明らかにするとネタバレにするので タイトルは明かせませんが、 ちょっと昔見たフランス映画で、 恋に破れた男が自殺を図るというエピソードがありました。 でも、自殺とわかると神のみもとに行けない?ので、 (というか、葬式出してもらえないのか?) 唯一の親族であるおじさんが、その事実を隠蔽します。
男が恋い焦がれた娘は、別な男と結婚します。 もともと男の片思いでした。 娘の結婚相手となった男のことを、自殺した男は 生前こんなふうに言っていました。 「彼女はあいつには笑いかける。あいつを殺してやりたいが、 そうしたら彼女は悲しむだろう」 ……で、恋敵ではなく自分を殺すわけですが、 娘の結婚式の日、 おじさんは愚かな甥の墓前に花を持って訪れます。 その明と暗の、実に対照的なシーン。
この映画は、クラシック作品というには半端に新しいので、 いささか時期尚早ではありますが、 花を持つおじさんの表情やたたずまいは、 そのうち映画史に残る名シーンになるだろうと 断言したいと思います。
この映画は、私にとって、 「自殺」という言葉から思い出すものの一つです。
自殺をする人間は好きになれません。 どんなに尊敬できる人物であったとしても、 自殺したという一点だけで軽蔑できてしまう、 私はそういう単純で安普請な人間です。
それでいて、あの映画の彼の死には 涙してしまいました。 恋という、ある意味この世で最も愚かなもののために (ある意味です、ある意味) 最も愚かな死に方を選択したことに、 逆に感動を覚えるのかもしれません。 (んなわけないか)
昨日報道された、 ネットを介して知り合った男女の集団自殺のニュースを見て、 中には私と同世代の子供のいる女性も含まれていたと知りました。 こういう言い方は、彼女の近親者には非常に申し訳ないけれど、 あの遺書はやっぱりあんまりだなと思います。 「産んで嬉しかった」子供らを残して死ねるって、 到底理解できる感覚ではありません。
自分だったら、 デブデブに太って、御飯手抜きして、部屋も片づかなくて、 締め切り守れそうにない言い訳を必死で考える姿を 子供に軽蔑されながらでも、 きつく叱りつけて「ママきら〜い」って言われながらでも (…これって現況そのままかもしれんな) その子供のために生きていたいと思います。 もしも事故や病気に襲われて、瀕死の状態になっても、 見苦しく生にしがみつきたいとも思うし、 場合によっては、柩から起き上がってやりたい。 子供を持って手にするパワーって、 そういうことだと思っていました。
人間の生活には野生動物みたいに「生者こそ勝利者」という 明快なものがないのが残念ですが、 コレのために絶対死ねないという心のよりどころが 世界中の人にあればいいのになあという とってもオメデタイことを考えずにいられません。
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