なんとなく続いている日記

誰かに読ませるつもりで書くものではないが
誰かに読まれた時のことも考えて書くもの。
それが日記。

では、Web日記とは一体・・・

2008年01月31日(木) 心もジャイアント

ウィキペディアより・・・

<クイズ世界はSHOW by ショーバイ!にて>

・早押しボタンの上にコーヒーを置いていて、高田純次に「馬場さん、早押しボタンの上にコーヒーを置いたら押せないでしょ」と突っ込まれていた。

・後に山城新伍は、「(演出として)スタッフと相談して、馬場さんに内緒でデスクボードに細工をして落ちやすくしていたが、馬場さんはそれを察していて、知らんふりしてボードを叩き落してくれた」と語っている。

・逸見がガンで入院して以来、逸見の早期回復を祈って願を懸けるために、大好きな葉巻を断ったエピソードも紹介し、馬場の人柄を讃えた。そして逸見が亡くなった後、自らのトレードマークも永久に封印した。

・最終回スペシャルも自身の試合が終わってからその足でスタジオへ駆け付けた。



・プロレス興行では大都市試合、地方試合関係なく入場口近くの椅子に座り、入場してくるファンに笑顔で応えていた。 馬場の死後全日本プロレスは、馬場が座れるようにと、馬場が座ってた場所に椅子を置いている。

・晩年に巨人のOB会に出席した時に、先輩の千葉茂に「おーい、馬場!」と手招きされた際、大喜びで後ろから抱きつき、馬場がおんぶされるような格好で甘えるという珍しい構図になった。目上から呼び捨てにされる機会がほとんど無くなり、久しぶりの事だったのでとても嬉しかったという。

・野球をしていた当初、一度スパイクシューズを履かずにストッキングのまま練習に出てきてひどく叱られたことがあったが、一向に戻ってスパイクを履こうとはしなかった。巨大なスパイクの中に猫が子供を産んでしまったというのがその理由であった。

・天龍源一郎がメガネスーパー社から新団体旗揚げの話を持ち掛けられ全日本の契約終了後にSWSへ移籍した際、(当時団体の移籍は非常識とされていた為)憤慨していたジャンボ鶴田に対して「なぁ、人は裏切るより裏切られた方がまだいいだろう」と優しく諭した。

・辞めていった日本人選手を二度と全日本マットに上げることはしなかったが、その弟子はリングに上げた(冬木弘道の弟子の、邪道、外道等)。師匠の事で弟子が巻き添えになる事はマット界ではよくあることだが、馬場は若い芽を摘むようなことは一切せず、師匠の事とは別の事と割り切って、その弟子達をリングに上げた。その点は特に馬場の人柄が表れている。

・負傷のためプロ野球選手の道を断念せざるをえなかったが、プロレスのチャンピオンになって年収が3億円を超えたと話す(給料袋が縦に立ったという)。ちなみに、当時のプロ野球界の最高峰であった巨人の長嶋茂雄や王貞治の年俸が3千万円〜4千万円の時代である。

・プロレスラーが技を一般人にかけることを非常に嫌っていた。TBSのラジオ番組にゲスト出演していたとき、パーソナリティの松下賢次に何かプロレス技をかけて欲しい、というリスナーからのFAXがあった。馬場は「素人さんにプロレスの技をかけることは、絶対してはいけないこと」と語っている。しかし本人の意思に反し、2007年、アサヒ飲料『WONDA』のCMにおいて、桑田佳祐に対し技を繰り出すプロレスラーとして生前の馬場の映像が合成で使われた。



本日は、俺の尊敬する人物であるジャイアント馬場さんの命日です・・・


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