mattinism is machiavellism

PRESENTED BY matty.T


2011年10月07日(金) 妙な夢

妙な夢を見ました。なぜそんな夢を見たのか、夢を見るシステムとか仕組みとかよく知りませんが、今回に限って考えられるのは、仕事中に偶々聴いていたラヂヲの中で紹介された一葉の葉書が原因ではないか思っています。その葉書の内容とは、投稿者は30代の男性で『還暦を迎えた母に花束を贈りたい。自分が小学校の時に父が亡くなり、女手一つで僕達3人の兄弟を育ててくれた。母は毎日が大変だったはずなのに僕らはいつもわがままで、今思えば苦労をかけたと思っている。僕達兄弟も家族を持って独立し、こうして、過ごすことが出来るのは何よりも母のおかげ。今は祖父と二人暮しをしている母を花束を贈りたい』という旨のものでした。これを聴いて僕を振り返ってみるとこれまでたくさんのわがままを言って、時には酷いことも言った僕でしたが、いつも母は受け止めてくれたように思います。改めて考えてみてもそう思います。そんなことを考える時はいつも福山雅治さんの『道標』の歌が頭の中で流れるのです。自分のことはいつも横に置いて、家族のことや僕達兄弟のことをいつも考えてくれていた母。そんな母に30になった今でさえ大した親孝行をしていないと思ったのです。次に実家に帰った時は何か買っていってあげようとか、それこそ花束だっていいんじゃないか、久しぶりに母の手料理(たぶん僕にとっては世界一)をたくさん食べようとか、考えたのです。そう考えていた日に見た夢。所詮夢の中の世界はあべこべなんですが、それは実に妙であり、考えもしなかったし、予想だにしなかった内容でした。場所は今住んでいる部屋とは少し違う、でも一人暮らしをしている僕の部屋でした。その部屋に僕が(仕事からか遊びからか)帰ると、中で母が料理をしていました。今思えば、昼間に考え思っていたことが反映されていたのかなと思うんですが、夢の中で作られている料理というのは、実にぐちゃぐちゃであり、とても母が作る料理とは思えないようなものでした。当然、まあ夢の中なので当然というのはおかしいかもしれませんが、母に「どしたの、これ?」と尋ねました。いつもなら、まあ夢の中なのでいつもならというのもおかしいかもしれませんが、母は僕の問いかけに反応することなく、なおも料理とは思えない料理をべたゃべちゃと続けるのです。僕は今度は母の正面に立ってもう一度尋ねようとするも、しかし尋ねることが出来なくなっていました。母の顔が、僕の知っている母の顔とは少し違う、もちろん別人ではないんですが、やはり少し違うのです。顔というより表情が何やらおかしい。その表情を見て、どういう訳か、 何か根拠もあるわけでも、医学的知識もないはずなんですが、僕は『母はボケてしまった』と直感したのでした。しかしそこは夢、何かの拍子で、次の瞬間には、いつもの母の表情に戻っていたのです。その表情を見て僕は安心するんですが、次の日、まあ夢の中なので次の日というのもおかしいかもしれませんが、母はいなくなり、そのいなくなるというのは外出とか、出かけたとかという認識ではなく、徘徊に出てしまっているというものでした。それからがたがたと崩れていく母がいて、その表情もまた僕が知っている母の顔、表情とは少し違う、いや別人ではないにしろ、もうすっかり変わってしまったそれでした。どうしたもんだかと夢の中らしいなんだか呑気に考えているところで目が醒めて、その妙な夢は終わりました。朝にはまだ早い午前1時50分でした。母が多少なりとも病にかかって体を壊すことは、それは母に限らず生きている間は直面するものと思っていましたが、ボケて(差別の表現の意味はない)しまうなんてことは、これまで全く想像していなかったことだけに、それは大変ショックな夢でした。まさか母に限ってボケてしまうことなんて。もし本当にそうなってしまったらどうなるだろう。忘れていく感覚ってどういうものだろう。忘れられてしまう感覚ってどういうものだろう。それは恐怖であり、怖いものでありました。もし。もし現実に正夢になったって、それはそれで受け入れる必要はあるのだと思います。逃げてどうする。大切にしなきゃならない、それがこの世にはいっぱいあります。そのひとつが母に限らず家族がそれにあたるのだと改めて考えさせられた、妙な夢でした。






でわまた今度〜♪


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