Kyoto Sanga Sketch Book
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2002年12月28日(土) |
【天皇杯準決勝 広島戦】〜ファイナリストまでの30分〜 |
テレビ観戦(埼玉スタジアム)
10松井大輔(12分/アシスト:17冨田晋矢) 左サイドで得たFKを冨田が中へ絶妙のクロスをニアサイドに入れ、 それに飛び込んだ松井が後ろへそらすような感じでのヘディングシュートをゴール右に決めた 10松井大輔(20分/アシスト:9黒部光昭) 右から朴智星のクロスに中央で黒部が合わせるが、ジャストミートせず、 そのこぼれ球を再び黒部が拾い、左背後から走りこんできた松井へパス。それを松井が狙いすましてゴール左にシュートを決めた (オフィシャルHPより)
京都2ー0広島 で後半を迎える
DF手島の顔がアップで映った。 緊張した、でも守備に疲れきった顔。 19歳でサンガのCBになってから、4年目の天皇杯準決勝。
”早く時間がたてばいいのに・・・。” 守るだけの辛い時間がもう長く続いていた。 さっきまでの前線でボールの回る気持ちのいいサッカーが嘘のようだった。
狂い出したサンガの歯車に 何度も何度も、紫の細いラインの選手が襲って来た。 敵のFW久保の奔放な動きに、京都は振り回されていた。
京都は3トップのうち智星、それに黒部が足の不調で下りてからというもの、 広島に高橋が入ってからというもの、 松井の2点で先制しながらも、広島の森崎兄弟を中心に中盤さえかき回され続けていた。
京都の特徴と言われる松井、黒部、智星と並ぶ京都の3トップの仕事は多様。 指令塔を置かない分、サイドやDFが攻撃的な分、 互いに2列目、そして場合によっては守備の仕事もしなくてはならない。
なのに・・・運動量の少ない熱田と田原にかわった後は、松井が走り回るばかり。 前半の疲れもサイド、ボランチ、それにDFにその負担がのしかかった。 その上、相手3人のFWを3人のDFで対処するのが容易ではない。そしてまた・・。
あと、30分、あと25分、あと20分・・・
やっとボールが前に飛ばされ、ラインをあげようとするDF陣。 でも、広島の選手達がすぐその裏をつく。「やられる!」
ついに広島、森崎(浩)から見事なミドルレンジのゴールを決められた。2ー1。
国立の決勝進出までの最大の危機が続いていた。 攻撃陣のボールキープはもうあてにできなかった。 角田も石丸も全員守備に意識を集中させている。耐えるだけだった。
試合終了まであと3分、あと2分、1分・・・・30秒、20秒、10秒・・・
こうして2002年12月28日。 京都パープルサンガは天皇杯ファイナリストに決まった。
日本最古のサッカー団「紫光クラブ」からの歴史の中で始めてつかんだ栄誉。 でも、画面でははしゃぐ選手たちはいなかった。 「チームも特別喜んではいない。優勝してから喜ぼうという感じです。」(オフィシャルHP鈴木和裕のコメントから)
智星が旅立つ。だからこのチームは急いでその成長を遂げなくてはならなくなった。 チームの本当の完成は2003年元旦。
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