2005年08月10日(水) |
小林賢太郎プロデュース♯4「LENS」 |
小林賢太郎プロデュース♯4「LENS」
関東大震災の2年後、東京・本郷の図書館で起きた、 250冊もの本の紛失事件。 前後して同じ場所で幽霊騒動があったため、 オカルト専門のエリート刑事(大森南朋)が捜査に当たるが、 その場に居合わせた図書館職員(犬飼若浩)、 所轄の巡査(久ヶ沢徹)、人力車夫(西田征史)、 そして推理小説家の卵(小林賢太郎)が、 独自の領分・発想から推理し、事件を解決していく……と書くと、 本格(かどうかはともかく)ミステリー劇かと思われますが、 実に上質のスラップスティックコメディーでした。
時代考証がどうのということは、私にはよくわからないし、 「あえて間違えている」部分もありましょうから云々しません。 それぞれに違った個性を持った5人の役者が めりはりの利いた役割分担で見せてくれて、 全く飽きさせない、そして続きが見たくなるような※ 90分強の舞台です。 ※そもそもこの舞台自体が、小林さんも出演した椎名林檎さんの 「百色眼鏡」とリンクしているようですが、 残念ながら、椎名さんにほとんど興味がないので、全く見る気がしないのです。
小林賢太郎の書生・天城茎太郎(おまけに小説家の卵)役は、 ファンならば、字面だけでそそる設定です。 「アンケートをとって1位になったものを演じた」としか思えません。 冒頭の刑事とのやりとりは、 まるで藤城清治の影絵に溶け込んだような印象的な構図でしたが、 長身の背中を折って、カフェーの小さなテーブルで せっせと物を書く小林さんのシルエットは見事でした。 絵に……いえいえ、「影絵になる男」です。
お話の性質上、ネタバレを意識して、多くを言うのはやめときますが、 その卓抜した洞察力ゆえ、「自分標準」のレベルが余りにも高く、 そのために何かと説明不足になる →小説書いてもその癖が出てしまい、 →結果、何が何だかわからんおもしろくない小説の出来上がり、 という皮肉。 ウディ・アレンの「ブロードウェイと銃弾」を思い出しました。
マフィアの情婦を舞台女優として起用するよう言われ、 渋々受け入れた劇作家デビッド(ジョン・キューザック)と、 素人ながら、デビッドの脚本にダメ出ししているうちに、 意外な才能を発揮し始める情婦の用心棒 (チャズ・パルミンテリ)の物語でしたが、 「LENS」の天城は、この用心棒の別バージョンです。 用心棒は、自分の才能や創作意欲がどうのこうのというよりも、 自分が手を加えることで芝居がよくなる →よくなるから、できるだけのことをしたい →そのためには、手段を選ばないという段階を踏みながら、 非常に清々しく突っ走ってしまったため、悲劇に見舞われました。 天城の場合、小説家を志すくらいだから、創作意欲は十分。 でも、書いても書いても編集者に酷評されるし、 自分には才能がないと何となく思っています。 でも実は、天城は「書く」からこきおろされるんではなくて、 「書かない」からボロクソに言われてしまうんですね。 なぜ書かないか? 説明し過ぎは格好悪いという美意識があるし (これは間違っていないけど) ほとんどのことが、彼の脳内で 「言わずもがな」と判断されるから。
「LENS」作中、 「アリは自分の体重の700倍の重さのものを運べる」 「でもアリにはその自覚がない」 というようなやりとりがありました。 4日に感想文を書いたKKP♯2の「Sweet7」でも、 「食べただけでそのケーキをそっくり再現してつくれる“魔法使い”」 の話が出てきましたが、 小林さんは、こういう感じの真の「天然」に弱いんでしょうかね。 (やべ…こうして書くと、どこがどうつながっているのかわかんない流れになってしまった…) 今までつくり上げてきたコントも含め、 彼の作品というのはみんな、 「天才」として崇められることも多い御本人の 矜持、羞恥、自負、苦悩…さまざまな糸を使って編み上げた タペストリーのようなものなのでしょう。
|