2005年11月19日(土) |
地元地域にプロスポーツチームのある幸せを噛み締めよう |
我がベルマーレを誇りに思う。 「我が」と言いつつ、二回しか観に行ったことはないし 2度目に至っては、敵チームのカズを応援しに行ってしまったんですけど。
思いっきり無断転用なので、お叱りを受けるかも知れませんが 多くのスポーツファンに知ってもらいたい事実ですので。
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<ベルマーレに見るJリーグの理想形>
真っ暗闇に包まれた相模川の河川敷から、なにやら怪しい物音と声が聞こえてくる。
「はいよッ!おいさッ!」
「行きます!ふんッ!」
狐や狸の仕業ではない。湘南ベルマーレに属するソフトボール部員が、バックネットに括りつけた三つの小さな工事用の電球と月明かりのもとで、送球フォームのチェックに没頭しているのだ。
その光景を目を丸くして見入っていると、監督の組島千登美が顔色ひとつ変えず、口にした。
「そうですか?暗いといっても、ちゃんと見えるんですよ。これくらいの環境の方が、集中して練習できるんですから」
その昔、ベルマーレは2点取られたら3点取る、3点取られたら4点取るという破天荒な攻撃サッカーで、Jリーグに旋風を巻き起こした。1998年のワールドカップには、中田英寿に名良橋晃、小島伸幸、呂比須ワグナーと実に4人を代表に送り込んだほどだった。だが、現在チームに当時の面影はない。'99年に親会社のフジタ工業が撤退すると、チームはJ2へと真っ逆さまに転落。かつての好敵手を遠くに仰ぎ見る日々を過ごしている。
ベルマーレにはお金がない。かつての栄光を取り戻すのは容易ではないだろう。だが、このクラブは、J1の多くのクラブよりもよっぽどJリーグが謳う「地域密着」の理念を実践している。
サッカーを筆頭にビーチバレー、トライアスロン、そして今年から加わったソフトボールを加えると、ベルマーレは実に4つのチームを運営しており、二日に一度以上のペースで巡回指導といった地域活動を行なっている。その成果が実り、いまでは平塚の海岸に20面のビーチバレーのコートが常設されるまでになった。そこでは、市民と五輪選手が混じってゲームに興じることも珍しくはない。
地域の憩いの場であるベルマーレは、企業から斬り捨てられる運命にあるアマチュアスポーツの砦にもなっている。
昨年の12月、デンソーから解雇された組島と五輪銀メダリストの安藤はダメモトでクラブに手紙を書き、支援を訴えた。予算のないクラブは当初、断るつもりだったが、ソフトボールという競技そのものの普及を訴えるふたりの熱意に根負けし、ソフトボール部門の設立を決断する。
あれから1年、監督、マネジャーを含めてたったの12人で出発したソフトボール部は、着実に地元に根を張りつつある。
クラブ関係者はスポンサー企業に頭を下げてまわり、部員たちの職場を確保。彼女たちは3時まで仕事をして、河川敷に集まってくる。礼儀正しく、元気一杯の彼女たちは職場の人気者で、「あの娘が来てから、職場の雰囲気が明るくなりました」と会社から感謝されることもしばしば。試合の前には、近所のおじさん、おばさんが差し入れに来たりもする。地元にお世話になりながらも、彼女たちは何かをお返ししているのである。
ベルマーレは知恵を絞り、汗をかいて、市民クラブとしての新たな価値観を築き上げようとしている。スポットライトとは無縁だが、そこにはJリーグのひとつの理想像が存在する。 -------------------------------------------------------
俺、もっとベルマーレを応援するわ。
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