HIS AND HER LOG

2006年06月18日(日) イヴと赤い実



つぐみがヒバリに別れを告げたのは、2年前の冬だった。彼の大学受験を見届けてから、彼と共に受けた大学に進学しないこと、イタリアへ渡ること、そこでマフィアとして生きること、そんな話をして、最後に彼と別れることを告げて、逃げるようにイタリアへ渡った。ヒバリは泣きそうな顔をしていた、きっとつぐみの突然の宣言に怒りすら覚えていただろう、しかし、ヒバリはつぐみを責めなかった。なぜ、や、どうして、を何度も何度も吐き出すだけで、つぐみを罵倒することも、抱いて引き止めることもしなかった。つぐみには、それが何よりもくちおしく、腹立たしく、悲しかった、だから、彼女は揺れることなく日本を発った、ヒバリは追いかけてこなかった、その翌年、綱吉や獄寺、山本らが高校を卒業し、イタリアに渡ったときも、そして、それから1年経った今でさえも、彼は来なかった。彼が行かない、とそう言ったのだと、リボーンや綱吉は言っていた。つぐみは、捨てられたのだ、とその時初めて思い、1年ぶりに涙を流し、あの日からちょうど2年経った冬のある日に、彼女はヒバリを諦めた。私たちは「いけなかった」のだ、と彼女は思った。日本にいた頃からつぐみを慕っていた獄寺と、正面から向き合うようになったのは、そのすぐ後のことだった。

白いだけの壁にはさまれたまま、つぐみは走っていた、何も目的がないわけでもなく、何か目的があるわけではなく、ただ走っていた。そして、長い廊下を抜け、外へ繋がるドアを目の前にしたとき、彼女は自分が走っていた目的を知ったような気がした。そこには、今しがた外出から戻ったのか、黒づくめのまだ小さな少年が立っていた。黒いスーツが誰よりも似合うのは、きっとつぐみが思うよりも永い永い間、それに身を包んでいたからで、だからこそ、彼はつぐみにとって、7歳の少年ではなかった、言うなれば、賢者や預言者の類だと心の隅で信じていた。
きっと、彼は何もかも、つぐみは思って、くちびるを噛んだ。

「あなた、知ってたのね」
「何をだ?」
「、獄寺くんのことよ!」

声を荒げてすぐ、つぐみはサッと血の気が引いた、言葉にすると、それはとても残酷で、彼女の細い身を裂くようだった。ゆるされない恋、禁忌の愛、どう言いつくろったとしても、近親相姦なんてうつくしいものではない。つぐみは自分が汚れていると思った、そして、その手で、口で、彼をもまた汚してしまった、と思って、悔しくてたまらなくなった。

「・・・獄寺のこと?なんだ、何の話だ」
「とぼけないで、・・・彼、9代目の、息子なんですってね」
「・・・、ああ」
「それで、私は9代目の孫よね、ふふ、私、獄寺くんの姪っ子だったのよ、」
「ああ・・・」
「・・・ばかみたい・・・!」

そのときが来たのだ、とリボーンは思った。それは、理由のない嘘だった。
つぐみが自分の出生を知った、正しく言えば、思い出した、あのとき、15歳の彼女に、たった一つだけついた、綱吉も、9代目も、彼以外の誰もが知らない、嘘であった。

「つぐみ、お前は、本当は9代目の孫なんだ」
「え、でも、骸は8代目の孫だって、私も、そう呼ばれていたのを覚えてるわ、思い出したの」
「ああ、戸籍上はそうなっている、だが、お前の母親は9代目の娘だ、当時、既に跡目争いの兆しが見えていたからな、9代目はお前の母親を巻き込まないように、8代目の子どもと偽り、籍を入れた。だから、彼女は8代目の娘、9代目の妹として扱われ、お前は8代目の孫ということになっているんだ」
「そう・・・そうなの・・・」
「これは、生きている人間では、俺と9代目しか知らん、・・・他の人間には、言わない方がいい」
「え、どうして・・・」
「9代目により近しい人間だと分かると、面倒だからな・・・ツナも、気にする」

それを聞いて、つぐみは疑うことなく納得していた、広く、それでいて繊細な器を持つボンゴレ10代目候補の彼が、このことを知ったら、動揺するかもしれない、と思ったからだ。他の候補者が現われることで、その当時、まだマフィアのドンになることをためらっていた彼を揺らしたくなかった。つぐみは、沢田綱吉という小さな少年を、ボスにしたかった、そして、その元でファミリーとして生きたかった。彼の燃えるてのひら、太陽のようなてのひらが、以前骸を浄化したように、自分をも救ってくれるのではないか、と思っていたのだった。
だから、彼女は疑うことなく、今までその秘密をかたくなに守り通し、過ごしてきた。また、つぐみが今の今まで獄寺の出生を知らなかったのは、獄寺も、彼女と同じ想いを抱いて胸にそれを秘めてきたからに違いなかったが、そこまで考えることのできる余裕を、つぐみは持たなかった。

