| 2005年02月10日(木) |
下から三番目のこども |
聞きたい知らせと聞きたくない知らせと聞かなくちゃいけない知らせ どれでもとにかく運んできてくれる電話、 呼びだし音はいつもけたたましくなりひびく 本日祖母入院・・・の、報告あり こういうショックはあとからじんわりとやってくる ふかいところまで考えや感情がとどかないで なんだかとんちんかんでちぐはぐな方向に 瞬時に飛ばされてしまうこと、いつもいつもそうね 顔がうまくつくれないでいた13歳の時のままか
折りしも年上のイトコに 半月前にこどもが生まれていてそのお祝いの言葉を考えている最中 ちいさなふわふわした白い帽子を買ってみたのはただ先週のできごと というか、生まれた知らせの電話じたい 病院まで付き添ったらしい祖母自身からかかってきたのであって あれあれあれというような状態のかわりかたでもあるので
年齢が年齢だから、とたぶんいえるひとが親類には何人かいて 今までなにごともなくやれてきたからこそ 避けられないことがいくつか近い将来に待っている 息をつめてその知らせを待っていた、というような側面がたぶん 最近ずっとあって、だから ああとうとう来た、という思いも一緒くたに私の中にある 誰かをなくすのはこれ以上ないというおおごとで違いなくて これから先に何回も何十回もその状態になるのだなあと ひとりひとり思い浮かべてしみじみと実感してしまった日には 思わず自分自身がさきにいってしまいたくなったんだけど おかげで、ほんの少しだけ 練習みたいなことができたのかもしれない
吉本ばななの「ハネムーン」に 一緒に暮らしているおじいちゃんがいつ死ぬか心配で心配で仕方なくて おじいちゃんが亡くなったら今度は(恋人の)まなかちゃんが いついなくなるのかどうなるのかが頭から離れずにつらくてつらくて どうしようもなくなってしまった少年というのが出てきたけど その混乱や恐怖やうっかりしたらとりちがえてしまいそうな選択は 笑い飛ばすようなたぐいのものではないと、思う 心の中ですっぽりと鞘に収まってしまったときの恐怖、は ひとを呪い殺せるくらいの大きな力は、きっとあるので
まなかちゃんは、その幼なじみの少年にたいして、たしか 「あんたと心中はごめんだからね」 みたいなせりふを言ったんだと思う 死ぬならひとりで死んでね悪いけど私は生きるから。 まなかちゃんのそのぶっきらぼうなところはすごく好き そうやってさりげなくヘルシーでいるところ すごいよなあ 周りがぐっちゃぐちゃになっていてもそうやって 中庸でいられるようになったばななさんはえらい ……と、勝手にほめたたえてみたりして
と、ひたすら呑気なのだけど なぜって祖母については おそらく元気なので (入院しているひとを元気と称するのもへんだけれど) 半月前に生まれたその子を入れても下から三番目、という この年齢にしてはずいぶんな幼いポジションのままで 祖母からみると半人前以下みたいな私は どこか、ぼんやりのんびりかまえていて ああ楽をさせてもらっているのだろうな、と うすぼんやりな頭で、ふらふら考え 兄なんかはかなり騒いでいるのだけど そこまで話をふくらませてしまうのもどうなのかなと 疑問に思う、病気になったらそこで終止符ですか そういう彼の考え方はいつものことなのだけど ときたま私はそれでくるしいので聞いているとつらいときがある 心弱いやつは所詮不要というのがこのひとの持論なので わたしなんてほんとうに存在がごみみたいなものなのだ それからまだちゃんと生きていてこれからもちゃんと生きるひとのことを すでにしんでしまったひとみたいに扱うのはちょっと……やめてほしい それでもうおわりなんですか ちがうよね ちがうよね 下から三番目のこどもの甘い思考なのかな これも
ただ赤ちゃんおめでとうという気持ちがすこし曇ったのは、ほんとう
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