流れる水の中に...雨音

 

 

nightmare - 2006年10月08日(日)


今朝 何故か急に遠い昔に遡っていた。
それはほんの些細なことから始まった。
そこには小学校に上がったばかりの私が居て 母がいた。
私は小学校のお手洗いで 朝 母に渡されたばかりのハンカチと
ポケットティッシュを握りしめて 淋しい気持ちと心細い気持ちから
必死に耐えようとしていた。
幼稚園は嫌いじゃなかった。小さい頃から一緒に遊んだ幼馴染みの男の子も一緒だったし、何よりそこでは本当に仲が良い友達が居てくれたからだと思う。
小学校にあがったとたん、私はとても無神経で粗野なものの中に 放り込まれたような心細さをずっと感じていた。
男の子たちは荒っぽく、女の子たちは冷たい。
自己主張できる子は伸び伸びと そして私には そんなしぶとさを持ち合わせていなかった。

私は子供の頃 家に一人でいる事が多かったように思う。父の会社が大変な頃だったのか よく母は父の会社にいってた。
それを私は「淋しい」とは感じた事がなくて ただ「そんなもんなんだ」としか受け止めていなかった。
家に帰って一人でお菓子を食べながら 本を読んだりテレビを見たり、時には友達と遊んだりもした。
冬場になると早く日が暮れて 私は父と母が戻って来る時間まで くらいリビングで ただ暗くなるのに任せて テレビが放つ煌々とした光の中でぼんやりしていることも少なくなかった。
それなりに友達もいたし それなりに色んなところにも出掛けていたし。
私はただ そこにある状況をなんの疑問もなく受け入れて受け止めて過ごしていたように思う。

高校に上がる頃 父は会社を整理して それからは父も母もずっと家にいるようになった。家に帰るとたいてい両親が居た。学校の行事で遠方に行く時は、いつも父が車で母と一緒に送ってくれた。
よく3人で出かける事が多かった。お買い物や旅行。父が仕事をしていたときにはできなかった時間を必死に取り戻そうとしていたのかもしれない。
それからはずっとそんなふうだった。だからきっと私は忘れていたように思う。


大人になって私は再び孤独になった。
孤独になれきった私はそれがある意味心地よかったのだけれど 心の底に救いようのないほどの淋しさを抱えている。
環境は何一つ欠けてはいない。なのに何故か埋め難い孤独感。

私が結婚相手に求めたのは おそらく「母性」だったように思う。
暖かくて 責任感があり 最後まで無条件で守ってくれる。
幼少期にそれを得られなかった人は 恋人や配偶者にそれを求めると言う。


父も母も 自分と自分の家族のために頑張って来たのに それもひとつの愛情の形であるというのに それもわかる今だからこそ それが結果的に私の心に影を落としてしまったのだから 尚更切なくなる。


今朝 そんなふうに 全てが一本の線で繋がったものだから 私はまるで悪夢から醒めたかのように 悲しくて切なくて 泣いてしまって居た。












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