ぼんやり日記
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2004年01月26日(月) ヤベツの祈り

長女の風邪が治るにつれ、再び姉妹ゲンカの勃発。
この数日は物静かな家庭だったのう。


うちのサイトのトップに、聖書の言葉を設置している。
数年前からクリスチャンの間でブーム(?)となった
いわゆる「ヤベツの祈り」(聖書箇所は歴代誌第一4章:10節)
というものである。

ぽんっとトップに置いたまま、何の説明もしていなかった。

ヤベツはイスラエルの神に呼ばわって言った。
 「私を大いに祝福し、
 私の地境を広げてくださいますように。
 御手が私とともにあり、
 わざわいから遠ざけて
 私が苦しむことのないようにしてくださいますように。」
そこで神は彼の願ったことをかなえられた。


ヤベツという人物、背景を推理するに逆境の中にあった
不幸な人物が神に祝福を祈り、それを神がかなえられたという、
非常に短いながらも分かり易い記事である。

聖書の中にいろんな神の法則があるのだが、
この「ヤベツの祈り」も神からの祝福の法則といえる。
祝福されたかったら祝福して欲しいと祈る。願う。
そして祝福されるもののごとく一歩を踏み出す。
目の前に差し出されたものを祝福の礎として受取り実行する。
そうして後年、人生を振り向けば、まさに祝福された人生であったと
そう思えることができるように、と
我が家でもヤベツが祈った通りの祈りをするようになった。

ここ数年、何の変化もないマンネリ人生、壁ぶち当たり人生、
あるいはタンス貯金で生き延びる人生であったのだが(ひどいな)
考えてみると昨年から少しずつ変化が見えてきている。

家を建て替えようと勉強していること。(微々たる歩みなれど)
幼稚園のクラス委員を引き受けていること。(そう大した働きでないが)
教会の中で自分のできるお手伝いを引き受けたこと。(丁稚見習い状態)
今年は町内会の班長が回ってくること。(何をするんだろー)
次女の病気についてもう少し突っ込むことになったこと(意味不明)

一つ一つは別に大したことではないのだが
自分にとっては勇気のいる一歩のものもあり、
それらを継続することは浮き沈みの激しい自分には
ちょっとばかりプレッシャーを感じる部分もあるのだが
それでも前向きに受けとめてチャレンジしていきたいと思う。

私は祝福された人生を歩みたいと思う。
失敗はきっといっぱいするだろうけれど
へこんで悩んで落ち込むだろうけれど、また頑張る。
きっと祝福されると思うから。
根拠は「ヤベツの祈り」です。
さあて結果はどうでしょう。
20年後をおたのしみに。。。。


2003年01月26日(日) デジカメ購入
2002年01月26日(土) プロ野球って試合時間長いよね

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