ぼんやり日記
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終業式後、会社を抜けてきたパパと学校へ。 先生と話をする。 どうも、長女の言っていることと、先生の話との間に 少し認識の違いが見られた。 子ども達は先生の目を盗んで悪さをするものね。
前回の殴った子のところへは再度、 先生が連絡を取るということだった。
で、夕方、その家のお母さんから電話があった。 お母さんも知らなかったとのこと、平謝りだった。 以前から知り合いだし、次女とあちらの妹さんとも クラスメートで仲良しなので、いろいろ突っ込んで話をした。
あちらのお母さんも、クラスの空気が何となく 変な雰囲気になっていると感じているらしい。 ケンカ(というより一方的に殴るからイジメだよね)に なっても、周囲がはやし立てる。 殴ってる子は単純だからそれにつられてぼかぼかやる。 止めようとする子は、後で仕返しが怖いから黙認。 これって、現代社会の縮小版だね。
また連絡を取り合おうね、と言って電話を切った。
ふう。 少しだけ気が楽になった。
と思ったら、その夜、長女があまりに意地悪連発なので 私も怒り爆発、「あんたそんなんやったら友達なくなるで」と 私も言う言う。もう止まりません。 パパがいたので仲介にはいってもらった。 「だってわからんのやもん。おかあさんかって 意地悪するやん。人に言うといて自分も悪いことするやん」 おおー言うねえ。 寝床に入ってパパが聖書を開き、読んで聞かせた。
わたしは自分のしていることが、わからない。 なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の 憎む事をしているからである。(中略)
わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。 だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。 わたしたちの主イエス・キリストによって、 神は感謝すべきかな。(後略) <新約聖書 ローマ人への手紙7章15節〜25節>
長女は、悪いことをしたくないのにしてしまう。 その事で3歳の頃から悩んでいる。 私と大げんかした後、パパにこの御言葉をひもといてもらい やっとこの箇所の意味がわかったという。 そして、安心して眠りに就いた。 私も何度も読んで聞かせた箇所だったのだけれど その時はわからなかったんだね。
パパはこうも言った。 「おかあさんが悪いことをするのは、おかあさんも 悪魔にそそのかされて悪いことをしてしまうんやね。 クラスの子が殴るのを止めようと思ってても まわりではやし立てる子がいたら、ついつい殴り続けるみたいに」 長女はすごく納得したらしい。 おかあさんが悪いことをするっていうのは気ぃ悪いけど ほんとにその通り、私は一方的で意地悪でいい加減です、はい。 したくないのにしちゃいます。はい。しくしく。
御言葉というのは、いろんな出来事を身をもって体験して、 時が来たときに、初めて心底、納得するものなんだね。
それにしても、ここ最近の一連の出来事は、 長女がこの御言葉を理解できるための下敷きだったのかと思う。 私も、子供相手に、しかもイブの夜に怒りまくったのは なんとも情けなく恥ずかしく痛恨の極みであるけれども それを通して、長女がローマ書を自分の言葉とできたのなら 多少は慰められもするというもの。
奇跡というのは個人的に「すごい」と思うことであって 他人が聞くと「ほんとか」「ただの偶然やん」となる事が多い。 それでも明らかに、私達にとっては、これは間違いなく奇跡で 神様からのスペシャルギフトだったなあと思う。
こんな私でも赦されている恵みに感謝して。 メリー クリスマス!
2002年12月24日(火) ジョー・ストラマーに花束を
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