Kyoto Sanga Sketch Book DiaryINDEX|past|will
このテキストやページ紹介は加藤さんのフロント入りが決まった冬に少しづつ書き溜め集めたもの。
●協会時代(ご存知の方は飛ばして下さい) 今の日本のサッカー育成システムの礎を築いた一人。 めんどくさい話もあって。しかし…
トレセン改革などの多大な業績を残して協会職は退きます。 当時のいろいろなお話の詳しくは以下で。 ①まずネット上で彼の名で出てきた仕事 ・選手協会の創設 ・トレセンの改革 トレセンんって何?(歴史)より ・加藤委員長の「強化委員会」が残した強化レポート ・環境の充実に向けてJクラブ下部組織のヒアリング ②そして以下は面白いけど時間がある方向け。 ここでは内部事情の実際云々より、彼の方向性や思想の一つの資料として。 WEBサッカーマガジン2002 1994→1995 「混迷」の伏線 1995→1996 予選前年の光芒、を参照 …と書いたけど、上のページ消えてました。当時の協会内のドロドロの話も惜しげもなく書いてあった。 当時の加藤さんとサッカー協会の一部との対立の話。 A代表を中心に日本のサッカーを据えたい人たちと、 世代別や各地域の下からの積み上げの結果をしてA代表があるという加藤さん、 双方の意見の食い違いが原因のような書き方。確か。 (サッカーマガジンのサイトのアーカイブとして復活するかな) ●監督時代 ・1997年 ヴェルディ川崎監督(2月~6月)、 (1stステージ16位4勝12敗 ※6月解任) ・2000年 湘南ベルマーレ監督 (8位15勝1分17敗※前園、松原など在籍時代) ご存知のように成績は…。テレビでの評論はおいといて、 キュウちゃんはあまり現場向きでないのは世間一般の常識。 ●大学等での指導者として。著作。 母校の早稲田大学人間科学部助教授。 同じく母校でもある東工大でもその後教鞭を。 客員教授としてのプロフィール アマゾンでの書籍 そして。 彼の最後の足取りの記事は、あの沖縄の友達の話から4年。 去年秋の記事です。協会での仕事ほど知られてないほんとに地方での話ですけど。 確かに沖縄かりゆしFC、クラブは知ってる人は知ってるようにかなり…な結末でした。 しかし、沖縄ではその後があります。 「加藤さんの責任の取り方は見事としか言いようがない」
私がさつま町キャンプにいた学生服の少年のうち一人が、 そのヴィクサーレ沖縄FCの日本U16代表の選手と知ったのは、 家に帰ってとあるブログを見た時。 友人が言った「中央から来た凄いものって、中央を離れたら凄くない」という話。 どうも彼はそれを超えた存在だったのかな。実際は。 うん、「サッカー協会でのトレセン改革など名だたる仕事」も、 「サッカー後進国の地方の少年サッカーでの業績」も 私にとってはどちらも同価値だったりします。 ただ、それ以外で共通しているのは、彼の能力は実証済みながら、 けっして世渡り上手ではないこと。 ならば、協会やかりゆしなどの組織の中の軋轢の中にいるより、 自由に権限を与えた方がいいのか、実際どうなのか。 色々考えてはしまいますが。 加藤久氏、入社のお知らせ 加藤久が京都救う!経営幹部で入社 (日刊スポーツ) 「下部組織の整備など、やることは多いけれど、やりがいはある」 「まずはチームの歴史を知り、チームの発展に貢献していきたい」 京都ジュニアユースの少年たちにアイスクリームを与えながら、 今日の試合のことを聞く加藤さん。隣には学生服姿の沖縄の少年。 「腰を落ち着けて、京都でサンガで上手に暮らして欲しい」と願ってます。
さて、我々は加藤さんにどう仕事をしてもらう?? 上野さんもだけど、皆さんよっぽど現場が好きなのか、 それともそうしないといけない差し迫った現状があるのか。。
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