与太郎文庫
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1904年09月17日(土) |
勇敢なる水兵 〜 三浦 虎次郎の戦死 〜 |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/18940917 http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=19040917 ↓Edita for text ↑Index 000000=19020102〜99991231 http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html from Our Pictures;勇敢なる水兵 http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/navy-suihei.htm ── 「勇敢なる水兵」の名は旗艦松島乗組の三等水兵三浦虎次郎で、 戦死の日付は明治二十七年九月十七日、その墓は佐賀県佐賀郡東与賀村 栄蔵寺に記念碑とともに残っている。「勇敢なる水兵」の歌詞にはその 水兵の名が記してなく、他の登場人物は「副長」だけであるが、当時の 松島艦副長向山慎吉少佐は後に中将に進み、明治四十三年末五十八歳で 病没したから、向山中将の死後はこの勇敢なる水兵の最期を知っている 者はないと思っていた。 ところが昭和十六年十一月、故瀬戸口藤吉翁の葬儀の夜、会葬された 元海軍軍楽隊員高見喜安翁から勇敢なる水兵三浦虎次郎戦死の実況を告 げ知らされたので、これには全く驚倒してしまった。高見氏はそのとき 数え年七十一歳、日清戦争の黄海海戦の時は二十二歳であった(略)。 敵弾が中甲板にあたり折りあしくそこに積んであったわが艦の弾丸や 薬莢が轟然破裂して、その破片は上甲板にも飛んできたが、破片に腹を えぐられて三浦水兵はその場に倒れた(略)。とても傷が痛そうで動か せない。三浦水兵はウワゴトのように「痛い、痛い、お母あさん」とい っている。副長は気を落させまいと思ったのであろう。「三浦どうした、 鹿児島男児がお母あさんなんて泣く奴があるか」と激励したら三浦水兵 は副長を認め、すぐ「定遠どうしました」と叫んだ。副長は大声で「大 丈夫、大丈夫。定遠はもう撃てないほどやっつけた。これから鎮遠をや るのだ」といった。三浦水兵は安心して「カタキを討って下さい」とい い、見る見る瞑目した。……これが高見軍楽生の目撃談である。 ── 堀内 敬三《定本・日本の軍歌 19690905 実業之日本社》P120-122
三浦 虎次郎 三等水兵 187511‥ 佐賀 黄海 18940917 18 /戦死/松島艦乗員/鹿児島男児? 向山 慎吉 元海軍少佐 18561012 沼津 19101218 58 /安政 3.0914/松島艦副長・中将・男爵 瀬戸口 藤吉 海軍軍楽隊 18680628 鹿児島 19411108 73 /慶応 4.0510“行進曲の父” http://d.hatena.ne.jp/adlib/18980801 高見 喜安 海軍軍楽隊長 1871‥‥ ‥‥ ‥‥ 19‥‥‥ ? /194111‥(71)談 http://www.ne.jp/asahi/yasuyuki/koseki/read_1a_02_a.htm 北 蓮藏 洋画 1876‥‥ 岐阜 ‥‥ 19491221 74 /《勇敢なる水兵》 http://kotobank.jp/word/%E5%8C%97%E8%93%AE%E8%94%B5 長尾 健一 3 磯谷商店主 1919‥‥ ‥‥ 東京 1997‥‥ 78 /《勇敢なる水兵》のモデル http://www.isogaya.co.jp/annai/shareki-gaku-.html
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