薔薇抄 *Rose Show*
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それ以外に価値はない
10何年前から聞いてる曲が、なんだか最近急に日本語に聞こえて来た(日本語)。びっくりした(日記)。パーラドックス パーラドックス(歌唱)。
言葉の刺さり方って、人によって違う。残る言葉、って言うか。だから伝えたかった部分より、全然別の箇所で相手が引っ掛かってしまうのは、仕方のないことですよね。話の内容そのものより、そのときの言い回しとか単語が妙に気になったりとか。気にされたりとか。
面と向かって話をしてるとあまり感じないのに、メールになると意志疎通が計れないって言うのは、文章力のレベルの低さのせい以外の何物でもないと思うんですよね。 それはもう誰に言われるより前から、そうなんだと思います。 それをカバーするのって、やっぱり…愛 なのかなあ?文章力の向上が即座に叶わないのなら。
愛で全て串刺し それは無知を覆い隠す あとは自由と平和で 不滅の幻想
言わなくても伝わる なんて だから奇跡。伝わってる 通じてる と双方同時に思い込んでて実は誤解してた とかは茶飯事。
だから心して言葉を選ばないと。
と思うんだけど、相手もわたし同等に言葉に対して力を見てないと、わたしばっかり過敏になりすぎても失敗するんだよねえ。難しいよねえ。 人間が小さいですか。
例えば意見が対立したりして、まあ喧嘩とかして、相手のせいにするのも楽だけど、自分のせいにしちゃうのも楽だよね。電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのもみんなおいらが悪いのさ ぐらい背負っちゃいたいときあるよね。開き直り具合として。 先に謝った方が勝ちっていうのは絶対あると思う。謝られたらそれ以上言えないよね。だって謝られたところでこっちの気は納まらない場合が多いじゃん(わたしだけですか)。それをこっちの言い分半ばで免罪符のようにごめんなさいを提示されて、戦線離脱を宣言されたらもう、それまでの戦況無関係で、何を言っても負け犬の遠吠え。後の祭。 勝とうと思ったら、先に謝ることだね。出鼻をくじけます。 謝った方が負けってときもたまにあるけどね。フランス人の文化とか、うちの社長の文化的にはそういう世界もありますね。謝った時点で、自分の過失を認めることになるから、と。 でもそれは、よっぽどの自信と精神力と対応力がないとできない気がする。 戦う気がないときは、謝ったほうがいいよね。逃げるが勝ち。負けるが勝ち。 謝らせたくて延々戦い続けることもありますし。 …言っとくけどそんなに勝ちにはこだわりません。見た目と違って。
え。なんの話したかったんだっけ。 忘れちゃった…けど、そう、ねえ、思っても無いことを言う って成立すると思う?思考を通さず喋ることはできないじゃん。嘘とか誇張とかお世辞とか言葉のあやだったりしてもね、その人の中に無いことは、言葉となって出ては来ないんじゃないかな、と思うんですよね。言葉だけ、っていうのは…実行が伴わなかったときに言うんじゃないかな。一般的に外見の造作が基準値を上回らない男子が超頑張って仕事してるときに、かっこいいねって言うのも、会社のそれほど好きでもない上司が病気になったときに、大丈夫ですか?って言うのも、全然子供好きじゃないのに親戚の子にかわいいねって言うのも、別に。ちゃんと伝わるよね、とりあえず、気持ちは。その場しのぎだったとしても。雰囲気悪くしないだけでも、ちゃんと言葉の役割果たしてるよね。社交辞令でも、何にも出てこないよりマシだよね。
逆に、…逆でもないかな、自分の発言を誤解されて、そんなつもりじゃなかったのに、とかもね、そう誤解される要素があったのは、果たして言葉だけだろうか?って思うの。たまにね、思いもよらない新発想で誤解されることもあるけどね。そう来たか!っていう新鮮極まりない驚きでもって、発言者に興味が湧くよね。もしくはあまりの世界観・価値観の違いに、絶対的決別を思うか。 誤解ってさ。 誤解だと気づいたら、解かなくちゃだめだよね。相手を大事に思うなら。誤解されてもやり遂げないといけないときが人生にはあるような気もしますが、まず誤解をされないことが大事ですよね。だれかわたしに上手い言葉を。日本語力を下さい。
果たして言葉でついた傷は、言葉で癒されるのでしょうか。 言葉にできない思いを伝えるのは、不可能なのでしょうか。
どんな言葉にも勝る抱擁があるとわかっているようにも思いますが、なんかそれに頼りたくないのは個人的なあれかしら。だって、ぎゅうとかちゅうとかできない距離が存在したらどうすんの?その前に、そんな接触が許されない間柄だったらどうすんの。
なんかやっぱり、ちゃんとがんばんなくちゃな。 やさしくね。ていねいにね。 何度も。何度でも。
絶望から始める。 それ以外に価値は無い。
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