『 hi da ma ri - ra se n 』


「 シンプルに生き死にしたかった 」


2002年04月08日(月) 「躓く石。」


一日のなかには、ときどき、小さなあながあいている。


あなのなかに入ると
そこはひんやりしていて、くらくて、
あたしは穴のなかから首だけ出して外をみている。

そこからは人の足ばかりがみえる。


知らない人がエスカレータの横を走り下りていった。
左右のかたちが歪んで減っているミュールの足からは
こころぼそさをとっぱらうみたいな
勇ましいかかとの音がする。
全体重を支えるのに似つかわしい、はげしくて強い音。
だんだんだんだんと靴を壊すほど乱暴に駆け下りていくだけの
遠慮のない目的がこのひとにはあるのだ。

わたしはおびえないふりをしてつまさきを見つめる。
黒いエスカレータの段々と
規則ただしく引かれた黄色いライン。

あの足の持ち主は、もしかしたら高校の同級生かも知れない。
中学のとき遠い場所に越していったともだちに再会したとき、
彼女がはいていたピンヒールの靴。
ダークレッドの、つやつやとしたなまめかしいパンプス。
それはまったく17歳には似つかわしくなく、
そうしてひどく彼女に似合っていた。
それから、何年か前に恋人だったひとの、黒のひも付きの革靴も。
どういうわけか、歩くたびにかちかちと金属的な音がした。
そのひとのことは、ほかにはなんにもおぼえていない。
顔も。
声も。

そういう人たちが自分を通り過ぎていくのを見ながら
あたしはまるで、毎日旅をしてるみたいな気分で暮らしている。

みんな、ここを通り過ぎて去っていく。
あたしはそれをこの場所でみおくる。


そういうふうにできているのだ。


ずっと、ずっと
小さな子どものころから。



「 I lost my home, where am I ? 」



今、いつだって混雑しまくった電車の中には
殺気立って苛立った顔つきのおじさんたちが満載で
そうして多かれ少なかれ、のろまなあたしはその人の乗り降りのたびに
邪魔をしては、あたまや肩や背中をどつかれてはよろける。
おじさんはこの目障りな小娘を罵倒する。上司も部下も、同僚だって
家族だって気に入らないところ満載の人生を罵倒して、世の中を罵倒して、
しらふでも酔っぱらったみたいな気分でいさましく電車をおりていく。


わたしはとんがったスーツの背中をすこしだけうらやましく思う。
かえるところのあるひとたち。


わたしは人生を罵倒しない。


真夜中まで歩きまわったドアをあけ、そらぞらしくただいまと言う。
とぼけたぬいぐるみのカイジュウだけがあたしの味方で
部屋に脱ぎ捨てたずぼんも形そのまんまに
べったりと床にすわりこんで体をかきむしったとしても


わたしは人生を罵倒しない。



4月8日、晴れ。
目を覚ますと躓くための石はそこらじゅうにころがっていて
わたしの靴底からは、なんの音も聞こえなかった。


 < キノウ  もくじ  あさって >


真火 [MAIL]

My追加