『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2006年08月23日(水) アメイジング・グレイス

意味を知らない黒人霊歌、
ただ、その
哀しい陽気さがたまらなく、小さいころから
好きでした

・・・・・・・・・・

22日、なんとなく
趣味というには重たい、
使命感というほど偉くもない、なんらかの
ひとつの感情、でもってテレビをみる。
ひめゆりの塔?

そうして、泣かないまでも
ふかく落ちる。
落ち込むのとはちがって
自分の中にすうっと落ちていって
もどってこない。

うるさい周囲にうるさいと叫びました
薬を飲んでもよく効かないので
不適応をおこしていて、どこもつらいのは
あたし自身のからだがなせる業なので
今は、がまんをするしかないので
それだけ。

……けれど、あんまりじゃないかと叫び返したい。
あたしはあんたたちの玩具じゃない玩具じゃない、
玩具を買いたいなら
金払って買って来い。

そういう、つまらなくてかなしい言い返しをたぶん
遊ばれるようになったあのころから、あたしは
したかった。

・・・・・・・・・・

沖縄の旅で、ひめゆりの塔へは行かなかったのでした
いや、ずいぶん行っていない。
なぜだろう足が向かなくて。

かわりに「沖縄戦の図」をみてきました
佐喜眞美術館という小さな施設美術館です
鉄条網に囲まれた、美術館です
ガマの絵を見ました。
巨大な巨大な叫びや
空洞を、見ました。

それでも
笑うことと歌うことと踊ることを
一緒にして前に、差し出しているようなあの場所に
ときどき強烈に
カエリタイなと、思います。

東京・空、のなかの
いろいろな気配が意識にザワザワと訴えてきて
私は壊れたラジオみたいになってしまうので
今日も明日もいらないと思ってしまうので

しずかにおちる意識のなかに
おちつかせておいてくれない、この
訳もなくせわしない乱暴な腕、
引きずり出されてもなんにもないじゃないかと
怒りだけがふくらみ、ふくらんで
あたしが爆発する。

生きなさい、といわれても
生き方がわからなかった
愛されている、といわれても
きれいごとにしかきこえなかった

やさぐれたあたしには受けとめるうつわがなく
そそがれたメッセージはどんどんこぼれていく
そして
自分の叫びは
地面に落ちてこなごなになる

またひとつ
嘆きが
消えたよ

おまえは口をつぐめ、と
圧縮された気配の嘲笑に
また、出会う。


8月23日、夕刻


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真火 [MAIL]

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