・訳《歓酒 19350101》 ── 藤本 義一《川島雄三、サヨナラだけが人生だ 200101‥ 河出書房新社》 ── 川島 雄三《花に嵐の映画もあるぞ 200107‥ 河出書房新社》 ── 寺山 修司・詞 ・六文銭・唱《さよならだけが人生ならば 1969 》 ── 今村 昌平・監督/井伏 鱒二・原作《黒い雨 19890513 今村プロ》 ── 今村 昌平《サヨナラだけが人生だ 〜 映画監督川島雄三の生涯 〜 1969 ノーベル書房》
井伏 鱒二 作家 18980215 広島 福山 19930710 95 /籍=井伏 満壽二 川島 雄三 映画監督 19180204 青森 東京 19630611 45 /〜《幕末太陽伝》 今村 昌平 映画監督 19260915 東京 20060530 79 /天願 大介の父 藤本 義一 作家 19330126 大阪 /藤本 統紀子の夫 寺山 修司 劇作詩人 19351210 青森 東京 19830504 47 /籍=19360110生
── 七十年前の元日の夜、作家の井伏鱒二は子どもの肺炎が心配で眠 れなかった。不安をまぎらそうと訳した漢詩の一つが于武陵(うぶりょ う)作「歓酒」。「花発多風雨 人生足別離」という後半の二句はこう 意訳した。ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ。 寺山修司の「幸福が遠すぎたら」という詩は「さよならだけが 人生 ならば 人生なんか いりません」と終わる。でも、別の文章には、花 に嵐も…は学生時代の自分にとって最初の名言であり、そのまま墓碑銘 にいただきたい詩−と書いている。 むつ市出身の映画監督の川島雄三展が、青森市の県近代文学館で開か れている。この詩にまつわるコーナーが会場にある。太宰治が、未完の 絶筆になった「グッド・バイ」に関する作者の言葉の中でこの詩を引い て「さまざまな別離の様相を写し得たら、さいはひ」と結んでいること も紹介している。 川島は一九六三年、四十五歳で急逝した。その四年前に「貸間あり」 を発表する。ラストシーンで、シナリオにはなかった演技を桂小金治に 求めた。丘の上から立ち小便をさせながら、さよならだけが…と言わせ た。生きる悲しさを出したつもりだった。だが、原作者の井伏にも理解 されない。「悲しく残念」と自作を振り返っている。 川島展は、川島の命日である今月十一日の翌日まで。鑑賞しながら、 寺山のように「さよならだけが人生ならば」と問いを発し、どんな言葉 を続けるか思い巡らすのもいいかもしれない。 ── 《天地人 20050604 東奥日報》 http://www.toonippo.co.jp/tenchijin/ten2005/ten20050604.html ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ ♪「花も嵐も踏み越えて」 ── 西條 八十・詞/万城目 正・曲/渡辺 はま子・唱 《旅の夜風 193907‥ 》 ── 野村 浩将・監督《愛染かつら 前篇 19380915 松竹大船》 ── 野村 浩将・監督《愛染かつら 後篇 19380915 松竹大船》 ── 野村 浩将・監督《続・愛染かつら 19390505 松竹大船》 ── 野村 浩将・監督《愛染かつら 完結篇19391116 松竹大船》 ── 久松 静児・監督《新・愛染かつら 19481206 大映東京》 ── 木村 恵吾・監督《愛染かつら 19540421 大映東京》 ── 中村 登 ・監督《愛染かつら 19620401 松竹大船》 ── 中村 登 ・監督《続・愛染かつら 19621024 松竹大船》 http://q.hatena.ne.jp/1171212514 花に嵐のたとえあり、女性にたとえてならぬものは? (20070212)
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