ぼんやり日記
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花粉、すごいんですけど。 1年ぶりに、このお目々のかゆさ、体験しました。
昨日、修理に出した携帯電話を取りに行った時のこと。 隣りのカウンタで、おばあちゃんとその娘夫婦?と孫が 来られていて、相談をしていた。 ふと見ると、娘さん(小さい子どものお母さん)が マクドのポテトをパクパク食べながら、お店の人と話している。
ええ? ちょっとびっくりして、何度か見つめてしまった。 だって、携帯ショップで、用件を話しながら 子どもの親くらいの年である(年は若そうだったが)人が ポテト食べながら話しますか? それをご主人らしき人も母(義母かもしれないが)も 戒めたりしない状況。
さすがに常識のない私も驚いた。 で、振り返って自分のことも考えてみた。 こういうことって、気が付かずにやってるんだよね。 私、中学校の時に同じようなことをしたことがある。
その日、給食のパンを残していた。 残ったパンは放課後、部活の後に食べたりしていたんだけど、 何故かその日、授業が終わって、「終わりのホームルーム」時に ふと手にとって、口に入れていた。
担任に「おい、お前何してるんや」と叱られて 初めて、自分がパンを食べてるのに気が付いたのだった。 いや、自分でもびっくりした。 やっぱり、どっかネジが抜けてたようだ。 もちろん、その時一回こっきりの出来事だった。
気が付かないでやってしまっている、恥ずかしいこと、 非常識なことってある。 それを、最初に注意してやらないと、エスカレートしちゃって 何となく周囲もどんどんやるようになって、 今じゃ成人式を過ぎたに違いない方達が 電車の中に自販機のアイスを持ち込んで「わお溶けちゃう」とか やってる時代になっちゃうのかも知れない。
通勤電車の中では、子ども達には静かにさせるための手段として お菓子を与えることをしてきた。 それも、おむつをしている時代までが限界だと思う。 くるりるにも、もう食べさせていない。 (まあ、飴くらいなら自分もノドがイガイガの時に口にするけれど)
でも、子どもは大きくなってるのをわすれて、 いつもお菓子を食べさせてしまっている、という事もあるかも知れない。 その子が気が付いたら、高校生になって、 大人になって、気が付いたら子どもがいる年になって。
そのうちに、普通は気づくはずのことなんだけれど。 気づくチャンスを逃した人もいるんだろうか。
私はすごく鈍感な人間だったので、 誰かの指摘を受けて、初めて恥ずかしさに気づいたことも たくさんある。 やはり、人から注意してもらうって有り難いことなんだ。
そういう私は、でも、くだんの携帯ショップでの 親子三代の方々には、注意なんてできませんでした。 三代までいっちゃったら、ちょっとやそっとの注意では。
常識、というのも段々変わってきているし、難しいね。 母教会では、礼拝中に席を立つのも申し訳ないという雰囲気。 結構な緊張感もあったし、そんな中で子どもにさえ あめ玉をなめさせる、ということは(たぶん)御法度だった。
ところ変わって、今私たちが行っている教会。 礼拝メッセージ中、ノドが痛い私は飴をなめる。 ペットボトルのお茶を飲む人もいる。 礼拝前から用意してくれている、コーヒーショップから いただいたコーヒーを片手に聞いている人もいる。
同じ教会といっても、これだけ雰囲気が違うのだ。 どちらが正しい、悪いというのはない。 田舎と都会、ということもある。 宣教師が開拓した教会と日本人が開拓した教会、ということもある。
そういうこともあって、常識を考えるのは難しい面もあるんだけど、 でも、やっぱり何かのお店なり、会社に行って ポテトをぱくぱくしながら商談っていうのは 常識の範囲では、ない、ですよね?
自信、なくなってきた・・・・
2004年03月09日(火) と思ったら 2003年03月09日(日) 決心 2002年03月09日(土) 中学からのお友達
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