『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年07月08日(月) きみたちの死。

ココでやはり日記を書かれている
funnyさんの日記を、読んで
わたしが
テレビ画面でみつけたあの訃報は
りゅうすけくん、という名前だったことを、知りました。

見ず知らず、ということばがあります。
逆を言えば
名前を知ったそのときからわたしには
そのひとはどうしたって
「見ず知らずのひと」ではなくなるような気がします。

この日記に、サトくんの名前が頻繁に登場する、そのことに
いいかげん飽き飽きしているひとも、もしかしたら何処かにいるのかもしれません。

なにかを失った、悼み、は、
いいかげんにしなさいと周囲から叱咤されても激励されても
それでも、
癒えるようなものでなく、終えられるようなものでなく
いつまでたっても孵化しない卵のように
抱えているしかないので
過去を振り返るようにわたしは、その「さとくん」という名前を肩にひきずって
今日もここにいます。
同じ名前の人に出会えば
また、
傷口からかさぶたをむしりとるように記憶をひきずりだし
似た名前のひとに出会えば
おもわずそのことばを追跡してしまう
そのように
不毛に

悼みはひっそりと自分の内側だけでおこなわれ
だれも肩代わりすることはできず
まして、周囲の力で癒すことができるようなものでもないような気が
ふと、するのです。


  このいたみはわたしだけのものであって、だれにもゆずれない。 
  たとえそれが血をわけただれかでも、恋人であっても、誰にも。


昨日の早朝
わたしは一匹の犬の話をしました。
自分の飼い犬でもなく
ただ、近所で飼われている、すこしだけ仲のよかった雑種の薄茶色の犬の話。
金網ごしに首筋をなでるわたしの手のひらの下で
荒く、それでも呼吸し鼓動してた
一匹の生きている犬の話を。
わたしを、このせかいにつなぎとめてくれている一本の綱の
その絹糸のようにほそいひとすじに
なってくれている、犬のことを。


かれはあのまま、かえらないものとなりました。


家人の話では
朝方、かれがいつも寝ていた場所に
白い布にくるまれたものがあり
夕刻、
すでに犬小屋は跡形もなく
なんの気配もなかったそうです。


名前は、ぱぱ、といいました。


ぱぱくん、と呼び習わされたその犬は
朝な夕なにわたしをみおくり、出迎え、
夜遅くにかえってくれば、寝ぼけて跳ね起きて吠え掛かっては
やあい、まちがえたー、
そう、わたしにからかわれ、
まちがいに気づいて、しっぽをふって近寄ってきては恥ずかしげに手をなめる
そんな関係をきずいていた犬でした。

そのかれがいなくなり
活きている気配が
どこからも消えていく。

主のいなくなった更地をみる、
容赦なくきびしく
「さようなら」ということばが襲い掛かってくる
そういうことしかゆるされない無人の気配を見やるのが嫌さにわたしは
家を出ず、ここにいます。
認めたくないものを見ないでいる、その臆病さを
わたしはとても卑怯に思う、
だけれども、、、、



たったの一年たらず
我が家に買われていた犬がいました。
公園できょうだいと一緒にすてられていたのを、高校生だった兄が拾ってきて、
家族の一員となった、白い犬。
頭はあまりよくなくて
ひとをみれば、誰彼となくはしゃいでとびつき、
行き交う人の大方に、かわいがられてよろこぶような、犬でした。
名前はキャロルと言いました。
テリアの血の入った彼女の顔は、あちこちにぴんぴんと向かうくせ毛のせいで
目は半分かた隠れてしまい、
どことなくユーモラスに、そしてとてもかわいらしかった。
飼い主のばかぶりを露呈するようだけれど
あんなにかわいい犬はいなかった、と、
わたしは今でも思う。

ぱぱくんと、ほぼ一緒に飼われはじめた彼女は
最初はまだ、ほんとうにほんとうに小さな子犬で
自転車のかごに放り込まれて、我が家にやってきました
小屋もくさりも用意されていなかったはじめの数日間、庭中をころげまわってあそび
餌をやろうと、まだ離乳食のようなたべものの入った器を手にして外へ出れば
どこからともなく白い毛糸だまのように駆け寄ってきて
足元にじゃれついた。