目の前のつぐみの顔、怒りと、哀しみと、嘲けりを含んだ引きつった顔を、リボーンは自分への罰のように思った。つぐみの頬に流れた透明のなみだは、彼女の怒りのせいで、 無色ながら燃えているように見えた。
彼は嘘をついたあと、なぜ自分はあんなことを言ったのか、と疑問に思った、そして、その理由を探した。つぐみと獄寺はいとこに当たるが、近親者同士の結婚は遺伝子的によろしくないだとか、そんなようなことを考えたが、とどのつまり、とてもダイレクトな感情で言えば、彼はつぐみを獄寺と一緒にしたくなかったのだった。既にそのとき、獄寺がつぐみに恋慕していたのは知っていたし、そのことを伝え聞いた9代目がそれを喜んでいたのも知っていた、そしてだからこそ、リボーンはそれを阻止したかった。
リボーンは、つぐみを、綱吉や、他のファミリーと同じように、親が子を愛すようには思っていたが、例えば、獄寺やヒバリが彼女を思うようには、愛してはいなかった。だから、きっとその感情は嫉妬ではなかった。ただ、リボーンは死んだつぐみの母親を、誰よりもうつくしい、と思っていた。つぐみは彼女と、口元がよく似ていたが、リボーンの好きだった瞳は似ていなかった、鋭く、ひとの奥深くをのぞきこむような灰色の瞳は、彼女だけのものであった。ゆえに、彼はつぐみを愛さなかった、しかし、つぐみの心が誰かに縛られることを許したくはなかった、その相手が、つぐみの母親を、彼女が日本人とかけおちをするまで、兄妹である以上にひどく寵愛していた9代目のこどもであるなら、なおさらだった。
リボーンはそこまで考えて、思考を放棄した、とても不条理で、滑稽なことに思えたからだった、自己分析なんて性に合わない、とそれまで考えた全てを白紙に戻した。そして待つことにした、いつかこのたわいもない、そう、彼にとっては口をついて出ただけの、実にたわいもないその嘘が、つぐみと獄寺を生きたまま殺す日、そのときを。もしかしたら、気付かぬまま始まり、終わるかもしれない、そうしたら、自分の負けなのだ、でも、もしかしたら、うまくまとまった2人の仲を、これが引き裂くかもしれない、そうなったら、まるで一生をかけた復讐が、果たされるようではないか、彼の脳はそう結論づけて、考えることをやめた。いろいろなことが目まぐるしく彼の頭をかけめぐったけれど、結局彼の嘘は、理由のない嘘であった。

「なんで、だまってたの、どうして言わなかったの!」

つぐみの声がリボーンのなけなしの罪悪感をあおった、彼女の責めは直接リボーンの罪悪に向けたものではなかったが、どっちにしろ、同じことだった。

「知ってると思っていた、お前、知らなかったのか、獄寺がブラッド・オブ・ボンゴレだって」
「しらないわ・・・しらない・・・」

そのとき、ドアの向こうで車のとまるキッという音がして、ドアの開閉音と共に、聞きなれた声がしたのを、2人は聞いた。複数ある声の1つは、きっと、つぐみが今誰よりも聞きたくないものだっただろうことは簡単に予想がついた。

「ただいま戻りました、あ、つぐみさん!」

まだ目に残る涙で、つぐみの見た世界は歪んでいた、その中でやはり歪んで見えた獄寺の姿は、自分の罪を表しているようだ、と彼女は感じた。一方でひどく無邪気に笑む彼が、今、つぐみを何よりも責めさいなんでいる事情を、恐らく知らないであろうことも、彼女は見てとった。無知は罪だ、と彼女は思ったが、知った今がそう思わせるのだ、と思うとやりきれなかった。

「あなたが話して・・・」

そう言い残して、つぐみは抜けてきた白い壁にはさまれた廊下の奥に吸い込まれていった。あなた、と指名されたリボーンは、自らの勝利を彩る最後の仕上げと、奥底で眠る罪悪感を、彼女の願いを果たすことでぬぐい去るために、獄寺の名前を呼んだ。ひどく、澱んだ声だった。


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ハチス [MAIL]

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