与太郎文庫 DiaryINDEX|past|will
── 七十年前の元日の夜、作家の井伏鱒二は子どもの肺炎が心配で眠 れなかった。不安をまぎらそうと訳した漢詩の一つが于武陵(うぶりょ う)作「歓酒」。「花発多風雨 人生足別離」という後半の二句はこう 意訳した。ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ。 寺山修司の「幸福が遠すぎたら」という詩は「さよならだけが 人生 ならば 人生なんか いりません」と終わる。でも、別の文章には、花 に嵐も…は学生時代の自分にとって最初の名言であり、そのまま墓碑銘 にいただきたい詩-と書いている。 むつ市出身の映画監督の川島雄三展が、青森市の県近代文学館で開か れている。この詩にまつわるコーナーが会場にある。太宰治が、未完の 絶筆になった「グッド・バイ」に関する作者の言葉の中でこの詩を引い て「さまざまな別離の様相を写し得たら、さいはひ」と結んでいること も紹介している。 川島は一九六三年、四十五歳で急逝した。その四年前に「貸間あり」 を発表する。ラストシーンで、シナリオにはなかった演技を桂小金治に 求めた。丘の上から立ち小便をさせながら、さよならだけが…と言わせ た。生きる悲しさを出したつもりだった。だが、原作者の井伏にも理解 されない。「悲しく残念」と自作を振り返っている。 川島展は、川島の命日である今月十一日の翌日まで。鑑賞しながら、 寺山のように「さよならだけが人生ならば」と問いを発し、どんな言葉 を続けるか思い巡らすのもいいかもしれない。 ── 《天地人 20050604 東奥日報》 http://www.toonippo.co.jp/tenchijin/ten2005/ten20050604.html ┌┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┬┐ ↓=Non-display><↑=Non-display └┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┴┘ ♪「花も嵐も踏み越えて」 ── 西條 八十・詞/万城目 正・曲/渡辺 はま子・唱 《旅の夜風 193907‥ 》 ── 野村 浩将・監督《愛染かつら 前篇 19380915 松竹大船》 ── 野村 浩将・監督《愛染かつら 後篇 19380915 松竹大船》 ── 野村 浩将・監督《続・愛染かつら 19390505 松竹大船》 ── 野村 浩将・監督《愛染かつら 完結篇19391116 松竹大船》 ── 久松 静児・監督《新・愛染かつら 19481206 大映東京》 ── 木村 恵吾・監督《愛染かつら 19540421 大映東京》 ── 中村 登 ・監督《愛染かつら 19620401 松竹大船》 ── 中村 登 ・監督《続・愛染かつら 19621024 松竹大船》 http://q.hatena.ne.jp/1171212514 花に嵐のたとえあり、女性にたとえてならぬものは? (20070212)
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