そして、ぱぱくんとも
外見ばかり大きくなってしまって子犬らしくない、でもまだ子どもだったかれとも
かのじょはいつも、遊びに行っては
近所のお兄さんにかまってもらう子どもさながらに
毎日をすごしていました。

そして一年たって、
かのじょは急死し、
そのさいごを看取ったのは、うちじゅうでわたしひとりでした。
やはりこんなふうに、晴れて暑い、夏の始まりだったことをおぼえています。

直前まで健康だったかのじょのからだのなかには
まだ、いろいろな食べ物がつまっていて
事態を把握できないままどぼどぼど流れ出した涙をぬぐうよりも先に
遺体を抱き上げたわたしのあしもとを、
かのじょの体内にのこっていた糞便がどっとながれだしてびしゃびしゃに汚しました。
それでもわたしは、かのじょを抱いて泣いていました
どこか冷静な頭の隅で
汚れてしまった遺体をぬぐい
苦しみにみひらかれたまま逝ってしまったかのじょのまぶたをふさぎ
糞尿でよごれた自分の足と服とサンダルを庭のホースから流れ出る水で洗いながらわたしはずっと
びょうびょうと泣き続けていました

無意識のうちに
嗚咽しながら、ぼろぼろと叫んでいたことば、

「キャロルのばかやろう」

「キャロルのばかやろう」

ばかやろう、ばかやろう、ばかやろう、、、、

どんな意味なのかはいまでもわからず
ただ、わたしは
ばかみたいにそう繰り返していました。
ばかやろう、と言いながら抱きしめるかのじょのからだに向かって
それを抱く自分のうでにむかって
そして相変わらず、晴れて暑い、じりじりとこげるような
お日さまに照らされた
何も変わらない、のんべんだらりとした
せかいにむかって。

罵倒していました。
15歳のからだが
できるかぎりの、あらんかぎりの
徹底した抗戦。

はじめて触れた硬直したからだ。
いつもやわらかく熱かったかのじょのからだは信じがたいほど
詰め物をされたぬいぐるみのように、硬質だった。

そして、これが「死」なのだと容赦なくつきつけてきた
ひとみ。
ガラスだまのようなうつろな、
どんな人形よりもうつろな、
まっくらななにもうつらない、ひとみ。

穏やかさとはほどとおい
生気というのもがうしなわれただけで、こんなにも
慣れ親しんだものは恐ろしい表情に
変わってしまうんだ。


死とは、眼のなかにあるのだろうと、15歳のわたしは一瞬で理解した。

ちがう。

目を見れば、理解せざるを得なかった。
そのものがもう、足掻いても足掻いても届かない場所に逝ってしまったことを
いくら、認めたくなくとも。


わたしは泣きつかれた頭のまま、手を動かして、かのじょの目をとじました。
いつも横たわっていた
古くなった絨毯と、やわらかい毛布カバーにくるんで
わたしのはじめてのおとむらいは
家族のだれも立ち会わないままに、ひっそりとひとりだけでおこなわれた、
ただひとりの儀式でした。


そのときにあいた「死」という名前の穴はふさがれないまままた
いくたびとなく開かれ、ふかまっていくのかもしれません。


ただ一匹の犬の死に、なにを大袈裟なことを言っているのだと
しかられそうな気がします。
自分のいのちを軽んじるわたしに
いったい何が、語れるのか。
語る権利があるというのか。


ただ。

わたしのなかにあの日つくられた、
いつもは忘れていられる死の扉を、ばたんとひらいて
ぱぱくんは、いってしまいました。
あけっぱなしの扉をとじるのは、生きているものにすっかりまかせて
みんな、逝ってしまうのです
片道だけの旅を。


サトくん
サトくん

あなたの隣の天国の椅子は
まだあいていますか。

わたしがそこに行く日まで
まだ、あけていてもらえるのですか。


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2002年7月8日、記  まなほ


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