Kyoto Sanga Sketch Book
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2003年01月11日(土) |
12月1日 「 SANGA Award Party 2002 」にて |
老紳士が選手たちのテーブルを回り、手をとっていつまでも握手している。 どの選手にも声をかけながら。
「誰、あのミーハーなおじさんは(笑)」 遠くでこっそり言ってみたり。
私もある選手にポラロイドカメラを持って近づいた。 手が滑った。事故が起きた。 カシャッ!
「えーっ?ここーーーっ?」椅子に座ったままスーツの”股間”を両手で覆う選手。 「ここぉーーーーっ?!(笑)」ともう一度。
アハハ・・・そんなつもりは(^o^;(^o^;(^o^;
気分をかえて真面目な質問を。 「ゴール前から見て一番頼りがいがあるというか、キーになる人を一人挙げて下さい。」
それはあの人でしょう、とテーブルの下で指をさした。二十代前半の地味な選手だ。 あの人は凄いですよ、と。
あの人かぁ・・・。(ふーん)
しばらくして、デビューしたばかりの十代の選手に遭遇。 まだ出場機会もほとんどないけど、野心もあってかっこいい! 今までのサンガに少なかったタイプだな(最近は増えているのかもしれないけど)。
「内外で好きな選手、手本になる選手はいますか?」と聞いてみた。海外も含めて。
すぐ近くにいますよ(笑)と。「身近に目標がいるってラッキーですよね。」とも。 先程キーパー君が指さした選手の名にうなずいた。
自分のチームで育った身近な先輩を目標に、若い選手が成長する。 強いチームで普通に行われている事が京都でも始まりつつあるのかな。
もし、それが始まっているなら、それは今年の5位入りより嬉しい事かも。
で、その当の頼り甲斐のある目標君だが・・・それを知ってか知らずか、 ニヤニヤしたり、もっさり口を閉ざしたり。 相変わらずコミュニケーションがとれそうもない(笑)。
サンガの派手な攻撃に隠れ、あまりマスコミにも取り上げられない彼。 でもそんなに大切な彼だから、と写真だけは撮らせてもらった。
1ヶ月後のFC JAPANで彼についてこんな記事があったようです。 ” 正月に行われた天皇杯決勝の見張る活躍と勝利はこの23歳のキャプテンへの評価を一転させた。 手島はパープルサンガのタイトなディフェンスをコントロールし、FW陣をことごとくオフサイドトラップの餌食にした(略)。 (どうして彼がこんなに無名なのか)私はエンゲルスに尋ねてみた。 「理由は分かりませんが、彼は過小評価されているのです、 そして他の(中田、本山、高原などのナイジェリアWユース大会)選手のように注目を受けていないのです」 「彼がチームの司令塔になってすでに2年になります」 ”
まだ彼に注目している人は一握りとみた。
稲盛サンガ・京セラ名誉会長が、 まだ朗らかに選手達の手をとって喜んでいる。選手達も。 この僧侶が”ミーハー”しているには理由がある。 さっきの彼のスピーチが思い出された。
「・・・J2の最期の試合、私も西京極にいました。 サッカーをよく知っている方々が振り向いておっしゃいました。 『でも、この戦力ではJ2では優勝できても、J1では通用しませんよ』。
しかし、昇格したからと言って、新しい強い選手を入れると、 せっかくJ2でがんばってくれた選手達の出場機会を奪ってしまう。
私は降格してもチームに残り、J1に上げた若い選手達を信じたい、と思いました。
そうする事によって人は働いてくれるものです。経営者だからわかるのです。 そしてこれから京都からスターが生まれる事を希望します。」
そんなやり方がどれほど通用するか分からないが、 その発想をしばらく信じてみようと思った。
チームの内側でいろんな事が変わっていた。 嬉しい小さな鼓動が聞こえている。
若きDFリーダーがテレビに映り、あの僧侶が選手達の手で宙に舞った、 天皇杯優勝の1ヶ月前の事でした。
選手の方々、コメントを拝借してすいません〜(笑)
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