与太郎文庫
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1904年08月17日(水)  15100817 システィナ礼拝堂壁画の中断

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19040817
 
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/list?id=87518&pg=000000
 ↓Edita for text ↑Index 000000=19020102〜99991231
http://www.enpitu.ne.jp/tool/edit.html
 


 Sixtus IV   14140721 Rome 14840812 70 /教皇[1471-1484] 14811027 礼拝堂建立
 Julius II   14431205 Rome 15130221 69 /教皇[1503-1513] 150803.. 壁画立案
 Michelangelo,14750306 Italy 15640218 88 /(Michael+angelo)di Lodovico Buonarroti Simoni,

 
14830815 シクトゥス四世、献堂式。
15100817 ユリウス二世、ボローニァに出立。
15110627 ユリウス二世、ローマに帰国。
15121031 ミケランジェロ、壁画を完成。
 
── ミケランジェロは一五〇八年の五月画稿に着手して以来、一五一
〇年の八月十七日まで、東の入口の側から丙の祭壇の側へ向って、即ち
「ノアの泥酔」より逆に「天地創造」の方へ向い一気呵成にその大部分
を描き上げた。つまり、天井の主要部の旧約の史伝を描いた九つの画面
と、その周囲に措かれた旧約時代の予言者やシビラ(女予言者)達の像
が一五一〇年の夏までに仕上げられたのである。ところが一五一〇年八
月十七日、ユリウス二世はミケランジェロに一言の挨拶もなしにボロー
ニァに旅立ったので、この仕事はまたしても中断されてしまった。とい
うのは、法王の不在のためミケランジェロは報酬を貰えなくなり、再度
にわたって法王の滞在するボローニァまで出掛けて行かなければならな
かったからである。当時のミケランジエロの憂鬱な感情は彼の十四行詩
(ソネツト)の中によく表明されている。一五一一年六月二十七日、ユ
リウス二世はローマに帰りミケランジェロは残された四隅の扁形(デルタ)
壁面、両側の楔形(くさびがた)壁面及び側壁の窓の上の孤形壁面
に再び筆を取り、旧約に記された四つの奇蹟的救済と基督の祖先を措い
て、翌年十月三十一日にこれを完成した。
── 《システィナ礼拝堂 19530730 岩波写真文庫 97》P26
 
 from our Pictures;Sistina 青年裸像
── 38)はこの図の左上の所、即ち最も入口寄りの南側に描かれた青
年の裸像。── 《システィナ礼拝堂 19530730 岩波写真文庫 97》P37
 
 ミケランジェロ《青年 15‥‥‥》(システィン礼拝堂天井画装飾人物の部分)
── 《これから 第五号 1952‥‥ さざなみ同人会》表紙
── 京都市教育委員会(一周年記念出版)・監修《美術の鑑賞 19491010 都出版社》P023
 
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(20090523)
 


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